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五月山からの眺め

2010年02月27日 13:40

阪急電鉄開業100周年記念・小林一三の愛した池田特集 2
池田の眺望いまむかし

池田の歴史を知るために、「池田町史(昭和14年発行)」を借りました。
その中に面白い写真が載っていました。

ikeda_001.jpg
「池田町史」より
五月山からの池田の町の眺めです。
本の発行が昭和14年なのでおそらくその頃の風景です。

この風景と同じ写真を撮ってました。
ikeda_002.jpg
おそらく五月山の展望台に行かれた事のある方は
みなさん同じような写真を撮られてるのではないでしょうか。

写真をアップで見てみましょう。
ikeda_005.jpg
これは阪急宝塚線。手前の橋は呉服橋です。
阪急電車は2両編成のようですね。

ikeda_006.jpg
今は何両編成なんだろう…。

ikeda_003.jpg
池田の町を見てるとポツンと洋館がひとつ見えた。
これなんだろう?

ikeda_004.jpg
これかな?
今でもありましたよ。

↓ここか… しまった!写真を撮ってなかった…。

大きな地図で見る
ここは旧池田実業銀行本店。大正14(1925)に建てられた池田で最古の
鉄筋コンクリート建造物で登録有形文化財です。

じゃぁ、ついでにと言ってはなんですが、
DSC06687_2.jpg
もうひとつ近代建築を。

DSC06689_2_20100227121035.jpg
ここは旧加島銀行池田支店。

DSC06691_2.jpg
こちらも登録有形文化財です。

DSC06692_2.jpg
池田は奥深い町。古いものが残っているだけではなく、
近代大阪の発展の痕跡もところどころに残っています。
歴史好きにはとても興味深い町ですね。

えっ、↑この写真ですか?
ここは能勢街道。次回は能勢街道で記事を書いてみようかな…


(追記)
kurehaza.jpg
呉服橋の袂にある三角屋根は呉服座


(関連記事)
阪急電鉄開業100周年記念・小林一三の愛した池田特集
池田うろうろ2010.02.19
五月山からの眺め2010.02.27
池田の酒蔵、呉春と緑一2010.03.01
伊居太神社と呉服神社2010.03.07



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府市再編「ひとつの大阪」vs「大都市圏州」

2010年02月24日 11:11

大阪府市再編
「ひとつの大阪」vs「大都市圏州」


このブログで取り上げるモノではないのかもしれないけど
将来の大阪のことを考えるととても関心がある問題。
大阪府と大阪市は何やら大きく変わろうとしている。
でもでも、いまはどう変わるかを大激論中!
とってもいいことだと思います。



まずはこのグラフ
大阪の将来、どちらの構想を支持?
大阪府と大阪市の今後のあり方が議論されています。府と市を一体化させ再編する「ひとつの大阪」案(橋下知事)vs.大阪市を前提に近隣自治体と政令市の権限を拡大する「大都市圏州」案(平松市長)。どちらの案を支持する?(実施期間:2010年2月22日~2010年3月1日)


どうしても声の大きい橋下さんの方が、支持も多いようです。
ただし、今はまだ議論が始まったばかり。
どちらの考え方がいいかは、もっと具体案が出てこないと
市民レベルではわからない。
ただ、こういう今の動きは画期的なこと。
関一さんが押し進めた大大阪はすでに過去の話。
将来の大阪のことを考えると、市民レベルでもこの議論に参加し、
盛り上げる必要があるのでは。

と、思う今日この頃です…。


対立鮮明に橋下知事“大阪都”vs平松市長“大阪市圏州”」産経ニュース


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一夜官女祭

2010年02月22日 08:00

大阪府指定文化財
野里住吉神社 一夜官女祭

IMG_1698_2_20100221005137.jpg
2月20日、野里住吉神社で一夜官女(いちやかんじょ)祭が行われました。
これは、全国的にもたいへん珍しい人身御供(ひとみごくう)の神事で、
大阪府指定文化財に登録されています。区分は民俗文化財の行事になります。

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簡単に解説しますとその昔、風水害と悪疫に苦しんだ村人は毎年定めの日に白矢の打ち込まれた家の娘を唐櫃(からびつ)に入れ深夜神社境内に放置しました。これが人身御供です。要は人間を神の生け贄にしたわけです。

7年目の準備をしている時、ひとりの武士がこの村を訪れ、自分が身代わりになるといい、コイ、フナ、ナマズ、餅、酒、小豆、干し柿、豆腐、大根、菜種菜と共に、神社に放置されました。

翌日、唐櫃は壊れ周囲が血に染まり、血の点々と続く跡をたどると、武士は中津川の下流、申(さる)村(此花区伝法)で絶命していました。その後村には風水害と悪疫が無くなり、村人は感謝の気持ちを込めて、そのことを神事として現在まで伝えているのです。

ichiya.jpg
「西淀川今昔写真集」より
これは大正15年の一夜官女祭の写真です。貴重ですね。

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場所はJR塚本駅の西側です。槲(かしわ)の橋というのは、旧中津川に架かっていた橋で、小さな石碑が残っています。

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明治18年測量の地図を重ねると、こうなります。

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中津川はよく氾濫していたので、人身御供の伝説も真実みがあります。

さて、
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ここは姫里にある一夜官女祭當矢。
ここに7人の官女が待機していて、神主さん達が迎えに来られます。

IMG_1531_2_20100221005221.jpg
當矢で儀式が行われ、そのあと神社まで行列が進んで行きます。

DSC07110_2.jpg
桶を担いでいるのが見えますが、この中にコイやフナ、ナマズ等の神饌(しんせん)が入っています。

DSC07114_2.jpg
官女達はご両親と共に歩いて行くわけですね。

DSC07138_2.jpg
先頭の方は笙(しょう)を鳴らしています。おごそかな雰囲気の行列です。

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野里住吉神社に到着。

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そのまま本殿に向かいます。

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今年は休日と重なったので見物の方も結構多かった。

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この担いでいるのが唐櫃なのかな。

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本殿へは一般の人は入れませんので、外から覗き見。

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神前に官女たちがちょこんと座ってました。

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こちらで、厳かに神事が行われる訳ですが、

IMG_1681_2.jpg
私は前からこの祭りのことは知っていましたが、見るのは今回が初めて。
祭という名前が付いていますが、どちらかというと神事が粛々と厳かに執り行われてといった感じでしょうか。

IMG_1680_2.jpg
本殿では神事が行われていますが境内には人がなくなってしまった。

IMG_1691_2.jpg
本殿の裏に、一夜官女の乙女塚があります。
ここには昔「龍の池」があって、そこに娘達が運ばれました。
とても悲しいお話ですが、そのことを今の時代まで語り継がれている
この一夜官女祭はとても心に残る祭りになりました。


より大きな地図で 一夜官女祭 を表示
一番下にある印が旧申村。昔は中津川の最下流域の村でした。

(関連記事)
結構おもろい伝法』記事の内容は違いますが、広域地図を見ていただくと、野里村と申村の位置関係がわかります。

(追記)
西宮市の岡太神社でも同じような神事があるようです。一時上臈(いっときじょうろう)というそうで、西宮市指定重要無形文化財に指定されています。野里でも一時上臈と呼ばれていた時期があったようですし、地理的にも近いので、何らかの関係があったのかもしれませんね。


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