2009年09月28日 08:00
計画されていなかった大阪タワー
大阪タワーが建設されたのは昭和41年(1966)。
実はこの塔、当初の完成予想図にも、地鎮祭の新聞記事にも存在せず、
テレビ塔は朝日放送本社社屋9階の屋上にできる予定だったようです。

「朝日放送の50年」より 建設中の旧朝日放送社屋
しかし、将来の大阪都心の高層化を考えると、
テレビ塔は110メートル以上必要だと技術者が主張。
そうなると構造上社屋の屋上では不可能なので
急遽敷地内での建設が決定しました。
すでに本社社屋の基礎工事が始まっていたので、
東京タワーのよう裾広がりは無理でした。
ロケット発射台のようなタワーになったのはそのためです。
タワーは本社社屋とほぼ同時に完成。
「大阪タワー」というネーミングは公募で決まったそうです。

「朝日放送の50年」より
この写真は昭和41年の竣工時の写真でしょうか。
まわりは倉庫と町工場しかない不便な場所でした。
淀川の対岸は私が住む塚本地区です。昔からよく見えてました。

「朝日放送の50年」より
塔に「ブルーバード」の広告が入ってますね。
この時代は日産ではなく、ダットサン・ブルーバード。
ちなみに側面はセドリック。
この当時から朝日放送の一階にはショールームがあったのかな?

「朝日放送の50年」より
ホテルプラザが営業開始したのは昭和44年、
日本万国博覧会が開催される前年にこの建物は完成しました。
万博時代の建造物がまたひとつなくなりますね。

「朝日放送の50年」より
少し時代は遡りますが、朝日放送が旧大淀地区に本社ビルを構える前は、
新朝日ビルに入っていました。
この写真は昭和33年(1958)に新朝日ビルが竣工した頃です。
朝日放送はこの年、OTV(大阪テレビ放送)と合併し、
新朝日ビルの11~13階に新オフィスを構えました。
それまでは朝日会館にラジオのスタジオ等を置いていたようです。
ご存知のように、大阪タワーは現在解体作業中です。
朝日放送旧社屋はすでに解体され、
新朝日ビルも解体が進んでいます。
今は古い「朝日」がどんどんなくなっていくタイミングなんですね。
(※テストでFLASHデータを埋め込んでみました。
Firefoxでは上部に余白が出来るようです。現在原因確認中)
(追記)

「朝日放送の50年」より
開局当時のOTV(大阪テレビ放送)新社屋です。
関西で初の民放テレビが開局したのは、昭和31年(1956)12月1日でした。
朝日と毎日のライバル同士が手を組んでの開局です。
手前の空き地は位置的に新ダイビルが建つ場所のようですね。
(追記)

上で使用した写真のアップですが、面白いモノが写っていました。
この写真は昭和33年(1958)年です。右端のビルは新ダイビル。
でも今と形が違いますよね。ちょうどこの南館がこの年に竣工しています。
昭和38年(1963)に北館が竣工して現在の形になりました。
でももうすぐ解体ですね。テナントもかなり減っています。
(追記)
たくりゅうさんからとても貴重なメダルの写真を送ってもらいました。

大阪タワーでお父さんに買ってもらったというメダルのキーホルダー。
日付は1970年2月11日。万博の年ですね。
画像処理をしましたが、なんと名前もフルネームで入っていました。

メダルの裏と表。どっちがどっちか分からないですが、
大阪タワーと朝日放送社屋のシルエットと雲がモチーフになっていますね。
その裏に銅鐸?のようなものが…
当時同じ大淀区だった長柄で銅鐸が発掘された事があったようですが
それと関係があるのかな?
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大阪タワーが建設されたのは昭和41年(1966)。
実はこの塔、当初の完成予想図にも、地鎮祭の新聞記事にも存在せず、
テレビ塔は朝日放送本社社屋9階の屋上にできる予定だったようです。

「朝日放送の50年」より 建設中の旧朝日放送社屋
しかし、将来の大阪都心の高層化を考えると、
テレビ塔は110メートル以上必要だと技術者が主張。
そうなると構造上社屋の屋上では不可能なので
急遽敷地内での建設が決定しました。
すでに本社社屋の基礎工事が始まっていたので、
東京タワーのよう裾広がりは無理でした。
ロケット発射台のようなタワーになったのはそのためです。
タワーは本社社屋とほぼ同時に完成。
「大阪タワー」というネーミングは公募で決まったそうです。

「朝日放送の50年」より
この写真は昭和41年の竣工時の写真でしょうか。
まわりは倉庫と町工場しかない不便な場所でした。
淀川の対岸は私が住む塚本地区です。昔からよく見えてました。

「朝日放送の50年」より
塔に「ブルーバード」の広告が入ってますね。
この時代は日産ではなく、ダットサン・ブルーバード。
ちなみに側面はセドリック。
この当時から朝日放送の一階にはショールームがあったのかな?

「朝日放送の50年」より
ホテルプラザが営業開始したのは昭和44年、
日本万国博覧会が開催される前年にこの建物は完成しました。
万博時代の建造物がまたひとつなくなりますね。

「朝日放送の50年」より
少し時代は遡りますが、朝日放送が旧大淀地区に本社ビルを構える前は、
新朝日ビルに入っていました。
この写真は昭和33年(1958)に新朝日ビルが竣工した頃です。
朝日放送はこの年、OTV(大阪テレビ放送)と合併し、
新朝日ビルの11~13階に新オフィスを構えました。
それまでは朝日会館にラジオのスタジオ等を置いていたようです。
ご存知のように、大阪タワーは現在解体作業中です。
朝日放送旧社屋はすでに解体され、
新朝日ビルも解体が進んでいます。
今は古い「朝日」がどんどんなくなっていくタイミングなんですね。
(※テストでFLASHデータを埋め込んでみました。
Firefoxでは上部に余白が出来るようです。現在原因確認中)
(追記)

「朝日放送の50年」より
開局当時のOTV(大阪テレビ放送)新社屋です。
関西で初の民放テレビが開局したのは、昭和31年(1956)12月1日でした。
朝日と毎日のライバル同士が手を組んでの開局です。
手前の空き地は位置的に新ダイビルが建つ場所のようですね。
(追記)

上で使用した写真のアップですが、面白いモノが写っていました。
この写真は昭和33年(1958)年です。右端のビルは新ダイビル。
でも今と形が違いますよね。ちょうどこの南館がこの年に竣工しています。
昭和38年(1963)に北館が竣工して現在の形になりました。
でももうすぐ解体ですね。テナントもかなり減っています。
(追記)
たくりゅうさんからとても貴重なメダルの写真を送ってもらいました。

大阪タワーでお父さんに買ってもらったというメダルのキーホルダー。
日付は1970年2月11日。万博の年ですね。
画像処理をしましたが、なんと名前もフルネームで入っていました。

メダルの裏と表。どっちがどっちか分からないですが、
大阪タワーと朝日放送社屋のシルエットと雲がモチーフになっていますね。
その裏に銅鐸?のようなものが…
当時同じ大淀区だった長柄で銅鐸が発掘された事があったようですが
それと関係があるのかな?
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