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アースダイビング 大阪城

2009年04月30日 07:30

アースダイビング in 大阪城

人間は昔から、なにかにつけて「さきっぽ」の部分に関心を持ってきた。そのさきっぽの部分で、人間にとってなにか重要な出来事がおこるのを期待していたからである。(中沢新一『アースダイバー』講談社)

現在大阪城がある一帯は、かつて大きな岬の突端だったと考えられています。そのさきっぽには古代より歴史上重要な様々な施設が建設されてきました。時代時代のリーダー達はなぜこの地に重要な建築物を建てたのか?考えれば考えるほど不思議な場所。ここは最高のアースダイビングスポットなのです。

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縄文地図では岬の先端が北へ延びています。しかし、この延びている部分は砂堆(さたい)であり、大阪城の場所とはかなりの高低差があります。この○で囲んだ場所は古代より崖の突端だったわけです。

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この写真は天満橋駅の少し南側の石段です。ここは上町台地の北端、大阪城の西側です。

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かなり高低差があります。水面の高さまではさらに数メートル下がります。縄文時代にはこの階段の上から湾が見渡せたのです。

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国土地理院のデジタル標高地形図と合わせてを見るとさらに面白い。

大阪城の右下に縄文時代の森ノ宮貝塚があります。この貝塚は45X100メートルという巨大貝塚で大集落があったと考えられます。貝殻も海で採れる貝から淡水産のシジミに変化しており、河内湾が海水から淡水に変わっていった事がわかります。

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ここは貝塚遺跡の展示室がある森ノ宮ピロティホールです。現在は閉鎖中。

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遺跡も見れませんでした。

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貝塚から丘を上っていくと高台になります。その先端部分からは大阪湾が見渡せ、水平線に淡路島が見えていました。太陽は河内湾の生駒山から昇り、淡路島に沈んでいったのでしょう。この高台は木々が生い茂る森だったと想像できます。その森が強い海風を和らげる役割を果たし、森ノ宮の集落は長い期間栄えていたと思われます。


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神武天皇が九州より難波津に着いた時、その高台に生島・足島神を祀ったのが生國魂(いくくにたま)神社の始まりです。時代は弥生。現在の大阪城の場所に建てられといわれています。

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そして古墳時代、法円坂に巨大な倉庫群が建てられました。16棟の倉庫が2列に配置され、小高い上町台地の北端は、大陸などとの交易に便利な場所でもあり、百舌鳥(もず)や古市古墳群を築いた倭王権(やまとおうけん)によって造られたというのが有力のようです。

また、仁徳天皇は難波高津宮(なにわたかつのみや)をこの地に置いています。難波堀江(なにわのほりえ)が開削されたのもこの時代で、河内湖と大阪湾がそれにより結ばれ、この場所はさらに重要な場所になっていくわけです。今の大川がそれだといわれています。

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森ノ宮貝塚遺跡の近くに森之宮神社があります。ここは小さな神社なのですが、由緒ある神社です。589年、聖徳太子は物部守屋(もののべのもりや)との戦いに必勝を祈願し、勝った暁には四天王像を造ると誓われたとか。太子は勝利後この森に元四天王寺を創建されたといわれています。四天王寺が現在の場所に移転する前はこの地にあったのかもしれません。

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ここは古くより鵲森宮(かささぎもりのみや)と称していたようで、森之宮の地名の由来になっています。名前からもこの高台が深い森だったことがうかがえます。


大化の改新(645年)により曽我氏が滅び、孝徳天皇が即位、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が飛鳥からここ難波へ遷都をします。
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その難波長柄豊崎宮(なにわながらとよさきのみや)・前期難波宮が置かれたのがこの場所です。ここには、たとえ様がないほどの立派な宮殿が造られました。しかし686年に全て消失しています。

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都が奈良(平城京)に移った後の734年には副都として難波宮が再建されました。それが後期難波宮といわれているものです。

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時代は1496年の戦国時代、本願寺の第8世宗主蓮如(れんにょ)が現在の大阪城がある場所に石山本願寺を建てます。生國魂神社の境内であったようです。石山本願寺といえば、現在の北御堂、南御堂のルーツになります。ただ、遺構が発掘されていないので正確な場所はわかっていません。

余談ですが大坂という地名が初めて歴史上登場するのが蓮如の手紙だそうですよ。

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そして、豊臣秀吉は石山本願寺を利用して大坂城を築城します。その後、徳川大坂城が豊臣大坂城を覆い隠すように築かれました。

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そして現代、ここは大阪の政治の中枢・大阪府庁です。
しかしこの土地にはもうさきっぽ感はなくなってしまったのでしょうか。

あるのは崖っぷち感のみ…

でも、ここから なにかが変わってくれそうな…


【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ

【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25

(関連記事)
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大阪アースダイバーへの道2010.04.25
アースダイビング in 上町台地2010.04.11
アースダイビング in 大阪城2010.04.30
アースダイビング in 生國魂神社2009.04.16
アースダイバー in 大阪2009.04.12


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信達宿の野田藤

2009年04月25日 00:00

信達宿の野田藤

信達宿(しんだちしゅく)とは熊野街道の宿場町で、今でも当時の面影を残している貴重な地域です。その街道沿いに見事な野田藤の花を咲かす場所があります。とにかくすごい!

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JR和泉砂川駅を降りて駅前の道を海の方へ歩いていくと、すぐに熊野街道(紀州街道)にさしかかります。この写真は和歌山方面。とても落ち着いた雰囲気です。

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こっちは和泉佐野方面。なにやら賑やかそうです。

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熊野街道沿いを歩いて5分くらいでしょうか。目的の家に着きました。

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どうです?
まさに「たわわ」!

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ここは故・梶本昌弘さんの個人宅です。梶本さんが愛情込めて育てた野田藤を、「熊野街道信達宿 藤保存会」の方々が守られています。

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敷地内に入っていくと甘い香りに包まれますよ♪

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一般公開期間中は中庭にも入れます。

ふじまつり 4月25日(土)・26日(日) 9時~17時
一般公開 4月18日(土)~29日(祝) 9時~21時

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なんと! 上にも上れます♪

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上から見た熊野街道も雰囲気があります。

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ただし手造り階段なので、足元に注意してくださいね。

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この見事な野田藤は約3万の花房をつけていると言われていますが、いったいいくつの株からできていると思いますか?

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実は、この一本だけです。

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根元もしっかりしていますが、延びていく枝も立派です。樹齢は約30数年だそうです。

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近寄るとかわいらしい花です。

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この信達宿の野田藤は『大阪ミュージアム構想』のベストセレクションにも選らばれています。

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私が梶本昌弘さんの野田藤を知ったのは昨年の今頃でした。ちょうど野田藤について調べていた頃。江戸時代には、「吉野の桜、野田の藤、高尾の紅葉」といわれた「野田藤」がどれほど美しかったのか、梶本さんの野田藤の写真を見た時にわかりました。

(関連記事)
『復活した野田藤』

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しかし、今年の初めに梶本昌弘さんがお亡くなりになっていたことを新聞で知りビックリしてしまいました。

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でも、今年もとてもたくさんの花が咲きましたね。熊野街道信達宿藤保存会の皆様にも感謝です。


今年の一般公開は4月29日(祝)までです。
詳しくはこちらを↓
『信達宿の野田藤 熊野街道信達宿 藤保存会のホームページ』


最後に梶本昌弘さんが書かれた野田藤の育て方です。
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一本の野田ふじ歳時記
美しい花房を三万以上つけさせるコツ


四月下旬、花房が3cm程になった時
むらさき色が濃くなるように尿素を地面に散布
五月、来年も美しい花房を同じ数だけつけさせるため
満開をすぎて4、5日たつと花房を全部刈りとる。
すぐにご苦労さん肥料を投入(化成8.8.8)


七月中旬、剪定はしりつるを刈り取る
毛虫の駆除、他 トップジン殺菌剤
元気があると夏花が咲く


剪定二度目に伸びたつるを切る
毛虫の駆除殺虫剤 他 トップジン殺菌剤


1月~2月 葉芽をおとし花房を計算して整枝剪定をする
寒肥油カスをたっぷりと施肥

愛の肥料をおわすれなく



(追記)
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テレビでも取り上げられますので、ぜひ!


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瑞光寺のくじら橋

2009年04月21日 09:45

瑞光寺・雪鯨橋

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東淀川区役所が地元の伝承を絵本にしています。その中に「くじら橋」というお話があります。

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ここは阪急上新庄駅から歩いて数分の所ある瑞光寺(ずいこうじ)。由緒あるお寺です。

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このお寺にはちょっと変わった橋があります。

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それが雪鯨橋(せつげいきょう)。クジラの骨で造られた橋です。

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くじら橋とはこんなお話です…
時は宝暦6年(1756)、4代住職の譚住知忍(たんじゅうちにん)という名僧が紀伊の国の太地浦(たいじうら・和歌山県太地町)を通りかかると、村はクジラが捕れず飢えに苦しんでいました。村長の覚右衛門と網元の次右衛門は偉いお坊さんが訪れたことを知り、涙ながらに祈祷をお願いします。

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しかし、仏の道には生き物を殺すことを禁ずる教えがあるので何度も断りますが、村人が苦しむ姿を見かねて、2週間の祈りを続けました。そして満願の日の朝、水平線が黒く染まるほどの鯨の大群が現れたのです。村人は喜び沖にでます。

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知忍禅師(ちねんぜんじ)は浜に上げられ次々と解体されるクジラの姿を見て呆然と立ち尽くし、こっそりと瑞光寺に戻りました。

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「和尚にお礼をせねば」と覚右衛門達は瑞光寺をたずね、黄金30両と鯨の骨18本を置いて帰ります。知忍禅師は鯨の冥福と生き物の命を大切にするという気持ちをこめて、弘済池(こうさいち)に鯨の骨で橋を造りました。

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という実話です。現在ある橋は6代目。

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古くなるたびに太地町の協力で架け替えられています。

『雪鯨橋のかけかえ作業~鯨骨埋設』 クジラTOPICS
『雪鯨橋が骨付け替え』 ☆大阪百科☆ニュース

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5代目の骨はここに置かれていました。

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こんな所にも骨が。井戸のフタのオモリでしょうか。

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この骨のゲートはおそらく今年からだと思います。

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ところで、このくじら橋は地元の郷土史に関心のある方にはちょっと知られた存在です。

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というのも、こんな小冊子もあるから。
これは淀川区役所が発行している郷土史で、ほぼ全ての大阪市立図書館においています。この冊子は地元にお住まい(私の家の近く♪)の三善貞司(みよしていじ)先生が編者で、地域の郷土史をとてもわかりやすく解説しています。『淀川流域の伝承』には鯨橋のことも書かれています。三善先生は地域史研究者として有名な方です。

淀川区、淀川流域の史跡・伝承に関心のある方はぜひ図書館でお探しください。もっともっと広く読んでもらいたい郷土史です。


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