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中之島の貸しボート

2008年11月28日 01:03

中之島の貸しボート

先日、マイクロフィルムで探し物をしていた時、偶然こんな記事を見つけました。中之島の貸しボートがなくなる直前?の記事です。昭和40年代までは残っていたようですね。

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「朝日新聞 昭和46年8月10日」より

中之島の貸しボートの始まりは、大正6年で広島の漁民が夏場の出かせぎに始めたのだそうです。最盛期の昭和30年代には24軒のボート屋がありました。この記事が書かれた昭和46年頃は川の汚れがかなりひどかったようで、土佐堀川の生物化学的酸素要求量(BOD)の数値が昭和43年で33ppm。国の基準の3倍以上でした。ボートの上は鼻をつく悪臭だったのだと思います。

今はかなり川の水も綺麗になったのではないでしょうか。夏場の貸しボートの復活ってないのかな?

(関連記事)
『いも虫と呼ばれた市電』
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-130.html


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「昭和の大阪」より
昭和27年頃の土佐堀川です。またこんな風景が見れるといいですね。

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淀屋橋の近くにボート置き場がありますね。

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新聞記事によると、大阪市と契約している台風災害救援事業の救難ボートととして、ただ置いているだけのボートが200隻もあったそうです。これもそうなのかな?

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かき広遊船部?

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淀屋橋にある「かき広」は大正9年の創業だそうです。中央公会堂が出来てすぐですね。

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ちなみにこんなメニュー。結構リーズナブルです。

今回はプチネタです(笑)。
中之島シリーズは少しお時間を…(汗)


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中之島ルネサンス2

2008年11月26日 07:30

中之島ルネサンス 府立図書館篇

現在の正式名は大阪府立中之島図書館。昭和49年に現在の名前に改称されました。明治21年、大阪で唯一の図書館であった「書籍館(しょじゃくかん)」が廃館。明治18年の大洪水などによる府の財政難が原因のようです。以降大阪には図書館がありませんでした。明治33年、住友吉左衛門友純(ともいと)氏が図書館建物一式と図書購入基金の寄付を願い出ます。こうして、念願であった図書館が建設されることになったのです。

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設計は住友本店臨時建築部技師長の野口孫市(まごいち)氏。姫路生まれで東京帝国大学工科大学造家学科卒業後、大学院で耐震構造を学び、明治33年に住友本店に招かれます。第一作がこの府立図書館で、明治33年に建築を着工し、明治37年に完成しました。

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「なにわ今昔」より
竣工当時の図書館です。前に豊臣秀吉の銅像があったようですね。

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「Googleマップ」より
竣工当初は十字型のデザインでした。

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「大阪市の100年」より
明治37~38年の写真と思われます。前の公園には大砲が据えつけられていました。日露戦争の戦利品だと聞いたことがありますが、正確な情報ではありません。メイド・イン・大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)かもしれません。

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「ふるさと想い出写真集 大阪」より
明治30年代後半頃の写真と思われます。左から府立図書館、明治36年に竣工した中之島旧公会堂、明治36年に竣工した大阪ホテル、一番奥が銀行協会ではないかと思います。この頃は栴檀木橋がなかったようですね。

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正面の大きな柱が特徴ですね。建物の建築様式でいうとネオ・バロック様式になります。古い資料を見るとネオ・ルネサンス様式を表記している場合もありますが、府立図書館のサイトではネオ・バロック様式としています。微妙な解釈の違いなのでどちらも間違いではありません。

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細部を見ると丁寧な彫刻が施されています。

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このドームも特徴ですね。

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中から見るとこんな感じです。綺麗ですね。

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この階段もバロック様式の特徴なんですよ。

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「大阪府立中之島図書館九十年」より
大正11年に左右両翼が増築されました。両翼は当初から野口孫市氏の補佐をしていた日高胖(ゆたか)氏の設計によるものです。本館と見事に調和していますね。この増築の費用も住友家の寄付によるものです。昭和49年、本館および左右両翼の3棟が国の重要文化財に指定されました。

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「大阪府立中之島図書館九十年」より
昭和25年頃の写真です。当時は正面の入口から入っていたんですね。

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「中之島 よみがえれ わが都市」より
昭和40年代後半の写真のようです。入館の順番を待つ学生です。懐かしいな。私も学生の頃に並んでいました。私は昭和50年代後半かな。

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(追記)
大阪ボランティア協会が中之島を中心に「体験!フィールドワーク市民塾6」を開催します。申し込みの締め切りが2008年11月28日(金)(定員30名、先着順)です。ご関心のある方はいかがでしょう。
講師は大阪歴史博物館学芸員の酒井一光さんです。面白そうなお話が聞けるかも…。

http://www.osakavol.org/events/081206shiminjuku6.html

(追記)
『混沌写真』のカオスさんが館内を綺麗に写しています。
http://chaos08.blog17.fc2.com/blog-entry-42.html






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中之島ルネサンス

2008年11月23日 07:30

中之島ルネサンス 日本銀行篇

大阪では明治10~20年は洋風建築の空白地帯だったそうです。日清戦争後の明治30年代から洋風建築が増えていきます。現在中之島にある最も古い洋風建築は日本銀行大阪支店です。明治31年(1898)に着工され明治36年(1903)に竣工しました。設計は東京の日本銀行と同じ辰野金吾とそのスタッフ。完成までに6年の年月をかけて完成しました。

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このドーム型の屋根が目印ですね。高層ビルや高速道路ができた現在も、梅田新道から確認できます。

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建築様式でいうと全体はネオ・ルネサンス様式ですが、一部玄関ポーチの柱などはネオ・バロック様式になります。

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左右対称の美しい設計です。意外かもしれませんが重要文化財ではないんですよね。

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正面の柱は丸と四角が混在しています。珍しいデザインですね。

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「大阪市100年」より
手前は旧淀屋橋です。明治45年に市電が通りますので、それ以前の写真のようです。

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「写された大阪-近代100年のあゆみ」より
いつ頃の写真か不明ですが、大八車が時代を感じます。

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「なにわ今昔」より
昭和50年代の写真です。外壁がかなり薄汚れています。昭和55~57年にかけて大掛かりな復元・改築工事を行い現在の姿になっています。重要文化財に指定されていないのはそのためかもしれません。

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(追記)
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イチデジ買って初めて夜景を撮ってみました。フィルム時代は現像しないと綺麗に写っているかどうかわからなかったのに、その場でわかるというのは便利ですね。