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十三・塚本の地蔵盆

2008年08月24日 01:00

地元の地蔵盆

子供たちの夏休みも終わりにさしかかり、セミの声もめっきり減ってきましたね。近所を歩いていると町のあちこちにある地蔵尊が綺麗に飾られていました。そうか、今日は地蔵盆なんですね。

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子供たちにとっては、お菓子などがもらえて楽しいイベントですが、お地蔵さんをお世話している方々がたくさんいるんだと感じる日でもあります。十三や塚本地区に、地蔵尊は結構残っています。いつも町の片隅にポツンと存在しているお地蔵さん、この日だけは近所の子供や大人が集まってきて、とてもうれしそうです。だって、そんなお顔をしてましたから。

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(1) ここは十三本町2丁目の延命地蔵尊です。今日は雨だったので、お世話をしている方が濡れないようにシートかけていました。

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(2) 十三元今里の銀座通りのお地蔵さんです。

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(3) 神津小学校の北西角にあるお地蔵さん。おばちゃんが楽しそうにおしゃべりしてました。

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(4) ここはおそらく十三で一番有名なお地蔵さん。平和地蔵尊です。東横インの角にあります。

『鏡ヶ池の平和地蔵尊』
 ←過去の記事です。

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(5) これは新北野コーポの横にあるお地蔵さんです。

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(6) これは十三バイパスの下にある小さい地蔵尊です。

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(7) 十三元今里のモータープールの中にある地蔵尊です。結構立派な祠です。

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(8) 塚本5丁目の家の玄関口にある地蔵尊です。

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(9) JRの鉄橋の下にある延命地蔵尊。以前記事にしたことがあるのですが、元々木彫りの地蔵でした。しかし、盗難にあい(2回も)現在は備前焼の地蔵尊だそうです。

『鉄橋の下のお地蔵さん』 ←過去の記事です。

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(10) これは塚本4丁目にある地蔵尊です。家の玄関口にあります。

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(11) これは旧塚本村の中心地で塚本4丁目にある地蔵尊です。ちょうど読教をされていました。


初めて聞きました。(28秒)


大きな地図で見る
他にもまだお地蔵さんあるんですけど、回れませんでした。

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(追記)
23日に撮り損ねた所を回ってみました。地蔵盆は京都が始まりで、関東にはないそうですね。大阪でもしっかりと根付いています。柏里、野里の方も見てきました。

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(12) 十三本町2丁目の地蔵尊

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(13) 淀川通り沿いのドンキホーテ前のモータープールにある地蔵尊

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(14) 十三元今里2丁目の地蔵尊

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(15) 元今里墓地前にある地蔵尊

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(16) 廃業してしまった菊水湯の裏にある延命地蔵尊。ブルーシートは前日に降ったの雨よけです。

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(17) 柏里3丁目の商店街横にある地蔵尊

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(18) 柏里住宅内にある延命地蔵尊

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(19) 野里の池永邸前の地蔵尊

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(20) 国道2号線沿いの地蔵尊。奥の道路は国道2号線です。


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梅田繊維街の移転

2008年08月21日 02:20

大阪駅前の歴史(8) 
梅田繊維街移転篇


昭和34年11月、梅田繊維街は大阪市より大阪駅前区画整理の提示を受けます。梅田繊維街借家人組合は区画整理に反対し、市当局と数十回にわたる折衝を進めていきました。話合いを重ねる内に、集団移転という打開策が浮上してきます。しかし市当局側から提示された候補地には組合の希望を満たす土地はありませんでした。

昭和36年、大阪市は新幹線の新大阪駅ができることに伴い、その周辺を区画整理することに決めます。そして新大阪駅周辺が移転の候補地として持ち込まれたのです。

組合側も大阪駅前と同様な繁盛が見られるであろうとし、具体的に事業を進めていくことになります。しかし事業を進めるには多額のお金が必要です。組合員は一店60万円の積立てを開始し、市当局も法律の許す限りの協力をしたようです。最終的には用地を市が用意し、換地後組合がそれを買い取る形をとりました。

昭和41年、長期間にわたる大阪市との交渉を経て、仮換地の発表を得、約11,000坪の用地が確定しました。その土地に400余の組合員を収容する建築物が建設されていきます。事業は国と大阪府をも巻き込む大事業になりました。昭和42年11月に工事を起工、大阪万博を翌年に控えた昭和44年9月1日、大規模な繊維問屋が協業する「新大阪センイシティ」が華々しくオープンすることになったのです。

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「おおさか100年」より
昭和37年頃の大阪駅前です。阪神百貨店が増築中。その裏に広がる密集地が梅田繊維街です。僅か3500坪ほどの土地に、繊維品卸業の店が700~800(※)もひしめき合っていました。
(※)資料ごとに数字が違うので実際の店舗数はわかりませんでした。この数字は「新大阪センイシティ10年史」より。

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「大阪駅前市街地改造事業誌」より
昭和30年代初期の梅田繊維街の地図です。繊維街は各町内会を結成していました。「丼池町会」「稲荷町々会」「曽根崎中二町会」「親交会」などがそれです。

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「なにわ今昔」より
昭和26年10月撮影。梅田繊維街の賑わいです。繊維街の店のほとんどが土地を持たない借家人でした。ビルができると無償でビルを手に入れられるのは家主だけだったのです。

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「新大阪センイシティ10年史」より
狭い道路に車がひっきりなしに入ってきます。当然駐車場なんてなかったでしょうね。

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「大阪駅前市街地改造事業誌」より 
昭和36年頃です。日本一高い家賃といわれながらも、営業を続けられたのですから、いかに儲かっていたかがわかります。

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「新大阪センイシティ10年史」より
繊維街の家屋はバラック建ても多く、道路も狭小で迷路のようだったようです。

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「大阪駅前市街地改造事業誌」より
これは区画整理の反対運動の様子です。大阪市庁舎に数百体のマネキンがパレードをしたそうで、地元の組織も梅田繊維街の他に地主や家主、外国人の組合などが入り混じっていました。

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「大阪市100年」より
昭和45年頃の梅田繊維街です。駅前第一ビルが完成し、梅田繊維街の多くの店舗は新大阪の新天地に移転しています。

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現在のセンイシティーです。
中学校の頃、自転車でここまで学ランを買いに来ました。裏に刺繍は入ってないけどちょっと長いヤツです w

余談ですが、当時(昭和50年代)は3~4件の学ランの店があって、学校内では有名な場所でした。中ラン(裏に龍の刺繍が入っていた)とか小ラン、ズボンも太いツータックボンタンとか流行りましたね。ちょうど校内暴力全盛時代で金八先生が一番元気だった時代です。


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淡路島逍遥

2008年08月20日 00:10

淡路島逍遥

夏の淡路島といえば、「海」、「釣り」、そして「カブトムシ」です(笑)。今年は一本の木で10匹ほど捕まえました。そんな淡路島は「国生み神話」でも有名で、それと関係があるかはわかりませんが、町のあちこちに神様が鎮座しています。

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多賀の浜海水浴場前の石碑。県道沿いの崖にひっそりとあるので気付く人は少ないかも。

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ちなみにここが多賀の浜海水浴場です。夕方なので海水客は少ないですが、遠浅で小さい子がいる家族にはいいところです。夕日が海に沈むスポットです。

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ここは江井と明神キャンプ場の間の県道沿いにある洞窟です。

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昔から気になっていた場所で、初めて中をのぞいてみました。が、何が祀られているのかはわかりませんでした。

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海沿いにある「枯木神社」です。

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日本最初の香木伝来伝承地なのだそうです。江井の町は線香の町としても全国的に有名です。

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神社の裏にけったいな石が二つ。

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子宝石というそうで、海面に大きな石が10個ほど顔を出した上に女性が肌襦袢でしゃがむという祭りがあるそうです。けったいな祭りや。

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石といえば、郡家にある「濱神社」にもけったいな石があります。

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「陰陽石」というそうで、安産、子育て、夫婦円満の神様だそうですよ。この地域は「夫婦岩」や「俵石」といった自然石を祀っている場所もあります。地域的に自然石を信仰していた土地なんでしょうか?
夫婦岩・俵石 『神戸観光壁紙写真集』

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「濱神社」のすぐ横の民家と民家の間にこんな鳥居がありました。

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「才神」とあります。「サエノカミ」とよむのでしょうか。

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郡家の町は阪神・淡路大震災の被害が大きかった場所です。「蛭子神社」はまだプレハブのままです。

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「蛭子神社」の復興を見守りたいですね。

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伊弉諾神宮と郡家を結ぶ県道88号沿いにある「大木神社」と、

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「櫛笥神社」、

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それに名前がわかりませんが、小さな祠が続きます。神様がいっぱいでしょ。

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ちょっと離れて、江井の小さい山の天辺に「平見神社」があります。歴史のある神社のようですが、

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鳥居の台が亀の形をしてました。珍しいのではないでしょうか。

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そういえば、関係ないかもしれませんが、伊弉諾神宮の手水場にも亀が。龍が多いですよね。亀って珍しいんじゃないかな?

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ここは、江井の住吉神社です。大阪の住吉神社と西宮神社に縁があるようです。

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ここに不思議な石像が。よくみると重たそうな荷を担いでいる像のようです。かなり古そう。

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尾崎の「尾崎八幡神社」は鳥居も拝殿も綺麗です。復興に人力を注がれた方々の苦労が偲ばれます。

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境内に立派なクスノキがありました。根元に小さな祠があって「楠神社」とありました。

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尾崎の町外れに小さな「戎神社」がありました。綺麗に草を刈っていました。

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以外と町でお地蔵さんを見かけませんでした。これは尾崎の町にあった地蔵尊です。


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