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ミードの森

2008年02月27日 01:50

ミードの森も大きく育ちました。

明治41年(1908)、ラビニア・ミード女史によってバプティスト女子神学校が設立されました。それがミード社会館の始まりです。

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明治41年頃の十三周辺は、新淀川の開削工事が終わろうとしていた時代です。それにともない、旧中津川の埋め立てが進んでいます。新淀川がこの地の南側でとてつもない規模で出来ようとしているのです。ミード社会館は地理的には、旧中津川の堤防の近くで、昔から残る森の横になります。大正5年(1916)には神愛幼稚園を開設、昭和12年(1923)に旧ミード社会館が完成します。会館の横にある森はミードの森として地域の人たちに親しまれました。

現在のミード社会館は、ミード保育園と大阪コミュニティワーカー専門学校を有し、専門学校では地域実践活動の中で、介護福祉の人材養成を行っています。日本で一番の歴史を持つ介護福祉士の養成校だそうです。また、在宅介護やデイサービスなど地域の高齢者とも深く関わっており、地域にはなくてなならない施設のひとつとして大きく育っているのです。

map06.jpg
明治42年の地図
旧中津川の埋め立てが進み、明治40年、その地に修徳館が建設されます。翌41年には生徒2名を収容したとあります。ちょうどその時代にバプティスト女子神学校が設立されることになるのです。

map05.jpg
現在の地図(Googleマップ)より

map04.jpg
昭和10年から20年頃 「思い出の十三 イラストマップ」より
この頃は敷地内には、テニスコートや女子寮があったようです。ミードの森は現在の十三公園ですが、よく見るとプールの文字が見えます。公園内にプールがあったようですね。

ミード03
昭和30年代のミード社会館 「東淀川区史」より
現在の建物にいつ頃建て替えたかわかりませんが、私の子供の頃はこんな建物だったように思います。

ミード01
十三公園から望むミード社会館(昭和30年代) 「淀川今昔写真館」より
大阪神愛(しんあい)教会は、大阪新町教会と淀川教会が合併してできた教会です。1945年の大阪空襲により、両方の教会の礼拝堂が焼失し1948年に二つの教会が合同して新たな出発をしました。この頃は、十三公園との境に塀がなく生垣でした。開放的でいいですよね。

ミード02
昭和30年代の大阪神愛教会 「東淀川区史」より
あらら、ブロック塀ができちゃいました。

ミード05
現在の大阪神愛教会。後ろの緑は十三公園の樹木です。

ミード04
現在のミード社会館の全景。
道路の向こうに見える屋根は空楽寺です。空楽寺も明治41年にこの地に移ってきました。この地域の中津川があった時代の地図は、2007年11/24の「消えた中津川3 十三篇」を参照ください。

mori.jpg
ミードの森は大きく育ちました。十三公園では、毎朝数十人の人が集まってラジオ体操をされています。朝早くこの辺りを通ると、ラジオ体操の音楽が聞こえてきますよ。みなさん健康的です。私はダメですけど…

P1050169.jpg
このお猿さんも十三公園に昔からありますよね。


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阪急のガード下拡張工事

2008年02月23日 03:00

阪急のガード下拡張工事

阪急電車と淀川通りが交差するガード下拡張工事が現在進行中です。地元人からすれば我慢できる不便さだったのですが、我慢できない方々も多かったのでしょう。

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新北野の交差点、朝夕は結構渋滞します。いまの時代、一方通行のガード下道路は時代遅れになってしまったのかもしれません。(現在、東から来る車は、淀川区役所を左折し線路沿いに淀川の方へ迂回しています。バスも迂回です)この工事に掛かる費用は約80億円と聞いています。この80億円が高いか、そうでないかはこの場で言っても仕方がないですが、双方向の道路が完成すれば、交通もスムーズになることでしょう。

区役所前
昭和35年頃の淀川区役所前「淀川今昔写真館」より
旧東淀川区役所(現淀川区役所)が建設中です。その前を通る淀川北岸線は、当時西行きの車もガード下を通っていました。一車線の双方向なので、渋滞もこの頃からあったようです。もっと遡ると、踏み切りがあった時代は馬車やリヤカーが渋滞してました。昔から渋滞する場所だったようですね。この時代の車は個性的ですね。トラックの後ろにダイハツミゼットも見えます。

交差点02
「明日をひらくまち淀川区」より
昭和30年代の写真だと思われます。現在の新北野交差点は、十三南交差点とよばれていました。当時、角の銀行は神戸銀行でした。

交差点01
昭和50年代の十三南交差点「明日をひらくまち淀川区」より
昭和50年代の写真が懐かしい写真の部類に入る時代になってしまいました。富士、三和、住友、太陽神戸…、銀行の名前が懐かしく感じます。

交差点03
昭和50年代の十三南交差点「明日をひらくまち淀川区」より
武田薬品の看板が道路の真正面に設置されています。淀川をはさんだ対岸からよく見えるはずです。

区役所01
昭和50年代の区役所前「明日をひらくまち淀川区」より
タンクローリーの前を走るトラックが左折しています。現在はここで全ての車が迂回します。間違えてそのままガード下の道を直進する車を見かけたことが数回あります。角に交番があるのですが、警官が慌てて逆走する車を追いかけるのを何回か見かけました。拡張工事が完成すると警官も少しは安心できるのではないでしょうか。

区役所
淀川区役所です。クスノキが大きく育ちました。
旧十三市民病院跡地で建築中の、淀川区役所新庁舎の完成は今年の秋(平成20年10月竣功予定)です。新庁舎完成後、現区役所の場所をどう活用するかが今後の課題ですね。十三駅前では珍しくまとまった広い区画なので、区民が喜ぶ、街が活性化する建物ができることを期待します。梅田北ヤードの開発に伴い、「西梅田・十三連絡線」の構想が動き出したようですが、現区役所の跡地もそれに絡んでいくことになるかもしれませんね。

高架工事
この線路の向こうが新北野交差点(旧十三南交差点)になります。工事の完成は平成23年だそうです。線路が上を走っているだけに、結構時間がかかるんですね。見慣れた進入禁止の文字もそろそろ見納めです。

新高架
完成予想図「淀川散歩」より
愛想の無いガード下の道路になってしまいます。



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淀川通りができる前 2

2008年02月18日 00:00

淀川通りができる前 2

戦後のどさくさにまぎれて、不法建物が多数建てられました。その影響で復興土地区画整理事業がほぼ完了したのは平成に入ってからだそうです。

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戦後、空襲で焼け野原になった被災地に急速に建物が建設されました。当然不法建築も多く、どこから入ってくるのか「早いもん勝ちや」とにわか地主が生まれて混乱したようです。復興土地区画整理事業による建物移転の全体計画は1024戸、昭和23年から着工しましたが容易に進まず、昭和33年度で移転が完了したのは全体の75.9%の777戸でした。淀川北岸線(淀川通り)は昭和26年に着工し、昭和38年には全体の92%が完成。その後中断し、昭和47年に再開し昭和62年度に99.1%にまで達しました。
平成8年の時点で、事業全体の進捗率は98.5%です。まだ14戸の建物の移転が残っていました。現在はどうなっているのでしょうか。

空撮高架
昭和33年の十三駅上空
阪急の高架がまだ真新しい感じがします。当時は交通量も少なかったので、双方向に車が行き来していました。交通量が増えだして東行きの一方通行になりました。ちなみに、京阪神急行電鉄(現阪急)の京都線がちょうど工事中ですね。

北岸線
淀川北岸線を走る市バス「東淀川区史」より
昭和30年代の写真です。おそらく十三市民病院の辺りだと思います。バスの後ろの看板が十三市民病院と読めるような読めないような…。停まっているオート三輪がいい感じです。

十三公園手前
昭和30年頃「淀川今昔写真館」より
塚本から十三方面を見ています。向こうに十三公園が見えます。道路をはさんだ右手は新北野中学校です。右手前に杏和病院という文字が見えます。当時はまだ横断歩道がありません。信号もありませんね。いつ頃からできたのでしょうか。

P1050218.jpg
新北野中学校前の歩道橋から東方面を見ています。

淀川通り
新北野第二コーポ前の歩道橋から西方面を見ています。右が十三公園、左が北野高校です。

塚本四丁目
昭和33年頃「淀川今昔写真館」より
塚本四丁目の辺りから東方面(十三方面)を見ています。向こうに塚本小学校が見えます。右手の大きな木がある所は現在のメゾンインペリアル菅本がある場所です。それにしても、道路の真ん中のおばちゃんはお仕事をしているのでしょうか?

塚本小学校
昭和30年頃の塚本小学校「東淀川区史」より
左の道路が淀川北岸線です。まだ工事前のようですね。

P1050202.jpg
塚本四丁目の辺りから東方面(十三方面)を見ています。左手の低いベージュの建物が塚本小学校です。右手のマンションがメゾンインペリアル菅本です。約50年の年月で淀川通りはマンション通りに変わってしまいました。

菅本泰02
メゾンインペリアル菅本の裏にあるお屋敷です。門が立派です。


(追記)
sekitan.jpg
「おおさか100年」より コメントの中で木炭バスが話題になりましたので追記しました。昭和16年の日米開戦からガソリン車の営業が禁止、市バスはすべて木炭、薪や石炭を使った代燃車に変わったと書かれていました。



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