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消えた中島大水道2

2007年10月26日 07:00

消えた中島大水道 2

江戸時代、北中島一帯は一万数千石の米を生産する農村でした。しかし、低湿地で洪水がひどく、田畑にあふれた雨水などを排除できず、村民は幕府に排水路の設置を何度も何度も訴えました。しかし、やっと下された幕府の工事許可は、幕府は費用を一切出さないというものでした。

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延宝6年(1678年)、「せめて多少の補助を」と嘆願すると、感情を害した幕府は許可を取り消してしまいました。度重なる水害で耐えられず、ついに三人の庄屋(澤田久左衛門、一柳太郎兵衛、西尾六右衛門)は、無許可のまま工事を強行。
しかしそのことが、幕府の逆鱗に触れ工事の即時中止と出頭を命じました。そこで3人は西村の細目木(さいのき)に集まり、延宝6年4月9日、抗議の自決を果たしたといいます。この悲壮な行為に農民たちはいっそう団結し、難工事を短期間で完成させました。その三人の遺徳をたたえ祀られたのが「さいの木神社」です。

さいの木神社
西中島の「さいの木神社」。ビルの谷間にひっそりとありました。新大阪駅から数百メートルの場所にあります。

さいの木
にれけやきのご神木は2本とも枯れていました。横にある木は二代目でしょうか。

東雲橋付近対象12年
野中のアケミ幼稚園のあたりと思われます。

十三元今里付近昭和25年
昭和25年頃の十三元今里付近とあります。どの辺りかな?

十三病院付近昭和30年
十三病院付近らしいです。まった面影がありません。


(追記)
nakajima001.jpg
「東淀川区創設70周年記念誌」より
昭和38年頃の新大阪駅の東口の辺りだそうです。奥の工事中の建物は新大阪駅です。手前のドブ川が中島大水道です。川としての機能が失われているのがわかります。


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(関連ブログ)
『消えた中島大水道 1』
『消えた中島大水道 3』

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