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ふりだしに戻ろう。

2007年10月30日 07:00

やっと見つけました。思い出の十三 イラストマップ

このブログをはじめるきっかけになったのが、「思い出の十三 イラストマップ」です。最初にこのマップの存在を知ったのは、東横インの工事現場でした。工事フェンスに十三の昔の写真を展示していた期間がありました。そこにこのイラストマップも貼ってあったのです。どこか懐かしく、見ていてとても楽しくなるマップでした。

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しかし、しばらく通らないうちに、その展示はなくなってしまいました。なくなってしまうとまた見たくなるものです。いろいろ探しているうちに、偶然本屋で見つけました。「大阪人」のバックナンバー(2001年10月号)に十三特集があります。そこにこのイラストマップが掲載されていたのです。

このイラストマップは誰が制作したかというと、中津第三小学校(成小路小学校)の同窓生の方々がまとめたものです。昭和10年~20年頃の十三が描かれています。歴史の資料としてもかなり貴重だと思います。

地図をみていると、「今そこはどうなっているのか」「当時はどんな風景だったか」が知りたくなりました。そして、このブログをはじめたのです。しかし、掲載されていた地図は部分的にトリミングされて見えない部分がありました。なので、オリジナルのイラストマップをずっと探していたのです。そして、やっと見つけました。サイズは意外と大きく四つ切の画用紙ほどの大きさです。画面のすみっこに描かれているイラストをやっと見ることができました。ちょっと感動です。これをきっかけにもう一度イラストマップの魅力に迫っていきたいと思います。

juso_oldmap.gif
思い出の十三 イラストマップの全体像

002.jpg
武田薬品の横にタイガー計算器があります。タイガー計算器とは機械式の手回し計算器を作っていた会社です。今の場所でいうと淀川区民センターの前、阪急インテリアスタジオなどがある辺りです。興味のある方は検索してみてください。おもしろいですよ。

003.jpg
マップの右下に中津の富嶋神社が描かれていました。7月14日はお祭りだったのでしょう。おみこしの絵にお渡りと書いていますね。当時、岡崎牧場より南側、淀川の堤防沿いに富嶋神社の御旅所がありました。御旅所から十三大橋を渡って富嶋神社まで宮入を行っていたのでしょうか。シジミを掘っている人がいますね。淀川の水も今はかなりきれいになりました。

004.jpg
マップの左上。10月17日のブログで紹介した元今里墓地と菊水湯です。お風呂屋さんの隣は散髪屋さんでした。市営住宅内にお地蔵さんがありました。水路も描かれています。中島大水道(大野川)ですね。

005.jpg
マップの右上に国鉄の線路が描かれています。機関車がもくもくと煙を吐いて走っています。宮原操車場から出てきたのでしょう。今は新幹線がその上を走っています。フミキリとありますが今でもここには踏み切りになっています。

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(追記)
東横インの工事現場にあったパネルの写真がこちらのブログにありました。
うれしい!

「大阪十三のテンキッちゃんのヨタ話!」


『昔の十三』
『昔の十三…その2』
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消えた中島大水道3

2007年10月28日 07:00

消えた中島大水道 3

中島大水道の名残が残っていないか歩いてみましたが、ほとんど残っていません。十三バイパスの辺りに数ヶ所堤防の石段がかろうじて残っているくらいです。

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中島大水道は十三バイパスから外れ西へほぼ直角にカーブします。その辺りの道は、くねくねと蛇行しており、川の名残といえば名残かもしれません。道路はくねくね蛇行しながら、ダイヘンを超え、元今里墓地の横を通り、田川を抜けて、JRの高架下をくぐり、大野川遊歩道へとつながって行きます。
十三バイパスの下にひっそりと「身かわり地蔵」が祀られています。昔からずっと川のたもとで町の移り変わりを見守っていたのでしょうね。

中島01
堤防の階段跡

中島02
階段を上がった所。ここを川がまっすぐ流れていたのでしょう。

中島00
商店街近くの路地にも階段が残っていました。

中島03
十三バイパスから直角に曲がったところ。

中島04
くねくね蛇行する道路。先にダイヘンがあります。この辺りの電柱看板は全部ダイヘンです。

中島05
元今里墓地の横をくねくね。

身がわり
十三バイパス下に身かわり地蔵がありました。由来は不明です。

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(関連ブログ)
『消えた中島大水道 1』
『消えた中島大水道 2』
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消えた中島大水道2

2007年10月26日 07:00

消えた中島大水道 2

江戸時代、北中島一帯は一万数千石の米を生産する農村でした。しかし、低湿地で洪水がひどく、田畑にあふれた雨水などを排除できず、村民は幕府に排水路の設置を何度も何度も訴えました。しかし、やっと下された幕府の工事許可は、幕府は費用を一切出さないというものでした。

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延宝6年(1678年)、「せめて多少の補助を」と嘆願すると、感情を害した幕府は許可を取り消してしまいました。度重なる水害で耐えられず、ついに三人の庄屋(澤田久左衛門、一柳太郎兵衛、西尾六右衛門)は、無許可のまま工事を強行。
しかしそのことが、幕府の逆鱗に触れ工事の即時中止と出頭を命じました。そこで3人は西村の細目木(さいのき)に集まり、延宝6年4月9日、抗議の自決を果たしたといいます。この悲壮な行為に農民たちはいっそう団結し、難工事を短期間で完成させました。その三人の遺徳をたたえ祀られたのが「さいの木神社」です。

さいの木神社
西中島の「さいの木神社」。ビルの谷間にひっそりとありました。新大阪駅から数百メートルの場所にあります。

さいの木
にれけやきのご神木は2本とも枯れていました。横にある木は二代目でしょうか。

東雲橋付近対象12年
野中のアケミ幼稚園のあたりと思われます。

十三元今里付近昭和25年
昭和25年頃の十三元今里付近とあります。どの辺りかな?

十三病院付近昭和30年
十三病院付近らしいです。まった面影がありません。


(追記)
nakajima001.jpg
「東淀川区創設70周年記念誌」より
昭和38年頃の新大阪駅の東口の辺りだそうです。奥の工事中の建物は新大阪駅です。手前のドブ川が中島大水道です。川としての機能が失われているのがわかります。


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(関連ブログ)
『消えた中島大水道 1』
『消えた中島大水道 3』




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