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三津屋のお地蔵さん

2008年02月01日 00:00

三津屋のお地蔵さん

歴史のある町を歩いていると必ずお地蔵さんに出会います。お地蔵さんがあるということは、地域の人達がお世話をしているということです。お世話ができなくなると祠もぼろぼろになってしまいます。お地蔵さんを見ると、地域の人たちの人となりが見えるような気がするのです。

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三津屋は、もと三社(みつやしろ)村と呼んでいましたが、みつや村と呼ぶようになり、のちに文字を改めて三津屋としたようです。三社とは八幡社が三ヶ所あったということのようで、長楽寺と光専寺、三社浅衛門宅にありました。そういえば、町をうろうろしているときに、「三社」という表札のかかった邸宅を見かけました。そこのことかもしれません。

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三津屋の町で一番最初に出会ったお地蔵さんです。この道の先に香具波志神社御旅所があります。

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最初のお地蔵さんのある所を右に曲がって歩いていくとこのお地蔵さんがあります。土台は石組みでしっかり造られています。

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民家の下から大きな木が生えていて、その脇の塀に囲まれた中に祠は見えます。

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中をのぞくと、お地蔵さんではありませんでした。

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民家にへばりつくように寄り添っているお地蔵さん。すだれを掛けてもらっていいですね。(この写真は秋口に撮影しました)

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ブロック塀にめり込んでいますね。でも曲がり角ですけど、人や自転車にぶつからずにいいかもしれません。

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寿光寺の塀に祀られているお地蔵さん。ご近所の方が直前に拝んでいました。

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お地蔵さんではないですが、町になじんでいたので…

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こちらもお地蔵さんではないのですが、町になじんでいたので…。この祭神は堀上愛宕大神といって、明和元年(1763年)に堀上村が大火災になった後、京都嵯峨愛宕町にある愛宕の大神をお祭りして、村の火除の守護神として信仰されているということです。

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雨に濡れずにいい場所ですね。

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こちらも屋根付です。

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こちらは家の塀の中にあるお地蔵さん、ちょっとめずらしいですね。祠はありませんが、いつもお姿が見れていいかもしれません。

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長楽寺の前の広場にある北向延命地蔵尊。広場で遊ぶ子供達を見守ってくださっているのでしょうか。

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三津屋霊園 にある六地蔵。この墓地も敷地内に入ると時間が止まったような感じになります。



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三津屋とクスノキ

2008年01月30日 23:00

三津屋とクスノキ

三津屋は十三の隣町で、中国街道沿いにある町です。その昔は、十三の渡しと神崎の渡しの中間に位置することから、旅人の往来も多くにぎわったことだと思います。

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三津屋には古い町並みが残っています。旧三津屋村の辺りは、道もくねくねしていて、まるで迷路のようです。所々にお寺やお地蔵さんが点在しており、お寺では保育園や幼稚園を営んでいるところも多く、三津屋小学校も町の中心にあるので、夕方ともなるとあちこちから子供が湧いてきます。子供が多い町です。

mituya_map.jpg
明治19年の地図。

光専寺
光専寺(ひかり保育園)
おそらく三津屋で一番有名なお寺ではないかと思います。一般的には、三津屋城址として紹介されることが多いようです。築城は室町時代の1345年頃、楠木正行(まさつら)によって築かれました。楠木正行とは、戦国武将で「太平記」の中でも活躍しています。

光専寺02
光専寺の敷地内に大きなクスノキがありました。古代より日本では高い木の上に神が降り立ってくると考えられていたようです。その木の一つが楠(クスノキ)です。楠木一族と縁があるのでクスノキがあるのでしょうか。

喜光寺
寿光寺(ふたばこども園)
寿光寺の創建は1548年、460年前です。このお寺の敷地内にも大きなクスノキがありました。ひときわ高いのがそうです。手前の木は柳です。

大恩寺
大恩寺(みつやめぐみ幼稚園)
大恩寺は、もとは弘法山大恩寺という真言宗の寺院でしたが、応永年間(1394~1428)の兵火によって焼失し、天文10年(1541)に大内義興の子である祐了が、真宗寺院として再建したと伝えられています。みつやめぐみ幼稚園は有名で、十三や塚本地域からも通っている子供が結構います。写真には写っていませんが、このお寺の敷地内にも大きなクスノキがあります。

御旅所
香具波志(かぐはし)神社御旅所
香具波志神社は加島にある神社です。楠木一族とも縁のある神社で、境内には立派なクスノキがあります。大阪市指定保存樹も2本指定されています。この御旅所にもクスノキがありますね。

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町を歩いているとあちこちにクスノキがあります。駐車場の真ん中にもありました。この木を切ったらもう一台車が止めれるのに、木を大切に残しているのですね。

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「高圧線通り」のクスノキ。この道は抜け道なのか、交通量が多いです。ここにも立派なクスノキがあります。


(追記)地図の今昔です。
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明治19年の地図。
がたがたの太い道が中国街道です。

mituya_map02.jpg
現在の地図(Googleマップより)
明治19年の地図を重ねると中国街道がわかります。


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