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箸墓古墳とホケノ山古墳

2014年09月27日 22:45

古墳時代はここから始まった。

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古代より信仰の対象となっている三輪山(みわやま)。麓にある我が国最古の神社といわれる大神(おおみわ)神社には今でも本殿がなく、この三輪山を御神体として祀っています。

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その三輪山にほど近い場所に箸墓(はしはか)古墳があります。

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全長が約280mと全国で11番目の規模を誇る大型前方後円墳で、築造は3世紀中ごろ〜後半と我が国最古級。古墳時代の始まりを示すエポックメーキングな存在であり、近年では卑弥呼の墓ではないかということでも話題になっています。

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奥に見えるのがさきほどの三輪山。

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近づいてみましょう。

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なかなか新鮮な角度の箸墓古墳だ。

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宮内庁の管轄ですので、前方部に拝所があります。

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孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命(こうれいてんのうひめみこやまとととひももそひめのみこと)
大市墓(おおいちのはか)

日本人の私もこれは読めない…

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倭迹々日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)

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倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)は、第7代 孝霊天皇(こうれいてんのう)の皇女になります。

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行ったのがちょうど田植えの頃でした。

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後円部の裏の道から見た三輪山。ちなみに、私が立っているこの道は古代から続く道「上ツ道(かみつみち)」です。

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JR桜井線の踏切を渡り北側にあるホケノ山古墳に向かいます。

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ローカル線感がいい。

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箸中地区に入ると神社がありました。

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国津神社。古代の祭祀場だったのだろうか。そんなニオイがします。

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三輪山方面から流れてくる川沿いの道を左に入ると、

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ホケノ山古墳があります。

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日本で最も古い部類の前方後円墳で、箸墓古墳よりも古いとされています。全長約85mで調査後に葺石などが復元されました。

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これは埋葬施設の復元。

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木棺と大型壷が確認されています。

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上にのぼってみました。
正面に箸墓古墳、手前に堂ノ後(どうのうしろ) 古墳、

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向こうに耳成山も見える。

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北方面を見ると、北口塚古墳とその向こうに巻野内石塚(まきのうちいしづか) 古墳が見える。このエリア一帯は纒向(まきむく)古墳群と呼ばれ、他にも纏向石塚古墳、纏向矢塚古墳、纏向勝山古墳など最古級の古墳があり、邪馬台国畿内説の有力な候補地でもあります。

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後ろを振り返るともちろん三輪山が。箸墓古墳周辺は、何度でも足を運びたくなる場所です。もっともっと国のはじまりを肌で感じたい。

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この箸墓古墳ですが、2013年に宮内庁が立ち入り調査を許可し、その様子が大きく報道されました。ただ、立ち入り調査といっても墳丘の下段部分を歩いて観察する程度だったのですが、それでも大進展だと思います。今後の展開に期待したい。

「箸墓・西殿塚古墳赤色立体地図の作成」の報道発表資料より ←(注)PDFです。
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これはアジア航測株式会社の3次元航空レーザー計測技術で作成された箸墓古墳の赤色立体地図です。木々で覆われている部分を剥がすとこのような美しい形が現れます。最新の測量技術により、墳丘は、全長約276m、後円部径約156m、高約26m、前方部前面幅約132m、高約17mであることがわかってきました。さらに、後円部は5段、前方部は3段であることも。築造時は、びっしりと葺き石で覆われ、白く輝いていたのでしょう。クビレ部に見られる割れ目は、立ち入り禁止になるまで利用されていた村道です。

古墳というのは、実に美しい形をしてますね。

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大阪高低差学会には古墳部があります。古代史の難しい話は置いといて、とにかく古墳をいろいろ見て回り、面白さを発見し共有することが目的です。Facebook専用ではありますが、「大阪高低差学会・古墳部グループ」をつくりました。古墳関連の情報のみを共有するコミュニティです。古墳初心者も大歓迎。どなたでも参加できます。古墳ケーキや古墳グッズなどの情報もOK。エリアも限定しませんので、古墳に関心のある方は気軽に参加し投稿してくださいね。

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古市古墳群45基めぐり(6)

2014年08月31日 07:30

日本武尊白鳥陵古墳(F43)、安閑天皇陵古墳(F44)、春日山田皇女陵古墳(F45)、仲哀天皇陵古墳(F5)、割塚古墳(F7)、鉢塚古墳(F6)、津堂城山古墳(F1)、雄略天皇陵古墳(F4・F3)、隼人塚古墳(F2)

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古市古墳群45基めぐりの6回目はピンクのラインがある2ヶ所。

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(A) 近鉄の古市車庫周辺と

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(B) 近鉄「藤井寺」駅周辺です。

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住宅地にある参所。

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「日本武尊白鳥陵(やまとたけるのみことはくちょうりょう)古墳(F43)」です。

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「景行天皇皇子日本武尊 白鳥陵(しらとりのみささぎ)」。

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田んぼ越しの陵墓は美しい。陵墓周辺の田んぼはどんどん宅地化が進んでいます。

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白鳥伝説の事が書かれていました。

『日本武尊(やまとたけるのみこと)が全国各地に遠征し、その帰途伊勢の能褒野(のぼの)で息をひきとった。武尊は、白鳥に姿を変え大和の琴弾原(ことびきはら)を経由し古市に飛来したことが日本書紀に記されている。その後、埴生(はにゅう)の丘に「羽」を「曵」くがごとく飛び去ったという伝説である。この白鳥伝説が「羽曳野(はびきの)」の地名の由来になっている。』

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周濠がよく残っています。

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名前も美しいが陵墓も美しい。

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周濠部もきれいに整備されています。

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古市車庫と近鉄長野線を越えてすぐにあるのが、「安閑(あんかん)天皇陵古墳(F44)」。

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安閑天皇 古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)。

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地理的には、日本最古の官道である竹内街道と石川に近い場所にあります。

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横の道を行きます。

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周濠は浅いですが水が溜まっています。

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住宅地の真ん中に現れたのが、

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「春日山田皇女陵(かすがやまだこうじょりょう)古墳(F45)」。

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安閑天皇皇后 春日山田皇女 古市高屋陵。

さて、次に(B) のエリアへ。

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「仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳(F5)」です。

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拝所へ続く道が広い。

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古市古墳群では3番目に大きな墳丘です。

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仲哀天皇 惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)。御父が最初に紹介した白鳥陵古墳の日本武尊(やまとたける)になります。

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岡ミサンザイ古墳とも呼ばれています。

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周濠が大きい。

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拝所の前に船がおいてあった。何に使うのでしょうね。

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その近くの駐車場にある「割塚古墳(F7)」。

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高さも低く開発の波に押されて潰されていてもおかしくないような目立たない古墳。よく残りましたね。

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北側に同規模の岡古墳があったようですが今はありません。

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「鉢塚古墳(F6)」です。表面の土が崩れかけていますね。

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以前は中に入れたようですが、この日は入口がわかりませんでした。

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いまは周濠が埋められていますが、かつては盾形の周濠があったそうです。

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さて、「津堂城山(つどうしろやま)古墳(F1)」です。

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史跡 城山古墳。

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古市古墳群の中で6番目に大きい前方後円墳で、造築されたのが4世紀後半と早く、古市古墳群内で最初に出現した巨大古墳です。

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上にのぼってみましょう。

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前方部です。

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向こうに二上山が見えます。

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前方部から後円部を見たところ。

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後円部の一部はフェンスで囲われています。解説板に後円部頂の竪穴式石棺から巨大な長持形石棺が現れたと書かれていましたがそのエリアなのでしょう。

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後円部から前方部を見たところ。木が生い茂って見晴らしがいいは言えないのが残念。

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周濠部から墳丘を見たところ。奥が前方部です。室町時代には古墳の地形を利用して小山城が築かれていたようです。宮内庁により第19代允恭天皇の陵墓参考地に治定されています。

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城が築かれていた事とも関係があるのかもしれませんが、後円部に神社があります。

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津堂八幡神社。

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後円部の中腹に位置しており、後ろに後円部頂上があります。

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周濠は津堂草花園になっている。

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花畑越しの後円部。

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史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」には、石棺の石が並べられていました。

さて、大きく移動します。
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池に浮かぶようにある雄略(ゆうりゃく)天皇陵古墳(F3)

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その向こうに見えるのも雄略天皇陵古墳(F4)で、2基からなっています。

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円墳が丸山古墳、奥のが平塚古墳とも呼ばれています。

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グーグルマップで見ると2つ合わせて前方後円墳に見えるのですが、これは明治時代に整備されたもので、平塚古墳は一辺約50mの方墳だそうです。

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拝所へ。

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雄略(ゆうりゃく)天皇 丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)。

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雄略天皇の御父は允恭(いんぎょう)天皇になります。

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この近くに「隼人塚(はやとづか)古墳(F2)」があるはずなのですが、実は最初に来た時に見つけることが出来ませんでした。で、グーグルマップで調べて再び訪れてやっと見つけた。

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古墳の四方が完全に住宅で囲われています。唯一見つけた隙間がこの公園。

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普通では何も見えません。カメラを柵の上に出して撮ったのがこの写真。辛うじて墳丘の頭部分が見える。

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どこかに入口があると思うのですが、人の家の敷地に入ってまで探すのもよくないのでやめました。

(追記)
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この地図は、「世界遺産暫定一覧表記載資産 準備状況報告書」からの抜粋です。有識者や民間会議などで議論した結果、古市古墳群45基の中から32基にしぼられました。それらは4世紀後葉から5世紀後葉に形成されたもので、巨大前方後円墳と、その周辺に点在する前方後円墳、帆立貝形墳、円墳、方墳などです。下記の地図で赤い印の古墳がリストに残ったもので、そうでないものはリストから外れた古墳です。世界文化遺産としてどうなんだろうと思っていた古墳は結果的には外されていました。今後は、古墳周辺の景観を保全するための規制が実施されていくと思われます。世界文化遺産登録に向けて大きく動き出しています。



より大きな地図で 古市古墳群 を表示


【古市古墳群】
世界文化遺産をめざす古市古墳群45基 2014.08.17
古市古墳群45基めぐり(1) 2014.08.18
古市古墳群45基めぐり(2) 2014.08.20
古市古墳群45基めぐり(3) 2014.08.21
古市古墳群45基めぐり(4) 2014.08.22
古市古墳群45基めぐり(5) 2014.08.29
古市古墳群45基めぐり(6) 2014.08.31
古墳の作り方(ジオラマ) 2014.10.04


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古市古墳群45基めぐり(5)

2014年08月29日 07:30

浄元寺山古墳(F35)、墓山古墳(F31)、青山古墳(F36)、稲荷塚古墳(F37)、野々上古墳(F39)、仁賢天皇陵古墳(F38)、峯ヶ塚古墳(F40)、清寧天皇陵古墳(F41)、小白髪山古墳(F42)

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古市古墳群45基めぐりの5回目は水色のラインです。

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水色の拡大。左上の野中宮山古墳の続きです。

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左の森が「浄元寺山(じょうがんじやま)古墳(F35)」。

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近くからだとカタチがわかりにくいのですが方墳です。

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横の駐車場から見ると墳丘が見えます。

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野中共同墓地の向こうは墓山古墳です。

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表示板がこんなところにあった。

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古市古墳群では5番目に大きいのですが、応神天皇陵古墳の陪塚(ばいちょう・ばいづか)として宮内庁に管理されています。

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きれいなカタチで残る三段の前方後円墳です。

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周濠に水はない。

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墓越しの墓山古墳。

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府道沿いにある「青山古墳(F36)」。

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ただの雑木林にしか見えない。

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周濠には水辺でよく見かけるガマの群生が。

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一部に水辺が見える。

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ぐる〜っとまわって来ると公園がありました。

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周濠からは円筒埴輪や家・衣蓋(きぬがさ)・盾・靫(ゆぎ)・馬・人物形などの形象埴輪が見つかっています。

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円墳ですが造出しを持ったカタチで、帆立貝形とはやはりちょっと違いますね。

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住宅地の中にある「稲荷塚古墳(F37)」。

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うっそうとした森でカタチがわかりませんが、帆立貝形墳だそうです。

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高台に道標がありました。

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「右 さかい 左 なら郡山」「左 まきの尾 かうや山」。

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大きなため池の向こうに「仁賢(にんけん)天皇陵古墳(F38)」が見えます。行ってみましょう。

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碑には埴生坂本陵(はにゅうの さかもとの みささぎ)とある。

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少し高台にのぼってきました。「野々上古墳(F39)」です。

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地味な古墳なのですが、

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こちらも宮内庁の管轄です。

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近くでこのような解説板がありました。「野々上埴輪窯跡」。

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ここには2基の埴輪窯があったようで、仁賢天皇陵古墳の埴輪の生産がここで行われていたようです。

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埴輪の生産は、古墳の築造と並行して行われていたのだとか。

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仁賢天皇陵古墳の周濠です。

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この奥が参所。

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「仁賢天皇陵古墳(F38)」。

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仁賢天皇 埴生坂本陵(にんけんてんのう はにゅうのさかもとのみささぎ)。

さて、
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峰塚公園です。峯ヶ塚(みねがづか)古墳を中心に整備された公園です。

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後円部からは石室が検出されています。盗掘でかなり破壊されていたようですが、副葬品もいくつか残っていたようです。

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カタチはなかり崩れている感じ。

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外から見るとそういうのはわからない。

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森です。

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こちら側は周濠に水が溜まっている。

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向こうに二上山がよく見えます。

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フェンスで囲われていますが、

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以前は中に入れたようですね。道が残っています。

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こちらにも解説板が。二重の壕があったということでかなりの権力者の墓だったようです。

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ため池の向こうにきれいな古墳が見えますね。「日本武尊白鳥陵古墳(やまとたけるのみことはくちょうりょうこふん)」です。あちらは次回に。

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こちらは「清寧(せいねい)天皇陵古墳(F41)」。

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清寧天皇 河内坂門原陵(せいねいてんのう こうちのさかどのはらのみささぎ)。

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河内坂門原陵の碑。

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国道170号線を挟んだ向かいにある「小白髪山(こしらがやま)古墳(F42)」。

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規模は小さいですが前方後円墳です。

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「清寧天皇 河内坂門原陵 陪塚」。


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【古市古墳群】
世界文化遺産をめざす古市古墳群45基 2014.08.17
古市古墳群45基めぐり(1) 2014.08.18
古市古墳群45基めぐり(2) 2014.08.20
古市古墳群45基めぐり(3) 2014.08.21
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古市古墳群45基めぐり(5) 2014.08.29
古市古墳群45基めぐり(6) 2014.08.31
古墳の作り方(ジオラマ) 2014.10.04


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