このエントリーをはてなブックマークに追加

塚本アンダーパスが開通した日

2011年05月20日 08:00

昭和37年6月8日、
塚本アンダーパス開通


寿印刷さんから面白い写真をお借りしました。
下の写真がどこだかおわかりでしょうか?

( A )
kotobuki08.jpg
昭和37年6月8日と書かれた写真、
大渋滞の車と大勢の人だかり。

( B )
kotobuki09.jpg
右を振り向けばこんな風景。
地元の方ならもうおわかりかもしれませんね。

この場所はJR東海道線の下をくぐる淀川通り、
どうやらアンダーパスが開通した日の写真のようです。

IMG_1276_3.jpg
淀川通とは東淀川区、淀川区、西淀川区の3区を貫く幹線道路。

IMG_1278_3.jpg
このJR東海道線の下をくぐるのが塚本アンダーパスです。

IMG_1305_3.jpg
ここが( A )の場所です。
kotobuki08.jpg
阪神高速道路と歩道橋が出来ていますが、橋脚と手すり、線路の柵は昔と同じですね。道路面の高さがちょっと変わったのかな。


IMG_1299_3.jpg
( B )の場所です。
kotobuki09.jpg
第一生命の建物が変わらずありますね。
正面の車を調べてみたらオースチンA50ケンブリッジサルーンのようです。
その後ろはマツダK360かな。当時のデザインはいいな。

kotobuki10.jpg
( B )の写真をよく見ると興味深いものを見つけた。
兼平産婦人科。おおっ、銀座通りのあそこだ。

IMG_1372_3.jpg
ここですね。

IMG_1371_3.jpg
三角屋根は当時と変わらないのかな。

さて、
淀川通沿いを歩いて当時のものがないか探してみました。
IMG_1310_3.jpg
これは野里地域の地図ですね。錆びていますがええ感じです。

IMG_1313_3.jpg
外壁のタイルと銅板がいいな。

IMG_1320_3.jpg
このたばこの看板はいいでしょ。

IMG_1322_3.jpg
正面から見るとこう。

IMG_1331_3.jpg
たばこの文字のデザインもチャーミングだ。

IMG_1332_3.jpg
個人的にかなり好きな看板なのです ^ ^


(関連記事)
いまから3年前に淀川通りを記事にしていました。
淀川通りができる前2008.02.15
淀川通りができる前 22008.02.18



ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
スポンサーサイト



このエントリーをはてなブックマークに追加

寿印刷の活版印刷機

2011年05月15日 08:00

引退しても活きてる
カッコイイ! 活版印刷機!


IMG_1064_3.jpg
寿印刷さんの活版印刷の資料室です。
昭和7年に設立された旧大阪電気学校舎の2階です。

IMG_1102_3.jpg
一般には公開していませんが、貴重なものがいろいろ保存されている。

IMG_1079_3.jpg
現在、活版印刷機を商用で動かしている印刷会社は
数えるほどしか残っていないそうです。

IMG_1076_3.jpg
でも最近、再び脚光を浴びてきているようですね。
確かに文字に温かみがあって僕は好きだな。

IMG_1069_3.jpg
活字は鉛のものが多いようですが、
木版のものもあるそうです。

IMG_1071_3.jpg
このあたりの活字はすべて木版です。珍しいですね。

IMG_1074_3.jpg
こちらの会社では教科書や参考書などの書籍印刷が多いので
「問題解析」みたいな活字があったりします。

IMG_1066_3.jpg
ここは組版を作る作業台。

IMG_1101_3.jpg
組みあがった版は印刷機に取り付けるために枠で固定します。

IMG_1172_3.jpg
これは実際に印刷機に取り付けられた状態のもの。

IMG_1175_3.jpg
この機械は約20年前に停止したものだそうですが、中を開けてみると最後に印刷した版と紙がそのまま残っていたのだそうです。

IMG_1174_4.jpg
最後に作業をした職人さんが意図的に残したのかもしれません。
時がここだけ止まっている。

IMG_1177_3.jpg
この活版印刷機は1階にあって、以前は何台も並んでいたそうです。
しかし、新しい印刷機が新工場に導入されるにつれ、古い印刷機は売却され、空いた空間には壁が作られ作業場に改装されていきました。

IMG_1180_3.jpg
そして一番端の空間に2台だけ残された活版印刷機。機械が止まっても部屋から外に出すことができず、売却を免れたのだそうです。

で、気づきました。
そうか!この木造校舎が奇跡的に残ったのは1階に動かすことができない印刷機があったことも要因なんだ。建物にとって幸運が重なった。戦時中の空襲を免れた幸運と印刷会社が購入して大型の印刷機が入っていたため解体されなかったという幸運。様々な幸運が重なってこの校舎は現在まで残ったのかもしれない。

IMG_1080_3.jpg
さて、
2階の資料室には小型の活版印刷機もありました。
丸い部分にインクをのせます。組版は縦に組み込まれ、印刷する紙はその向かいに。

syudo.gif
ハンドルを動かすと2枚の板が押し付けられ印刷されます。開くとローラーが組版にインクを付けます。どうです。ようできた動き方でしょ。ちなみに印刷は1枚ずつです。
(連続写真をGIFアニメにしました。軽くするために色を抜いています。ご了承ください。)

IMG_1164_3.jpg
一階の奥に中型の活版印刷機が残っていますが、これはかなり古いものらしく50年は経っているだろうということです。

IMG_1267_3.jpg
製造は Made in Osaka の杉本鉄工所。

IMG_1269_3.jpg
足回りはコンクリートで固定されている。
なのでおそらく約50年前からずっとここが定位置。
哀愁を感じるな。

ちなみに、動きます♪


とにかくカッコイイっす!

(追記)
この50年前の印刷機、動くのですが印刷するのに肝心な部分が連動せず難儀しておられます。もし古い活版印刷機を動かせる方がおられましたら、寿印刷さんの方へ連絡していただけませんでしょうか。よろしくお願い致します。
( 寿印刷・活版クラブ kappan-club@kotobuki-print.co.jp )



最後に、またまた寿印刷さんから古い写真をお借りしました。

kotobuki07.jpg
この写真は原稿を基に活字を拾っている職人さん達です。

kotobuki06.jpg
こちらは組版をつくる職人さん達。
この2枚の写真はおそらくプロカメラマンの写真だと思います。暗い空間なのに光がしっかり届いてる。とても貴重でいい写真だと思いました。

(関連記事)
『清風学園発祥の地に残る大阪電気学校舎』 2011.05.11



ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
このエントリーをはてなブックマークに追加

清風学園発祥の地に残る大阪電気学校舎

2011年05月11日 08:00

プチスクープ!
ここは清風学園発祥の地?
最初の設立校・大阪電気学校の校舎が
西淀川区に残っていた!


IMG_1232_3.jpg
私立の名門・清風学園。
設立母体は大阪電気学校堺分校(昭和12年開校)です。

IMG_1230_3.jpg
しかし最初の設立校は大阪電気学校(昭和7年7月設立)となっており、
創立者の平岡宕峯氏が初代校長に赴任していたようです。(Wikipediaより)
その大阪電気学校があった場所を調べてみました。
「大阪市学事要覧 昭和15・16年度」を見ると、
位置が【西淀川区塚本町761】となっている。
入学資格は尋常小学校以上で、電気科と機械科があり
生徒数は約8~900名もいたようです。

osakadenki_05.jpg
昭和16年の地図です。
中心にあるのが現在のJR塚本駅。

osakadenki_01.jpg
◯の印をつけた場所が【西淀川区塚本町761】です。

osakadenki_02.jpg
現在の地図を重ねてみると、

osakadenki_03.jpg
ちょうどこの辺り。

osakadenki_04.jpg
実はその場所に現在も木造の建物が残っているのです。

IMG_1017_3.jpg
こちらがその建物がある印刷会社。
そして正面に見えるのがその建物です。
両サイドの建物はおそらく増築したものではないかと思われます。

IMG_1024_3.jpg
建物の端の方には当時の木造校舎の面影を残す外壁が確認できる。
いったい中はどのようになっているのだろう?
わくわくしながら中を見学させていただきました。

IMG_1037_3.jpg
正面入り口に階段がありました。

IMG_1216_3.jpg
親柱もシンプルで学校っぽい。

IMG_1218_3.jpg
階段右側の空間です。
廊下の跡と、その左奥は教室だった場所だと思われます。

IMG_1188_3.jpg
足下の木には廊下扉があった溝も確認できる。

IMG_1044_3.jpg
階段を上ってみましょう。学校の階段って感じがする。

IMG_1046_3.jpg
2階に上ってビックリ。
天上には電気の古い配線が残っている。
古い線には電気は流れていないそうですが歴史を感じます。

IMG_1061_3.jpg
床もいいです。

IMG_1052_3.jpg
お~っ!
ええ感じの廊下。

IMG_1127_3.jpg
天上板はおそらく当時のままではないでしょうか。
補強された部分は後で行われたのだろうか。

IMG_1064_3.jpg
こちらの教室は活版印刷の資料が展示されていました。
それについてはまた後日記事にする予定。

IMG_1103_3.jpg
廊下と教室の間にある壁もいいです。

IMG_1133_3.jpg
手前の部屋は教室ではなく畳敷きでした。
後で作った部屋なのでしょうか。

IMG_1122_3.jpg
で、廊下の突き当たりの部屋に入って驚いた。
なんだ!ここは!

IMG_1114_3.jpg
床もいい。

IMG_1108_3.jpg
このテーブルは折りたたみ式になっている。
おそらく音楽室ではないかということです。
ここはいい!

IMG_1140_3.jpg
さて、外階段を下りていきます。

IMG_1144_3.jpg
ガラスは当時のままっぽい。
左上の窓ガラスが均一のサイズでないですね。

IMG_1152_3.jpg
外壁に塗られているペンキはいつの時代のものだろう。

IMG_1158_3.jpg
この洗面所も当時のものでしょうか。
今は屋根があるけど昔は屋外だったのかもしれないな。

IMG_1029_3.jpg
裏側も見てみましょう。

IMG_1212_3.jpg
窓はサッシに変わっていますが、外壁は茶色いまま。
補強している部分は後年のものだと思います。

IMG_1209_3.jpg
古い外灯もそのまま残ってる。

IMG_1215_3.jpg
L字型の金具も当時のものでしょうか。

大阪市内に戦前の木造校舎がいまだに
残っているなんて奇跡に近いと思いました。


さらに驚くことに、
当時のことをご存知の方がいらっしゃいました。
その方はなんとこの会社(寿印刷株式会社)の社長 井下廣氏。
今年92歳だそうです。
すごいです!

会社がこの建物で操業を開始したのは終戦後の昭和21年。
当時、この建物の向かい側にも校舎があったそうですが火災にあい、
引っ越したばかりでまだ使っていなかった2階部分で
授業をしていた事があったそうです。
1階が印刷所、2階が学校。
休憩時間には生徒が現在の事務所前で遊んでいたとか。

ということは大阪電気学校は少なくとも
昭和21年までは存在していたことになります。
何らかの理由でこの校舎を売却したのでしょう。
しかし授業を行うはずの校舎が焼けてしまい閉校したのかもしれません。
あるいは、元々閉校する予定で生徒数が少なかったとも考えられます。
どちらにしろ私の勝手な想像です。

はたして、この建物は本当に大阪電気学校の校舎なのでしょうか。
ぜひ専門の方及び関係者の方々の検証を願いたいと思います。


(取材協力)
寿印刷株式会社
大阪市西淀川区歌島1丁目4番4号
http://www.kotobuki-print.co.jp


(おまけ)
IMG_1195_3.jpg
こんな黒板消しを見つけた♪
素敵すぎる!!


(追記)
寿印刷さんから古い写真をお借りしました。
昭和30年頃のものです。
kotobuki01.jpg
正面の写真です。窓がサッシになる前ですので、校舎の名残が色濃く出ています。
自動車もいいですね。

kotobuki05.jpg
校舎の窓から正門を見ています。
当時の町並みがよくわかる。

kotobuki02.jpg
写真では分かりにくいのですが、奥に箱型のレコードプレーヤーらしきものが確認できる。テーブルは当初は折りたたみ式ではなかったようです。やはり音楽室っぽいですね。

kotobuki03.jpg
瓦の敷き替えの写真です。
当時の町並みが分かる貴重な写真です。正面右側奥には十三大橋が見える。
左奥の森は十三公園です。


(関連記事)
『寿印刷の活版印刷機』 2011.05.15



ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif