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さよなら歌島プール

2009年07月14日 07:00

さよなら歌島プール

『公営プール廃止相次ぐ――財政難・老朽化…』 日経ネット関西版

この夏を最後に大阪市営の春日出プール、瑞光寺プール、
そして歌島プールの3施設が廃止されます。
今年で最後ってなんか寂しいですね。
オープン前の歌島プールをのぞいて来ました。

DSC09888.jpg
ここが歌島プール。
僕たちは 歌プー って呼んでいます。

ちなみに料金は高校生以上…400円
小・中学生および65歳以上…150円
就学前の幼児および障害者手帳をお持ちの方は無料です。

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7月15日からオープンみたい。
これ、去年のヤツのリサイクルかな^^

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中はいつオープンしてもいい状態ですね。ここは児童用プール。
大人になってからはこっちばっかり通ってました。

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こいつとも今年でお別れ。

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反対側には25メートルプールが2面あります。浅いほうと深い方。
小学生の頃は浅いほうでよく遊んでました。

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子供達が泳げるようになったので、今年は25メートルプールに行ってみよかな。

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歌プーの25メートルプールは小学校の時以来かも。

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更衣室はまだ準備中だったけど、木の縁台は昔のまんま。

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小学生の頃に自転車で隣町のここまでよく来ました。
帰りしなにカキ氷を食べるのが楽しみだった。
昔のカキ氷はお皿も食べれましたよね^^
子供を連れて数十年ぶりに行った時、
まだあったんだと、とても感激しました。
でも、今年で最後なんですね。
とても寂しい。
今年はいつもより多めに遊びに行こうと思います。


(おまけ)
DSC09980.jpg
鼻川神社の御旅所でだんじり囃子の稽古をしてました。
鼻川神社の夏祭りは7月18日19日。

DSC09986.jpg
塚本公園でも太鼓の練習してました。四丁目太鼓だね。
私の頃と同じだ。最近は太鼓をたたく女の子が増えたね。
塚本神社の夏祭りは7月19日20日です。


(追記)
歌島プールがある歌島公園って結構古い公園のようですね。
DSC09955.jpg
昭和11年に開園したらしい。
DSC09941.jpg
当時の遊具とかは残っているのかな?
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↓これとか古そう。
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(追記)
P1190803.jpg
行って来た♪

(追記2)
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とうとう終わっちゃいました。



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野里のだんじり

2008年08月04日 07:30

野里のだんじり

野里の住吉神社には、3台の地車(だんじり)と枕太鼓が1基あります。7月31日、8月1日が夏祭りで、すこしだけのぞいてきました。

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DSC02757.jpg
ここが野里の住吉神社。淀川改修工事以前は、神社の右手が中津川の堤防でした。関心のある方は「消えた中津川 1 野里篇」を参照ください。

北
北之町の枕太鼓です。

DSC02833.jpg
たたき方がカッコええ!

西
西之町の二枚式幕地車(だんじり)です。刺繍幕が豪華です。刺繍幕を飾るのは淡路島方面の影響を受けたのではないかといわれています。昔の野里の地車は3台とも二枚式幕地車だったそうです。

DSC02805.jpg
カッコええですね。

中
こちらは中之町の地車です。悲運のだんじりと言われたこともありました。野里地域のだんじりは昭和40年代後半~50年代に太鼓しか祭りに参加しないさびしい時代があったそうです。そんな中、昭和52年に中之町地車は11年ぶりに町中を練り歩き、地元に活気を与えました。しかし、翌年の1月11日に地車庫から出火し、無残な姿になってしまったのです。出火原因は放火でした。しかし、平成元年に見事に復活しました。

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彫刻が見事です。屋根の上の鬼板(飾目-シカメとも呼ばれる)は怖い顔ほどエエらしい。

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立派な彫刻でしょ。

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エエ仕事をしています。

東
こちらは今年の宮入のトリをつとめた東之町のだんじりです。

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昼間の曳行の時は小さい子も乗せてもらってました。「うれしそう!」

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方向を変える時はこんな感じで傾けて曲がります。

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これは国道2号線を渡るところ。走りながら一気に駆け抜けていきます。



北之町の宮入


西之町の宮入


中之町の宮入。最後の太鼓橋を渡るシーン。


東之町の宮入。他にもアップしてますので、関心のある方はYouTubeで。
http://jp.youtube.com/jusojin

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(おまけ)
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「気持ちよさそーッ!」

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ガブの木



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グリコを食べて大人になった。

2008年02月04日 01:00

グリコを食べて大人になった。

子供の頃よく遊んでいた場所から国鉄の線路の方を見ると、向こう側にグリコの工場が見えていました。江崎グリコが御幣島(現歌島)に大きな工場を作ったのは、昭和6年です。創業から10年ほどしか経っていませんでした。

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創業者の江崎利一氏は、大正10年に40歳の年齢で大阪に出てきて、ゼロから菓子会社を起こしました。昭和48年まで社長として江崎グリコを引っ張ってきた大経営者です。グリコの始まりは、利一氏が地元の有明海で大量にゆでる牡蠣の煮汁を目にした時にさかのぼります。それに多く含まれるグリコーゲンを広く世の中に広めることはできないだろうか。構想を練るうちに到達した答えは、薬にするのではなく、グリコーゲンを一番必要とする育ち盛りの子供に、それも子供が喜ぶ菓子の中に入れてはどうかというものでした。

昭和6年大阪工場
昭和6年、竣功間もない大阪工場(江崎グリコ70年史より)
豊崎工場が手狭になり、新たな工場の場所を御幣島(現歌島)に決めました。国道から離れていて、周辺は農地しかない不便な場所であったが、国鉄沿いで電車内からよく見え、宣伝効果があると考えたからだそうです。利一氏は創業当初から宣伝効果をたえず考えておられた方です。

昭和6年大阪工場2
昭和6年の大阪工場(江崎グリコ70年史より)
電車の窓からグリコの巨大な看板が見えました。このシンボルマークも一粒三百メートルというキャッチフレーズも利一氏のアイデアです。アイデアだけでなく、マーケッターでもありました。ちゃんと小学校で子供に意見を聞いて検証していたようです。

昭和7年包装
昭和7年の包装をしている工場内の風景(江崎グリコ70年史より)
当時は塚本駅がまだ開設されていませんでした。通勤は十三駅と歌島方面が近道であったと記されています。

昭和10年大阪工場野球大会
昭和10年頃の野球大会(江崎グリコ70年史より)
家族主義的経営を目指しており福利厚生も当時から充実していたようです。

グリコポスター
昭和7年の新聞広告(江崎グリコ70年史より)
「斯界に雄飛する新工場の偉容 神戸より 見える見えるグリコの工場 やがて大阪」
原稿の右下にある看板から線で引き出して「日本一の人形大看板」と書かれているのがとってもチャーミングです。

昭和20年大阪工場
昭和20年6月 空襲で全焼した大阪工場(江崎グリコ70年史より)
利一氏は従業員全員を集めて次のように述べられました。「グリコは破産同様になってしまった。しかし、私は悲観していない。工場も機械も焼けてしまったが、さすがの戦火にも焼けなかった資産がある。それはグリコの名前であり、マークであり、ノレンである。われわれが過去20年以上かけて、精魂こめてつくりあげた信用は人々の記憶の中に残され、焼けもせず、なくなっていないはずである。」

昭和29年ラジオ体操
昭和29年 大阪工場でのラジオ体操(江崎グリコ70年史より)
戦後は乾パンの製造からスタートし、昭和22年には玩具菓子グリコを復活させました。そして昭和29年3月に大阪株式市場に上場を果たします。

昭和42年
昭和42~48年のパッケージ(江崎グリコ70年史より)
グリコキャラメルではなくグリコです。これも利一氏のこだわりです。「グリコはキャラメルではなく栄養菓子であり、先発各社(森永、明治)と違う点を強調する名前でないと先発2社を追い越せない」  すごいことを言われる方です。

子供の頃、散髪屋さんで散髪の後にグリコのキャラメルをもらうのが楽しみでした。

昭和44年GAC
昭和44年のグリコアーモンドチェーン(江崎グリコ70年史より)
こんなお店は見たことないですが、当時は駄菓子屋さんでグリコを買った印象がないんですね。おそらく子供のお小遣いで買うには高かったのかな?グリコは買ってもらうものだったような気がします。

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現在の工場はこんな看板です。



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