2014年01月22日 07:30
新幹線ネタを3つまとめて
1. 新大阪駅に残る中島大水道跡遺構
先日新大阪駅の新しくなった在来線ホームで水路跡の遺構を偶然見つけました。新大阪駅はよく利用していた時期があったのですが、これにはまったく気づかなかった。Facebookにアップした記事を貼っておきます。
『時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」』
「東海道新幹線工事誌」より

で、実はこれは以前書いた記事の写真です。中島大水道が在来線の下を流れているのがわかりますでしょうか。

これは反対側なのですが、水路部分が塞がれている。どうりで気づかったはずです。

駅の外に出てみました。水路が線路の下を通っていた跡が今も残っていました。

中島大水道について有名な話が残っています。こちらは、新大阪駅近くにある「さいの木神社」。以下は以前書いた記事からの抜粋です。
江戸時代、北中島一帯は一万数千石の米を生産する農村でした。しかし、低湿地で洪水がひどく、田畑にあふれた雨水などを排除できず、村民は幕府に排水路の設置を何度も何度も訴えました。しかし、やっと下された幕府の工事許可は、幕府は費用を一切出さないというものでした。
延宝6年(1678年)、「せめて多少の補助を」と嘆願すると、感情を害した幕府は許可を取り消してしまいました。度重なる水害で耐えられず、ついに三人の庄屋(澤田久左衛門、一柳太郎兵衛、西尾六右衛門)は、無許可のまま工事を強行。しかしそのことが、幕府の逆鱗に触れ工事の即時中止と出頭を命じました。そこで3人は西村の細目木(さいのき)に集まり、延宝6年4月9日、抗議の自決を果たしたといいます。この悲壮な行為に農民たちはいっそう団結し、難工事を短期間で完成させました。その三人の遺徳をたたえ祀られたのが「さいの木神社」です。
2. さよなら幻の貨物新幹線遺構
「半世紀残った“謎の高架橋”ひっそりと消える「幻の貨物新幹線」の残骸」産経ニュース

摂津市にある貨物新幹線の遺構といわれる高架の解体が始まっています。ここは知っていましたが来るのは初めて。既に一部の解体が始まっているのですが、解体方法がユニーク。コンクリートを鋭い刃物で切断した様な跡が残っているのです。こんな解体方法ははじめて見ました。

それにしても解体前に来ておきたかった。

グーグルマップには解体前が写ってます。

新幹線が下を走る2階部分はどのように解体するのでしょう。
その様子をまた見に来たいと思います。
ちなみに、東海道新幹線に関する公文書が残っていますが、貨物についても触れられています。以下抜粋。
4 東京・大阪間の到達時分は、急行旅客において概ね3時間、貨物において概ね5時間30分を目標とすること。
6 貨物については、ビギーバック及びコンテナー方式を積極的に採用して戸口から戸口への輸送を行い、なるべく大量の輸送を行って、現在線の負担を緩和すること。
(3)貨物運賃は、旅客運賃の場合と同様に運賃実額を現在線の運賃と同額にすることは当然であるが、更に新規路線への転移を奨励するため、ピギーバックの料金等を含め戸口から戸口への総合した荷主負担額が、現在線を利用する場合より増加しないよう工夫すること。
などなど。
詳しく読みたい方はこちらを。
「新幹線計画と弾丸列車計画の公文書」 2012.07.01
3. 新幹線の高架とつながる謎の坂道と謎の耕運機
以前からずっと気になっている場所があって、ここがどういう場所なのかいまだに謎なのです。

尼崎市の藻川の堤防と新幹線が並行して走るところに、なぜか高架とつながる坂道があります。

どうやらここから新幹線の線路内に入れるようです。

おそらく線路のメンテナンス時に利用する道路なのだろうと勝手に解釈しています。

坂の入口はこのようになっています。

明らかに車用ですよね。

で、
こんなモノがそこに置いてあるのです。
車体にはヤンマーYG6と記されているのですが、調べるとどうやら耕運機のようです。耕運機を改造して運転席とリヤカーを付けている。

ヘッドライトとグリルガードも後付けでしょう。
もしかして、これが新幹線の線路の中に入っていくのでしょうか?

リアには「軌-1」「軌-2」とナンバリングされている。
これは、軌道に入ることを意味しているのでしょうか。
いったい何をするための車なのだろう??
謎がどんどん膨らんでゆく…
より大きな地図で 新幹線の気になる場所 を表示
(関連記事)
「弾丸列車と新大阪駅」 2012.06.22
「弾丸列車と満鉄あじあ号」 2012.06.27
「新幹線計画と弾丸列車計画の公文書」 2012.07.01
「弾丸列車の新大阪駅と東海道新幹線の新大阪駅」 2012.07.05
「消えた中島大水道2」 2007.10.26
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1. 新大阪駅に残る中島大水道跡遺構
先日新大阪駅の新しくなった在来線ホームで水路跡の遺構を偶然見つけました。新大阪駅はよく利用していた時期があったのですが、これにはまったく気づかなかった。Facebookにアップした記事を貼っておきます。
投稿 by 新之介( jusojin ).
投稿 by 新之介( jusojin ).
『時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」』
「東海道新幹線工事誌」より

で、実はこれは以前書いた記事の写真です。中島大水道が在来線の下を流れているのがわかりますでしょうか。

これは反対側なのですが、水路部分が塞がれている。どうりで気づかったはずです。

駅の外に出てみました。水路が線路の下を通っていた跡が今も残っていました。

中島大水道について有名な話が残っています。こちらは、新大阪駅近くにある「さいの木神社」。以下は以前書いた記事からの抜粋です。
江戸時代、北中島一帯は一万数千石の米を生産する農村でした。しかし、低湿地で洪水がひどく、田畑にあふれた雨水などを排除できず、村民は幕府に排水路の設置を何度も何度も訴えました。しかし、やっと下された幕府の工事許可は、幕府は費用を一切出さないというものでした。
延宝6年(1678年)、「せめて多少の補助を」と嘆願すると、感情を害した幕府は許可を取り消してしまいました。度重なる水害で耐えられず、ついに三人の庄屋(澤田久左衛門、一柳太郎兵衛、西尾六右衛門)は、無許可のまま工事を強行。しかしそのことが、幕府の逆鱗に触れ工事の即時中止と出頭を命じました。そこで3人は西村の細目木(さいのき)に集まり、延宝6年4月9日、抗議の自決を果たしたといいます。この悲壮な行為に農民たちはいっそう団結し、難工事を短期間で完成させました。その三人の遺徳をたたえ祀られたのが「さいの木神社」です。
2. さよなら幻の貨物新幹線遺構
「半世紀残った“謎の高架橋”ひっそりと消える「幻の貨物新幹線」の残骸」産経ニュース

摂津市にある貨物新幹線の遺構といわれる高架の解体が始まっています。ここは知っていましたが来るのは初めて。既に一部の解体が始まっているのですが、解体方法がユニーク。コンクリートを鋭い刃物で切断した様な跡が残っているのです。こんな解体方法ははじめて見ました。

それにしても解体前に来ておきたかった。

グーグルマップには解体前が写ってます。

新幹線が下を走る2階部分はどのように解体するのでしょう。
その様子をまた見に来たいと思います。
ちなみに、東海道新幹線に関する公文書が残っていますが、貨物についても触れられています。以下抜粋。
4 東京・大阪間の到達時分は、急行旅客において概ね3時間、貨物において概ね5時間30分を目標とすること。
6 貨物については、ビギーバック及びコンテナー方式を積極的に採用して戸口から戸口への輸送を行い、なるべく大量の輸送を行って、現在線の負担を緩和すること。
(3)貨物運賃は、旅客運賃の場合と同様に運賃実額を現在線の運賃と同額にすることは当然であるが、更に新規路線への転移を奨励するため、ピギーバックの料金等を含め戸口から戸口への総合した荷主負担額が、現在線を利用する場合より増加しないよう工夫すること。
などなど。
詳しく読みたい方はこちらを。
「新幹線計画と弾丸列車計画の公文書」 2012.07.01
3. 新幹線の高架とつながる謎の坂道と謎の耕運機
以前からずっと気になっている場所があって、ここがどういう場所なのかいまだに謎なのです。

尼崎市の藻川の堤防と新幹線が並行して走るところに、なぜか高架とつながる坂道があります。

どうやらここから新幹線の線路内に入れるようです。

おそらく線路のメンテナンス時に利用する道路なのだろうと勝手に解釈しています。

坂の入口はこのようになっています。

明らかに車用ですよね。

で、
こんなモノがそこに置いてあるのです。
車体にはヤンマーYG6と記されているのですが、調べるとどうやら耕運機のようです。耕運機を改造して運転席とリヤカーを付けている。

ヘッドライトとグリルガードも後付けでしょう。
もしかして、これが新幹線の線路の中に入っていくのでしょうか?

リアには「軌-1」「軌-2」とナンバリングされている。
これは、軌道に入ることを意味しているのでしょうか。
いったい何をするための車なのだろう??
謎がどんどん膨らんでゆく…
より大きな地図で 新幹線の気になる場所 を表示
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「弾丸列車と新大阪駅」 2012.06.22
「弾丸列車と満鉄あじあ号」 2012.06.27
「新幹線計画と弾丸列車計画の公文書」 2012.07.01
「弾丸列車の新大阪駅と東海道新幹線の新大阪駅」 2012.07.05
「消えた中島大水道2」 2007.10.26
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