巨樹巡礼 その7枯死から復活
靭公園・永代浜の楠
大阪市西区の靱公園の角にある大きな楠。

楠永大神、楠玉大神として祀られているご神木。

樹齢は約300年。
昔は天然記念物であったようだが戦災で焼けただれたらしい。

ほとんど枯死(こし)していた上、戦後、現在の靱公園を進駐軍が小型飛行場にする際、切り倒される運命だったという。

しかし、硬くて切り倒せず枝のみを取り払ったため、
のちに木が蘇生し、現在の姿に復活したのだそうだ。

白蛇(巳さん)のたたりを進駐軍が認めて伐採を中止したという話も残っている。

楠の裏(表?)には楠永神社がある。
元々この地には住吉神社が祀られていたようで、御霊神社の旧跡ともいわれている由緒ある場所。

御霊宮旧跡の碑。

こちらは靭延命地蔵尊。

永代濱(えいたいはま)跡の碑もある。

こちらにも。
「靱公園のこの付近一帯は江戸時代以来昆布、塩干魚、鰹節などの海産物の市場として靭の中心となしていた。これらの商人が荷揚げの便をよくするために寛永元年(1624)海部堀川を開削し、阿波堀川とこの川をつなぐ永代堀の屈折点を永代浜と称し、海産物の荷揚浜として賑わった。」

靭海産物市場跡。

江戸時代のはじめ、北浜にあった海産物の市場が移転し、元和8年(1622)干物などを扱う市場がこちらに移ってきたとある。
で、いったい永代浜ってどんなとこだったんだろう?
って思いますよね。
私も気になったので調べてみました。
まずは位置確認。
明治18年測量の地図です。
永代浜の雁木(がんぎ)と上海部橋(上之橋)、永代橋も確認できる。赤い印は楠の推定位置です。

大阪市パノラマ地図です。大正12年頃の永代浜が描かれている。
上之橋の袂に大きな木が確認できますね。

現在の地図と重ねてみます。
大阪の都心部は戦後の道路拡張で旧地図と重ねるのがかなり困難。ほぼこんな感じでしょうか。

堀の位置はこんな感じ。
現場にはそれらしい遺構はまったくありません。

航空写真です。
次に絵図で確認。
摂津名所図会の永代濱です。
右手に鮮魚も確認できますが、荷揚げされている物はほとんど梱包されている。乾物なんでしょうね。
永代浜(浪花百景)の拡大
浪花百景の永代浜です。手前は上之橋、右にちらっと見えるのが永代橋、奥に描かれている大屋根は北御堂でしょうか。
(関連サイト)【
錦絵にみる大阪の風景 】
最後は写真で。「わがまち今昔じまん」より
撮影時期は不明ですが明治時代っぽい。
舟こそ写っていませんが荷揚げされた様子がよくわかる貴重な写真だ。
「ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 大阪」より
これはさらに新しい写真かも。
手前のポールは電信柱のようです。奥にもそれが確認できる。
電気が普及していた時代のようですね。
「埋もれた西区の川と橋」より
上之橋が架け変わっています。
それにしても、昔の楠の方が大きいように思える。
おそらく現在の楠は地盤沈下で沈んだ分を盛土しているのかもしれない。
それも2メートルくらいは。

どうでしょう。
これだけ変化した土地も珍しいかもしれませんね。
その中で、約300年間ずっとこの地に根を下ろしている
この楠は凄いかも!と思いだしてきました。
調べる前は巨樹とは言いにくい樹だなぁと思っていたのですが
調べていくうちに愛着がわいてきてしまった。
もしかしたら大阪再生のシンボルにふさわしい樹かもしれないな。
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