2010年11月26日 08:00
西国街道を歩く(15)小野原
笹川良一が生れ育ち
川端康成がよく訪れた里
新家から小野原へ歩いて行きます。

西国街道に面した新家の大鳥居です。

ここから勝尾寺への表参道が始まります。

古い鳥居の事が書かれていますが、
阪神淡路大震災で被害を受け、新調されたようです。

この地域は小野原村の字地だったようですね。
旧地図を見ると字新家になっています。

きれいな町並みが続く。

ん? 軒下に桶が掛けてある。
何だろう?

お地蔵さん。

なぜかホッとする…

小さな川を渡った所に茅葺きであったであろう三角屋根の家があった。
「水」は火災から家を守るという意味だそうですよ。
橋を渡ると旧小野原村です。

すぐにこんな祠があった。

でも何かがわからんかった…

その向かいに金比羅大権現と刻まれた石灯籠がある。
旧小野原村の東西の入口にある常夜灯でこれは西のもの。

おっ、立派な松の木。

枝振りがなかなかええ感じです。

ちょっと神社に立寄ります。
ここは春日神社。きれいに整備されちゃっています。
回りは土地の区画整理が進んでいました。

創建は神護景雲(じんごけいうん)2年(768)とかなり古い。

もうひとつ鳥居があります。
ここからは、昔ながらの鎮守の森という感じ。

石灯籠の火袋にはちゃんと木枠と和紙が取り付けてある。
割った竹で止めるのか。

壮観だ。

水神社。

こちらは榊輪神社。この土地の元の神様なのかな。

その横にあるのが笹川良一氏の碑です。
「母背負い 宮のきざはしかぞえても
かぞえつくせぬ母の恩愛」 笹川良一

この階段が「宮のきざはし」なのでしょうか…
笹川氏が年老いた母親を背負ってここをのぼったのかも…

春日神社拝殿です。両脇に松が植えられている。
ところで、笹川良一氏の碑を見つけた時、
ここが郷里なの?という疑問が湧いて帰って調べると、
やはり小野原は笹川良一氏の生まれ育った土地でした。
で、先日新聞広告で「悪名の棺―笹川良一伝(工藤 美代子著)」の広告を見て
買って読んでみました。グットタイミングです。

第一章には少年時代に過ごしたこの村のことが書いてある。
西国街道沿いで造り酒屋を営むの裕福な家の長男として生まれ、かなりのガキ大将だったこと、近くの村に住む川端康成とは小学校の同級生で、父親と康成の祖父は囲碁仲間で、大人が碁に興じている間、ふたりでよく遊んでいたこと。川端家の墓を守る者がいなかった時、花を活けていたことなどが書かれている。ちなみに川端康成の両親は早くに亡くなり、3歳の時に祖父の住む宿久庄村に移っている。
笹川良一というと「ファシスト」「右翼」「政財界の黒幕」「ギャンブルの胴元」「日本の首領(ドン)」「A級戦犯容疑者」などマスコミに最後まで叩かれまくった方ですが、この本を読むとまた違う一面が見えてきてかなり面白い本でした。
アマゾンにリンクしてます → 「悪名の棺 ― 笹川良一伝」

現在は造り酒屋の建物は残っていませんが、
西国街道沿いに大きな旧家がいくつも並んでいます。

間口が広くなくても奥に広かったりします。
こちらはかなり塀が長い…。

立派な松の木がある門。表札には笹川とある。

他にも笹川の表札はいくつか見かけましたので、
生家がどちらなのかわかりませんでした。
(追記:Youtubeの映像を追記しました。この家は生家ではありません。そちらに生家が写っていました。)

さて、笹川良一は尋常高等小学校の高等科を卒業すると、寺へ修行に出されます。
それがこの正念寺。
「この子にこれ以上学問つけたら、きっと社会主義の洗礼を受けて国に刃向かうような人間になるか、都会の生活に染まって自堕落な人間になる。どちらにしても笹川家の名を傷つける。将来を考えるなら、身近なところへ置き、徳を積むことを教えた方がええ」
これは、小学校の校長が父親に言った言葉だそうです。
良一はこの寺で2年間住み込んで修行をしますが、
その2年間が彼の人間形成にも影響を与えているようです。

山門はかなり古そうなので当時と変わらないかも。

こちらは笹川家の菩提寺、理照寺です。
さて、先に進みます。

旧小野原村の東端です。

ここが突き当たり。

楠水竜王のお堂です。

道標には「左 京ふしみへ」とある。
奥の石灯籠には太神宮と刻まれてますね。
東の常夜灯です。西の常夜灯と対の関係のようです。

西国街道はこちらに続いて行きます。

向かいにあるのは春日神社のお旅所。

こういう解説の立て札はうれしい。

ところで、ここの石灯籠、ちょっと変わってませんか。
(おまけ)
笹川良一といえばこれしかないっしょ。
「一休さん」の時に流れてたみたい。
曜日で言葉が変わってたのね、確かにそうやったかも…
(追記)
こちらに生家がでてきます。この映像ええわ。
私の祖父と同い年なのですが、元気なお爺さんです。
より大きな地図で 西国街道マップ を表示
(武庫川~宿川原間)
(西へ)
1.西国街道を歩く・牧落
2.西国街道を歩く・桜井
3.西国街道を歩く・半町~瀬川
4.西国街道を歩く・石橋
5.西国街道を歩く・北轟木~北今在家
6.西国街道を歩く・下河原
7.西国街道を歩く・伊丹坂
8.西国街道を歩く・大鹿
9.西国街道を歩く・昆陽
10.西国街道を歩く・昆陽寺
11.西国街道を歩く・髭の渡し
(東へ)
12.西国街道を歩く・稲
13.西国街道を歩く・芝(萱野三平旧邸)
14.西国街道を歩く・今宮
15.西国街道を歩く・小野原(笹川良一の郷里)
16.西国街道を歩く・道祖本
17.西国街道を歩く・宿川原(椿の本陣)
(長岡京~高槻)
18.西国街道を歩く・神足
19.西国街道を歩く・友岡・調子
20.西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ
21.西国街道を歩く・観音寺・山崎聖天
22.西国街道を歩く・山崎駅と離宮八幡宮
23.西国街道を歩く・大山崎山荘・宝寺
24.西国街道を歩く・サントリー山崎蒸溜所・椎尾神社
25.西国街道を歩く・関大明神社・東大寺
26.西国街道を歩く・広瀬・水無瀬神宮
27.西国街道を歩く・桜井・桜井駅跡
28.西国街道を歩く・神内・鉄道近代化遺産
29.西国街道を歩く・梶原・一乗寺・畑山神社
30.西国街道を歩く・鉄道近代化遺産・ねじりまんぽ
31.西国街道を歩く・下・檜尾山春日神社
32.西国街道を歩く・安満・磐手杜神社
ポチッと、応援よろしく♪
笹川良一が生れ育ち
川端康成がよく訪れた里
新家から小野原へ歩いて行きます。

西国街道に面した新家の大鳥居です。

ここから勝尾寺への表参道が始まります。

古い鳥居の事が書かれていますが、
阪神淡路大震災で被害を受け、新調されたようです。

この地域は小野原村の字地だったようですね。
旧地図を見ると字新家になっています。

きれいな町並みが続く。

ん? 軒下に桶が掛けてある。
何だろう?

お地蔵さん。

なぜかホッとする…

小さな川を渡った所に茅葺きであったであろう三角屋根の家があった。
「水」は火災から家を守るという意味だそうですよ。
橋を渡ると旧小野原村です。

すぐにこんな祠があった。

でも何かがわからんかった…

その向かいに金比羅大権現と刻まれた石灯籠がある。
旧小野原村の東西の入口にある常夜灯でこれは西のもの。

おっ、立派な松の木。

枝振りがなかなかええ感じです。

ちょっと神社に立寄ります。
ここは春日神社。きれいに整備されちゃっています。
回りは土地の区画整理が進んでいました。

創建は神護景雲(じんごけいうん)2年(768)とかなり古い。

もうひとつ鳥居があります。
ここからは、昔ながらの鎮守の森という感じ。

石灯籠の火袋にはちゃんと木枠と和紙が取り付けてある。
割った竹で止めるのか。

壮観だ。

水神社。

こちらは榊輪神社。この土地の元の神様なのかな。

その横にあるのが笹川良一氏の碑です。
「母背負い 宮のきざはしかぞえても
かぞえつくせぬ母の恩愛」 笹川良一

この階段が「宮のきざはし」なのでしょうか…
笹川氏が年老いた母親を背負ってここをのぼったのかも…

春日神社拝殿です。両脇に松が植えられている。
ところで、笹川良一氏の碑を見つけた時、
ここが郷里なの?という疑問が湧いて帰って調べると、
やはり小野原は笹川良一氏の生まれ育った土地でした。
で、先日新聞広告で「悪名の棺―笹川良一伝(工藤 美代子著)」の広告を見て
買って読んでみました。グットタイミングです。

第一章には少年時代に過ごしたこの村のことが書いてある。
西国街道沿いで造り酒屋を営むの裕福な家の長男として生まれ、かなりのガキ大将だったこと、近くの村に住む川端康成とは小学校の同級生で、父親と康成の祖父は囲碁仲間で、大人が碁に興じている間、ふたりでよく遊んでいたこと。川端家の墓を守る者がいなかった時、花を活けていたことなどが書かれている。ちなみに川端康成の両親は早くに亡くなり、3歳の時に祖父の住む宿久庄村に移っている。
笹川良一というと「ファシスト」「右翼」「政財界の黒幕」「ギャンブルの胴元」「日本の首領(ドン)」「A級戦犯容疑者」などマスコミに最後まで叩かれまくった方ですが、この本を読むとまた違う一面が見えてきてかなり面白い本でした。
アマゾンにリンクしてます → 「悪名の棺 ― 笹川良一伝」

現在は造り酒屋の建物は残っていませんが、
西国街道沿いに大きな旧家がいくつも並んでいます。

間口が広くなくても奥に広かったりします。
こちらはかなり塀が長い…。

立派な松の木がある門。表札には笹川とある。

生家がどちらなのかわかりませんでした。
(追記:Youtubeの映像を追記しました。この家は生家ではありません。そちらに生家が写っていました。)

さて、笹川良一は尋常高等小学校の高等科を卒業すると、寺へ修行に出されます。
それがこの正念寺。
「この子にこれ以上学問つけたら、きっと社会主義の洗礼を受けて国に刃向かうような人間になるか、都会の生活に染まって自堕落な人間になる。どちらにしても笹川家の名を傷つける。将来を考えるなら、身近なところへ置き、徳を積むことを教えた方がええ」
これは、小学校の校長が父親に言った言葉だそうです。
良一はこの寺で2年間住み込んで修行をしますが、
その2年間が彼の人間形成にも影響を与えているようです。

山門はかなり古そうなので当時と変わらないかも。

こちらは笹川家の菩提寺、理照寺です。
さて、先に進みます。

旧小野原村の東端です。

ここが突き当たり。

楠水竜王のお堂です。

道標には「左 京ふしみへ」とある。
奥の石灯籠には太神宮と刻まれてますね。
東の常夜灯です。西の常夜灯と対の関係のようです。

西国街道はこちらに続いて行きます。

向かいにあるのは春日神社のお旅所。

こういう解説の立て札はうれしい。

ところで、ここの石灯籠、ちょっと変わってませんか。
(おまけ)
笹川良一といえばこれしかないっしょ。
「一休さん」の時に流れてたみたい。
曜日で言葉が変わってたのね、確かにそうやったかも…
(追記)
こちらに生家がでてきます。この映像ええわ。
私の祖父と同い年なのですが、元気なお爺さんです。
より大きな地図で 西国街道マップ を表示
(武庫川~宿川原間)
(西へ)
1.西国街道を歩く・牧落
2.西国街道を歩く・桜井
3.西国街道を歩く・半町~瀬川
4.西国街道を歩く・石橋
5.西国街道を歩く・北轟木~北今在家
6.西国街道を歩く・下河原
7.西国街道を歩く・伊丹坂
8.西国街道を歩く・大鹿
9.西国街道を歩く・昆陽
10.西国街道を歩く・昆陽寺
11.西国街道を歩く・髭の渡し
(東へ)
12.西国街道を歩く・稲
13.西国街道を歩く・芝(萱野三平旧邸)
14.西国街道を歩く・今宮
15.西国街道を歩く・小野原(笹川良一の郷里)
16.西国街道を歩く・道祖本
17.西国街道を歩く・宿川原(椿の本陣)
(長岡京~高槻)
18.西国街道を歩く・神足
19.西国街道を歩く・友岡・調子
20.西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ
21.西国街道を歩く・観音寺・山崎聖天
22.西国街道を歩く・山崎駅と離宮八幡宮
23.西国街道を歩く・大山崎山荘・宝寺
24.西国街道を歩く・サントリー山崎蒸溜所・椎尾神社
25.西国街道を歩く・関大明神社・東大寺
26.西国街道を歩く・広瀬・水無瀬神宮
27.西国街道を歩く・桜井・桜井駅跡
28.西国街道を歩く・神内・鉄道近代化遺産
29.西国街道を歩く・梶原・一乗寺・畑山神社
30.西国街道を歩く・鉄道近代化遺産・ねじりまんぽ
31.西国街道を歩く・下・檜尾山春日神社
32.西国街道を歩く・安満・磐手杜神社
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