2014年07月13日 20:40
ただのカフェではない。
ピエロハーバーとは何なのか?
演劇文化の発信基地
ピエロハーバーと
ゆかいな仲間たち
大阪市北区中津の高架下にあるピエロハーバーが10月で閉鎖されます。
閉鎖は中津高架橋の耐震補強工事に伴う立ち退きのためで、移転先はまだ決まっていない状況です。実は移転先がほぼ決まりかけていたのですが、さまざまな要因で契約が成立せず、移転先問題がここにきて白紙に戻ってしまいました。いま、ピエロハーバーは存続の岐路に立っています。
ところで、みなさんはピエロハーバーのことをどのくらいご存知でしょうか?ピエロハーバーというと一風変わったカフェのイメージが強いですが、カフェの奥には小劇場などがあり、劇団も存在し、店内の雰囲気は他に類をみない奇抜な空間。ピエロハーバーとはいったい何なのか?いまさらですが、まとめてみたいと思います。
下の図はピエロハーバーをとりまく関係図です。

ピエロハーバーの正式名称は「中津芸術文化村 ピエロハーバー」(以下ピエロハーバーという)。ピエロハーバー内には、カフェ&レストランと客席数約100席の小劇場、さらに稽古場等があり、小劇場では定期的にショーや演劇の公演が行われています。「座・大阪市民劇場」は、普段は演劇を見る側の人が集まり、数ヶ月間稽古をし、一本の作品を仕上げ公演終了後解散するという仕組みの劇団です。ピエロハーバーは、芸術文化村というだけあって、演劇を柱にした芸術文化の発信基地のような場所なのです。そんな「場」は他にあるでしょうか。大阪にとってとても貴重な存在です。
それらの運営は(有)ワン・ワールド・ジャパンが総合的に管理をしています。ワン・ワールド・ジャパンはイベント等も手がけており、神戸のメリケンパークで毎年行われているインド文化との交流イベント「インディア・メーラー」の実行委員会事務局にもなっています。インディア・メーラーは、在大阪神戸インド総領事館やインド政府観光局、在日本インド商業会議所等が共催になっているイベントで、主催がインディア・メーラー実行委員会。その実行委員長が仲風見(なかふうけん)という人物です。仲風見氏は、劇団「Stage SS Zakkadan」や「座・大阪市民劇場」などを主宰する人物であり、ワン・ワールド・ジャパンの代表取締役。若い頃は役者として知る人ぞ知る存在だった人物です。
伝説の役者・仲風見とは何者なのか?

「看板がかなり汚れてしまったが、私が仲 風見 (なか ふうけん)だ。昭和22年(1947)尼崎生まれ。13歳で劇団「青猫座」に入団し演劇の基礎をここで叩き込まれた。「青猫座」とは、筒井康隆氏や金田龍之介氏も入団していた関西の新劇の劇団だ。その後、梅田コマ劇場で役者としても働いた。この顔だから悪役だ。この時はめちゃくちゃ働いたがめちゃくちゃ稼いだ。数年間収入がなくても過ごせるだけ稼いだぞ。その後いろいろあって、1986年に「地域」「文化」を合言葉に若者の文化育成、一般地域の文化育成に勢力を傾けるようになる。1987年に「劇団SS雑貨団」を結成。舞台の脚本、演出だけでなく、町の演出、いわゆる町おこしの仕掛人として様々な場で活動し今に至っている。だいたいこんな感じだ。顔はこわいがこわくないぞ。おいこら、俺を避けるな!」
あくまでも私がイメージする仲風見像です。あしからず。

この人たちが劇団「Stage SS Zakkadan」の主要メンバーです。まだ「プガジャ」が全盛だった頃、劇団員の募集の記事を見て応募し、最初に入団したのが当時19歳の秋 朔海(しゅう さくみ)。「劇団SS雑貨団」の旗揚げ公演は、役者が秋だけだったこともあり、秋のひとり舞台だったのだとか。秋はいまや伝説的なカフェ「カンテ・グランデ」でバイトをしていたこともあり、当時同じバイト仲間だったウルフルズのトータス松本がその旗揚げ公演に仲間を連れて見に来てくれたという伝説の持ち主。伝説といえば、山口かおるも伝説を持っています。サンテレビの深夜の音楽番組に、一部に熱狂的なファンがいた「Sunday Music Box」という番組があったのですが、その番組にコントのコーナーがあり、山口はその司会的な役で深夜番組にも関わらず毎回「こんにちは」から始めたという。さすがです。
他のメンバーもバラエティに富んだキャラクターがそろっていています。普段はカフェやカリー屋で働いたりしてる方も、ショーや舞台では役者の顔になる。そこが素敵です。役者ってすごい。
ひと昔前の演劇界では、一座という仕組みがあり、みんなで同じ釜の飯を食う的な強い結びつきが存在していました。今の時代にそのような劇団はほとんど存在しませんが、「Stage SS Zakkadan」は、その一座の結びつきを残す数少ない劇団だと思います。全員ではないですが、共に働き共に演じる運命共同体のような集団。とても素敵だと思います。
さて、

伝説の秋朔実さんに昔の写真をお借りしました。これは2003年の写真で、仲さんの後ろがピエロハーバー開港準備室の事務所。ここから今のピエロハーバーが始まりました。これは象徴的な写真ですね。

中はこんな状態。

まだ倉庫の名残が残っています。

ここから始まったのか。すごいな。

壁面のペイント作業が始まりました。

壁面を白く塗りつぶすだけでも大変な作業だ。

ピエロの壁画が完成。壁画は内外いたるところに描かれていますが、当時の女性劇団員とその友人、その他数名で描いたそうです。この壁面両サイドのピエロは、柱のペイントはNGという行政からの指導で消したそうです。逆にそれ以外は自由。いい時代だったのかもしれません。この場所にピエロハーバーができる時は、大阪府からも奨励金(先導的コミュニティビジネス創出支援事業の事業化奨励金)が出ていますので行政も協力的だったのだと思います。

中もきれいになってきました。よしずで柱を隠しまくっていますが、この空間がその後ビアホールになっていきます。

短期間でよくここまで持ってきたものです。ただの倉庫から約1ヶ月でそれらしくなってきた。

おっ、あの顔も。
左の絵は柱に描かれていたので今は消されています。

ということで、2003年の夏に夏期限定のビアホールがオープンしました。

これはあやしい。
入るのに勇気がいりそう…

このビアホール。実は大盛況だったようです。
ビールメーカーさんの協力でとにかくビールが安く提供できたのだとか。

あ、この舵。

これだ〜

ということで、あれから11年でこれだけ変わりました。

相変わらずあやしいのですが、

昔のあやしさから比べるとまともな入口になりました。

当時のピエロがここに残っています。

中津6丁目カレー、評判はかなりいいらしいです。ちなみに命名は伝説の秋さん。どのメニューもリーズナブルですよ。

すっかり中津高架下のシンボルになりましたね。

入口から入って正面です。
なぜ通路の真ん中に植木鉢を置いているのだろう?

左はこんな感じ。
売り物ではではありません。たぶん…

なぜここにMr. ビーンなのか…

この柱のピエロは最初からある絵。
この一角は竹と石灯籠で和を演出しています。

正面のステージ。

ここに裸の彫刻があっても違和感をまったく感じないのはなぜだろう。

言っていいですか?
いままでずっと言わずにいたのですが、
ボニー&クライドのクライドの顔がこわいです…

服の数よりハンガーの数の方が多い無人フリマ。
売れているのかもしれない…

ラウンジ風のソファー席もあります。
あえて左のヤツにはふれない…

なんとなく仕切られた空間もあります。

この扇風機はここの夏の風物詩。
羽根の前のカゴに氷を入れるアナログ冷風機。
以前はバケツで水を受けていたと思うのですが、今は改良されてタンクに入る仕組み。

あ、よしこがあんな隅っこに。
昔はピエロハーバーでセンターを張っていたのですが、これも時代の流れか…

座・大阪市民劇場の「また逢う日まで」の公演が9月20日、21日、22日にあります。この空間では最後の公演になりますね。

こんないい空間がなくなるのは本当に残念だ。
このピエロハーバーは10月でなくなります。
大阪市との契約で、10月にはこの空間からすべてのものを出して引き渡す必要があります。ただし、いまのところ移転先が見つかっていません。代替地は自分たちで探す必要があるのですが、いい場所がなかなか見つからない。さらに、資金的にも厳しい状況が続いています。
もし、候補地を提供してもいいというオーナーの方がいらっしゃいましたらご連絡いただけるとありがたいです。あるいは、いい空き物件があるという情報も大歓迎。倉庫跡とかビルの一棟貸しが候補地になるのかもしれません。ブログに非公開コメントを入れていただければ、責任を持ってピエロハーバーの担当者に伝えます。

私自身にできることといえば、冷たーいビールを飲みにいくことくらいしかできませんが、それでも少しは支援になるかもしれないので、よかったらみなさんもお立ち寄りくださいませ。
10月で一旦さよならですが、
それまでも、そして新生ピエロハーバーも
応援したいと思います。
(関連サイト)
「中津芸術文化村 ピエロハーバー」
「Stage SS Zakkadan」
「インディア・メーラー2014」
「新設★応援サイト」
ポチッと、応援よろしく♪
ピエロハーバーとは何なのか?
演劇文化の発信基地
ピエロハーバーと
ゆかいな仲間たち
大阪市北区中津の高架下にあるピエロハーバーが10月で閉鎖されます。
閉鎖は中津高架橋の耐震補強工事に伴う立ち退きのためで、移転先はまだ決まっていない状況です。実は移転先がほぼ決まりかけていたのですが、さまざまな要因で契約が成立せず、移転先問題がここにきて白紙に戻ってしまいました。いま、ピエロハーバーは存続の岐路に立っています。
ところで、みなさんはピエロハーバーのことをどのくらいご存知でしょうか?ピエロハーバーというと一風変わったカフェのイメージが強いですが、カフェの奥には小劇場などがあり、劇団も存在し、店内の雰囲気は他に類をみない奇抜な空間。ピエロハーバーとはいったい何なのか?いまさらですが、まとめてみたいと思います。
下の図はピエロハーバーをとりまく関係図です。

ピエロハーバーの正式名称は「中津芸術文化村 ピエロハーバー」(以下ピエロハーバーという)。ピエロハーバー内には、カフェ&レストランと客席数約100席の小劇場、さらに稽古場等があり、小劇場では定期的にショーや演劇の公演が行われています。「座・大阪市民劇場」は、普段は演劇を見る側の人が集まり、数ヶ月間稽古をし、一本の作品を仕上げ公演終了後解散するという仕組みの劇団です。ピエロハーバーは、芸術文化村というだけあって、演劇を柱にした芸術文化の発信基地のような場所なのです。そんな「場」は他にあるでしょうか。大阪にとってとても貴重な存在です。
それらの運営は(有)ワン・ワールド・ジャパンが総合的に管理をしています。ワン・ワールド・ジャパンはイベント等も手がけており、神戸のメリケンパークで毎年行われているインド文化との交流イベント「インディア・メーラー」の実行委員会事務局にもなっています。インディア・メーラーは、在大阪神戸インド総領事館やインド政府観光局、在日本インド商業会議所等が共催になっているイベントで、主催がインディア・メーラー実行委員会。その実行委員長が仲風見(なかふうけん)という人物です。仲風見氏は、劇団「Stage SS Zakkadan」や「座・大阪市民劇場」などを主宰する人物であり、ワン・ワールド・ジャパンの代表取締役。若い頃は役者として知る人ぞ知る存在だった人物です。
伝説の役者・仲風見とは何者なのか?

「看板がかなり汚れてしまったが、私が仲 風見 (なか ふうけん)だ。昭和22年(1947)尼崎生まれ。13歳で劇団「青猫座」に入団し演劇の基礎をここで叩き込まれた。「青猫座」とは、筒井康隆氏や金田龍之介氏も入団していた関西の新劇の劇団だ。その後、梅田コマ劇場で役者としても働いた。この顔だから悪役だ。この時はめちゃくちゃ働いたがめちゃくちゃ稼いだ。数年間収入がなくても過ごせるだけ稼いだぞ。その後いろいろあって、1986年に「地域」「文化」を合言葉に若者の文化育成、一般地域の文化育成に勢力を傾けるようになる。1987年に「劇団SS雑貨団」を結成。舞台の脚本、演出だけでなく、町の演出、いわゆる町おこしの仕掛人として様々な場で活動し今に至っている。だいたいこんな感じだ。顔はこわいがこわくないぞ。おいこら、俺を避けるな!」
あくまでも私がイメージする仲風見像です。あしからず。

この人たちが劇団「Stage SS Zakkadan」の主要メンバーです。まだ「プガジャ」が全盛だった頃、劇団員の募集の記事を見て応募し、最初に入団したのが当時19歳の秋 朔海(しゅう さくみ)。「劇団SS雑貨団」の旗揚げ公演は、役者が秋だけだったこともあり、秋のひとり舞台だったのだとか。秋はいまや伝説的なカフェ「カンテ・グランデ」でバイトをしていたこともあり、当時同じバイト仲間だったウルフルズのトータス松本がその旗揚げ公演に仲間を連れて見に来てくれたという伝説の持ち主。伝説といえば、山口かおるも伝説を持っています。サンテレビの深夜の音楽番組に、一部に熱狂的なファンがいた「Sunday Music Box」という番組があったのですが、その番組にコントのコーナーがあり、山口はその司会的な役で深夜番組にも関わらず毎回「こんにちは」から始めたという。さすがです。
他のメンバーもバラエティに富んだキャラクターがそろっていています。普段はカフェやカリー屋で働いたりしてる方も、ショーや舞台では役者の顔になる。そこが素敵です。役者ってすごい。
ひと昔前の演劇界では、一座という仕組みがあり、みんなで同じ釜の飯を食う的な強い結びつきが存在していました。今の時代にそのような劇団はほとんど存在しませんが、「Stage SS Zakkadan」は、その一座の結びつきを残す数少ない劇団だと思います。全員ではないですが、共に働き共に演じる運命共同体のような集団。とても素敵だと思います。
さて、

伝説の秋朔実さんに昔の写真をお借りしました。これは2003年の写真で、仲さんの後ろがピエロハーバー開港準備室の事務所。ここから今のピエロハーバーが始まりました。これは象徴的な写真ですね。

中はこんな状態。

まだ倉庫の名残が残っています。

ここから始まったのか。すごいな。

壁面のペイント作業が始まりました。

壁面を白く塗りつぶすだけでも大変な作業だ。

ピエロの壁画が完成。壁画は内外いたるところに描かれていますが、当時の女性劇団員とその友人、その他数名で描いたそうです。この壁面両サイドのピエロは、柱のペイントはNGという行政からの指導で消したそうです。逆にそれ以外は自由。いい時代だったのかもしれません。この場所にピエロハーバーができる時は、大阪府からも奨励金(先導的コミュニティビジネス創出支援事業の事業化奨励金)が出ていますので行政も協力的だったのだと思います。

中もきれいになってきました。よしずで柱を隠しまくっていますが、この空間がその後ビアホールになっていきます。

短期間でよくここまで持ってきたものです。ただの倉庫から約1ヶ月でそれらしくなってきた。

おっ、あの顔も。
左の絵は柱に描かれていたので今は消されています。

ということで、2003年の夏に夏期限定のビアホールがオープンしました。

これはあやしい。
入るのに勇気がいりそう…

このビアホール。実は大盛況だったようです。
ビールメーカーさんの協力でとにかくビールが安く提供できたのだとか。

あ、この舵。

これだ〜

ということで、あれから11年でこれだけ変わりました。

相変わらずあやしいのですが、

昔のあやしさから比べるとまともな入口になりました。

当時のピエロがここに残っています。

中津6丁目カレー、評判はかなりいいらしいです。ちなみに命名は伝説の秋さん。どのメニューもリーズナブルですよ。

すっかり中津高架下のシンボルになりましたね。

入口から入って正面です。
なぜ通路の真ん中に植木鉢を置いているのだろう?

左はこんな感じ。
売り物ではではありません。たぶん…

なぜここにMr. ビーンなのか…

この柱のピエロは最初からある絵。
この一角は竹と石灯籠で和を演出しています。

正面のステージ。

ここに裸の彫刻があっても違和感をまったく感じないのはなぜだろう。

言っていいですか?
いままでずっと言わずにいたのですが、
ボニー&クライドのクライドの顔がこわいです…

服の数よりハンガーの数の方が多い無人フリマ。
売れているのかもしれない…

ラウンジ風のソファー席もあります。
あえて左のヤツにはふれない…

なんとなく仕切られた空間もあります。

この扇風機はここの夏の風物詩。
羽根の前のカゴに氷を入れるアナログ冷風機。
以前はバケツで水を受けていたと思うのですが、今は改良されてタンクに入る仕組み。

あ、よしこがあんな隅っこに。
昔はピエロハーバーでセンターを張っていたのですが、これも時代の流れか…

座・大阪市民劇場の「また逢う日まで」の公演が9月20日、21日、22日にあります。この空間では最後の公演になりますね。

こんないい空間がなくなるのは本当に残念だ。
このピエロハーバーは10月でなくなります。
大阪市との契約で、10月にはこの空間からすべてのものを出して引き渡す必要があります。ただし、いまのところ移転先が見つかっていません。代替地は自分たちで探す必要があるのですが、いい場所がなかなか見つからない。さらに、資金的にも厳しい状況が続いています。
もし、候補地を提供してもいいというオーナーの方がいらっしゃいましたらご連絡いただけるとありがたいです。あるいは、いい空き物件があるという情報も大歓迎。倉庫跡とかビルの一棟貸しが候補地になるのかもしれません。ブログに非公開コメントを入れていただければ、責任を持ってピエロハーバーの担当者に伝えます。

私自身にできることといえば、冷たーいビールを飲みにいくことくらいしかできませんが、それでも少しは支援になるかもしれないので、よかったらみなさんもお立ち寄りくださいませ。
10月で一旦さよならですが、
それまでも、そして新生ピエロハーバーも
応援したいと思います。
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