2010年10月20日 08:00
西国街道を歩く(11)
髭の渡し

明治18年測量の地図です。川は武庫川。
髭の渡しは常松村と西昆陽村が月番で受け持っていたそうです。

現在の地図と重ねると

こうなる。

航空写真だとこうなる。

昆陽里の交差点から再び国道171号線の北側の道を歩きます。
少し歩くとこんな石碑がある。

師直(もろなお)塚。観応2年(1351)足利家の武将高師直(こうのもろなお)が
この地で討たれ高一族は滅んだといわれています。

詳しくはこちら。(葉っぱで文字が読みにくいですが…)

さて、西国街道は右の道をまっすぐ行きます。

途中、歩道橋の下にお堂が、
足下には武庫村道路元標があった。

青面(しょうめん)金剛の庚申塔です。
そういえば、西国街道を東へ歩いた時に
青面金剛と刻まれた石碑をいくつか見かけました。

街道沿いに野菜を売っている小屋を見つけた。

中をのぞくととっても新鮮な野菜を売ってました。

ちょっと寄り道をして旧常松村を歩いてみます。

古い建物がポツポツと残ってる。

ええ感じです。

お地蔵さんもあった。

こちらは浄正寺。常松小学校誕生の地の碑があります。
天明年間(1781~1788)に浄正寺の住職が寺子屋秦野塾を開いたそうで、
明治6年(1873)尼崎市内で最も早く小学校が開校された場所です。

おっ、火の見櫓だ。

なかなかええ感じの古さです。

こんなプレートがあった。
昭和8年にできたそうです。

常松春日神社です。

創建は元暦2年(1185)とかなり古い。

境内でこんな石碑を見つけた。
2つに割れていますが東宮御野立所の石碑です。東宮とは皇太子のこと。
明治45年に建てられているので東宮とは大正天皇です。
明治44年、陸軍対抗演習を観戦するため通られたのでしょう。

ここは武庫川の堤防沿い。

髭茶屋がこの辺りにあったのですね。

この坂をのぼって堤防を越えます。

河川敷にはこんな場所があった。

お堂は行者堂というらしい。
髭の渡しは平安時代の延長年間(923~931)に出来たと言われています。
ある時代、この場所で常松村の髭をたくわえた老人が旅人のために
茶屋を開いていたそうで、髭の渡しの名前はそこからきているらしい。
行者堂はその老人を祀っているのだとか。
1枚目の明治18年測量の地図を見ると、
この河川敷に家が数件並んでいるのが確認できる。
茶店がまだあったのかもしれませんね。

ここでは髭の老人は西昆陽村の人と書かれています。
諸説あるようですね。

私が訪れたのは彼岸花の時期。

川の近くにはコンクリートのお堂があった。
この場所、コスモスの季節はすごいらしいですよ。

昔からずっとここで旅人を見続けて来たのでしょうね。

西国街道シリーズも西行きはとりあえずここまで。
次回からは牧落から東方面へ歩いて行きます。
より大きな地図で 西国街道 を表示
(武庫川~宿川原間)
(西へ)
1.西国街道を歩く・牧落
2.西国街道を歩く・桜井
3.西国街道を歩く・半町~瀬川
4.西国街道を歩く・石橋
5.西国街道を歩く・北轟木~北今在家
6.西国街道を歩く・下河原
7.西国街道を歩く・伊丹坂
8.西国街道を歩く・大鹿
9.西国街道を歩く・昆陽
10.西国街道を歩く・昆陽寺
11.西国街道を歩く・髭の渡し
(東へ)
12.西国街道を歩く・稲
13.西国街道を歩く・芝(萱野三平旧邸)
14.西国街道を歩く・今宮
15.西国街道を歩く・小野原(笹川良一の郷里)
16.西国街道を歩く・道祖本
17.西国街道を歩く・宿川原(椿の本陣)
(長岡京~高槻)
18.西国街道を歩く・神足
19.西国街道を歩く・友岡・調子
20.西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ
21.西国街道を歩く・観音寺・山崎聖天
22.西国街道を歩く・山崎駅と離宮八幡宮
23.西国街道を歩く・大山崎山荘・宝寺
24.西国街道を歩く・サントリー山崎蒸溜所・椎尾神社
25.西国街道を歩く・関大明神社・東大寺
26.西国街道を歩く・広瀬・水無瀬神宮
27.西国街道を歩く・桜井・桜井駅跡
28.西国街道を歩く・神内・鉄道近代化遺産
29.西国街道を歩く・梶原・一乗寺・畑山神社
30.西国街道を歩く・鉄道近代化遺産・ねじりまんぽ
31.西国街道を歩く・下・檜尾山春日神社
32.西国街道を歩く・安満・磐手杜神社
ポチッと、応援よろしく♪
髭の渡し

明治18年測量の地図です。川は武庫川。
髭の渡しは常松村と西昆陽村が月番で受け持っていたそうです。

現在の地図と重ねると

こうなる。

航空写真だとこうなる。

昆陽里の交差点から再び国道171号線の北側の道を歩きます。
少し歩くとこんな石碑がある。

師直(もろなお)塚。観応2年(1351)足利家の武将高師直(こうのもろなお)が
この地で討たれ高一族は滅んだといわれています。

詳しくはこちら。(葉っぱで文字が読みにくいですが…)

さて、西国街道は右の道をまっすぐ行きます。

途中、歩道橋の下にお堂が、
足下には武庫村道路元標があった。

青面(しょうめん)金剛の庚申塔です。
そういえば、西国街道を東へ歩いた時に
青面金剛と刻まれた石碑をいくつか見かけました。

街道沿いに野菜を売っている小屋を見つけた。

中をのぞくととっても新鮮な野菜を売ってました。

ちょっと寄り道をして旧常松村を歩いてみます。

古い建物がポツポツと残ってる。

ええ感じです。

お地蔵さんもあった。

こちらは浄正寺。常松小学校誕生の地の碑があります。
天明年間(1781~1788)に浄正寺の住職が寺子屋秦野塾を開いたそうで、
明治6年(1873)尼崎市内で最も早く小学校が開校された場所です。

おっ、火の見櫓だ。

なかなかええ感じの古さです。

こんなプレートがあった。
昭和8年にできたそうです。

常松春日神社です。

創建は元暦2年(1185)とかなり古い。

境内でこんな石碑を見つけた。
2つに割れていますが東宮御野立所の石碑です。東宮とは皇太子のこと。
明治45年に建てられているので東宮とは大正天皇です。
明治44年、陸軍対抗演習を観戦するため通られたのでしょう。

ここは武庫川の堤防沿い。

髭茶屋がこの辺りにあったのですね。

この坂をのぼって堤防を越えます。

河川敷にはこんな場所があった。

お堂は行者堂というらしい。
髭の渡しは平安時代の延長年間(923~931)に出来たと言われています。
ある時代、この場所で常松村の髭をたくわえた老人が旅人のために
茶屋を開いていたそうで、髭の渡しの名前はそこからきているらしい。
行者堂はその老人を祀っているのだとか。
1枚目の明治18年測量の地図を見ると、
この河川敷に家が数件並んでいるのが確認できる。
茶店がまだあったのかもしれませんね。

ここでは髭の老人は西昆陽村の人と書かれています。
諸説あるようですね。

私が訪れたのは彼岸花の時期。

川の近くにはコンクリートのお堂があった。
この場所、コスモスの季節はすごいらしいですよ。

昔からずっとここで旅人を見続けて来たのでしょうね。

西国街道シリーズも西行きはとりあえずここまで。
次回からは牧落から東方面へ歩いて行きます。
より大きな地図で 西国街道 を表示
(武庫川~宿川原間)
(西へ)
1.西国街道を歩く・牧落
2.西国街道を歩く・桜井
3.西国街道を歩く・半町~瀬川
4.西国街道を歩く・石橋
5.西国街道を歩く・北轟木~北今在家
6.西国街道を歩く・下河原
7.西国街道を歩く・伊丹坂
8.西国街道を歩く・大鹿
9.西国街道を歩く・昆陽
10.西国街道を歩く・昆陽寺
11.西国街道を歩く・髭の渡し
(東へ)
12.西国街道を歩く・稲
13.西国街道を歩く・芝(萱野三平旧邸)
14.西国街道を歩く・今宮
15.西国街道を歩く・小野原(笹川良一の郷里)
16.西国街道を歩く・道祖本
17.西国街道を歩く・宿川原(椿の本陣)
(長岡京~高槻)
18.西国街道を歩く・神足
19.西国街道を歩く・友岡・調子
20.西国街道を歩く・円明寺とねじりまんぽ
21.西国街道を歩く・観音寺・山崎聖天
22.西国街道を歩く・山崎駅と離宮八幡宮
23.西国街道を歩く・大山崎山荘・宝寺
24.西国街道を歩く・サントリー山崎蒸溜所・椎尾神社
25.西国街道を歩く・関大明神社・東大寺
26.西国街道を歩く・広瀬・水無瀬神宮
27.西国街道を歩く・桜井・桜井駅跡
28.西国街道を歩く・神内・鉄道近代化遺産
29.西国街道を歩く・梶原・一乗寺・畑山神社
30.西国街道を歩く・鉄道近代化遺産・ねじりまんぽ
31.西国街道を歩く・下・檜尾山春日神社
32.西国街道を歩く・安満・磐手杜神社
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