2011年08月28日 08:00
今里まちなみ逍遥 ④
旧本庄村・旧中道村を歩く

明治18年測量の地図です。
東西に通る道は暗越奈良街道、
中心を流れるのは平野川、古名は百済川と呼ばれていました。
平野川と暗越奈良街道が交差する橋は玉津橋です。

昭和4年測量の地図です。
田畑がほとんど無くなっている。
本庄村は中本町と地名が変わっています。
左の川は猫間川、そこに小さな橋が架かっています。
宝永8年(1711)に幕府の命によって架けられたという石橋(黒門橋)です。

現在です。中心部は区画整理されている。

旧本庄村、中本の真宗 誓立寺(せいりゅうじ)。

創建は慶長年間(1596~1615)だそうです。

玉津橋から平野川と並行してる旧道を歩いていきましょう。

ちょっと古い家。

玄関の横に水道がある。
昔は井戸があったのかな?

とても大きなお地蔵さんだ。
右の石柱には観音寺の文字が見える。
現在の中本小学校の場所に観音寺があったようです。
しかし明治18年の大洪水で被害を受け廃寺になってしまったとか。
それにしても常夜灯も入って結構窮屈かも…

やさしい表情をしておられる。

昔の風情を感じる一角。

この辺り、家がどんどん新しくなっているのですが
ところどころに昔の名残が残っている。

ぽつんと残された地蔵尊。

さて、北端の八王子神社に来ました。

旧本庄村の氏神で、創建の経緯は不明だが一説には応神天皇3年(273)の創建とも伝えられている。元は八王子稲荷社と称していました。

明治5年に百済(くだら)神社と改称、明治42年に旧西今里村の八剣神社を合祀して八王子神社と改めたそうです。

由緒が刻まれたこの石は猫間川に架かっていた石橋の石材で作られているそうです。

神社の裏に地蔵尊がありました。
昔はこの前を水路が流れていたのでそれと関係があるのかな。
川の近くには地蔵尊が多いですね。

さて、平野川を渡って旧中道村に入ります。

ちょっと気になる消防署の看板。

こちらは旧中道村の氏神 八阪神社。

鳥居をくぐって右手に大きな石がある。
これも猫間川に架かっていた石橋の石材らしいですよ。

正面には立派な蔵。
本殿は方角が違うようだ。

創建は寛仁元年(1017)、藤原道長がこの地に別邸を造り牛頭天王白山権現を鎮守として奉祀したのが始まりとされる。

明治42年に暗越奈良街道まで参詣道を開拓し、社殿を南向に改めたそうだ。どうりで違和感を感じたはずだ。

境内には親子の白馬が。

枝ぶりが立派な藤も気になった。

これが暗越奈良街道まで続く参道。
右の建物は銭湯です。八阪湯さん。

銭湯と神社に挟まれた細い道。

そこにボイラー室があったのだ。チラ見♪

おばあちゃんが水をまいていた。
ええ町やね。

でも、ポカンと更地になった場所も…

こちらは何かのお店だったのかな。

昔のまちなみが残っている。

暗越奈良街道に面してある真宗 浄琳寺。

その横に八坂神社の参道がある。

「暗越奈良街道 距高麗橋元標壱里」の石碑
高麗橋の道路元標からちょうど一里だそうだ。

この参道の雰囲気もいいですね。
(関連記事)
「大阪巨樹巡礼 6 八王子神社御旅所の楠」 2011.08.19
「今里・暗越奈良街道」 2011.08.21
「大今里・熊野大神宮と妙法寺」 2011.08.24
「西今里・東今里」 2011.08.26
「東成・旧本庄村・旧中道村」 2011.08.28
ポチッと、応援よろしく♪
旧本庄村・旧中道村を歩く

明治18年測量の地図です。
東西に通る道は暗越奈良街道、
中心を流れるのは平野川、古名は百済川と呼ばれていました。
平野川と暗越奈良街道が交差する橋は玉津橋です。

昭和4年測量の地図です。
田畑がほとんど無くなっている。
本庄村は中本町と地名が変わっています。
左の川は猫間川、そこに小さな橋が架かっています。
宝永8年(1711)に幕府の命によって架けられたという石橋(黒門橋)です。

現在です。中心部は区画整理されている。

旧本庄村、中本の真宗 誓立寺(せいりゅうじ)。

創建は慶長年間(1596~1615)だそうです。

玉津橋から平野川と並行してる旧道を歩いていきましょう。

ちょっと古い家。

玄関の横に水道がある。
昔は井戸があったのかな?

とても大きなお地蔵さんだ。
右の石柱には観音寺の文字が見える。
現在の中本小学校の場所に観音寺があったようです。
しかし明治18年の大洪水で被害を受け廃寺になってしまったとか。
それにしても常夜灯も入って結構窮屈かも…

やさしい表情をしておられる。

昔の風情を感じる一角。

この辺り、家がどんどん新しくなっているのですが
ところどころに昔の名残が残っている。

ぽつんと残された地蔵尊。

さて、北端の八王子神社に来ました。

旧本庄村の氏神で、創建の経緯は不明だが一説には応神天皇3年(273)の創建とも伝えられている。元は八王子稲荷社と称していました。

明治5年に百済(くだら)神社と改称、明治42年に旧西今里村の八剣神社を合祀して八王子神社と改めたそうです。

由緒が刻まれたこの石は猫間川に架かっていた石橋の石材で作られているそうです。

神社の裏に地蔵尊がありました。
昔はこの前を水路が流れていたのでそれと関係があるのかな。
川の近くには地蔵尊が多いですね。

さて、平野川を渡って旧中道村に入ります。

ちょっと気になる消防署の看板。

こちらは旧中道村の氏神 八阪神社。

鳥居をくぐって右手に大きな石がある。
これも猫間川に架かっていた石橋の石材らしいですよ。

正面には立派な蔵。
本殿は方角が違うようだ。

創建は寛仁元年(1017)、藤原道長がこの地に別邸を造り牛頭天王白山権現を鎮守として奉祀したのが始まりとされる。

明治42年に暗越奈良街道まで参詣道を開拓し、社殿を南向に改めたそうだ。どうりで違和感を感じたはずだ。

境内には親子の白馬が。

枝ぶりが立派な藤も気になった。

これが暗越奈良街道まで続く参道。
右の建物は銭湯です。八阪湯さん。

銭湯と神社に挟まれた細い道。

そこにボイラー室があったのだ。チラ見♪

おばあちゃんが水をまいていた。
ええ町やね。

でも、ポカンと更地になった場所も…

こちらは何かのお店だったのかな。

昔のまちなみが残っている。

暗越奈良街道に面してある真宗 浄琳寺。

その横に八坂神社の参道がある。

「暗越奈良街道 距高麗橋元標壱里」の石碑
高麗橋の道路元標からちょうど一里だそうだ。

この参道の雰囲気もいいですね。
(関連記事)
「大阪巨樹巡礼 6 八王子神社御旅所の楠」 2011.08.19
「今里・暗越奈良街道」 2011.08.21
「大今里・熊野大神宮と妙法寺」 2011.08.24
「西今里・東今里」 2011.08.26
「東成・旧本庄村・旧中道村」 2011.08.28
ポチッと、応援よろしく♪

スポンサーサイト