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カシミール3Dで大阪の地形を俯瞰する

2017年02月10日 01:34

カシバードで大阪を俯瞰する

私が大阪の地形を理解する上でもっとも重宝しているツールがカシミール3Dだ。
最近ブログの更新が滞っていることもあり、カシバードで俯瞰した大阪の地形をアップしておこうと思う。
カシミール3Dはパレットで様々な色に設定できるが、今回は縄文時代に海水面が現在より数メートル高かった時代をイメージしてみた。

kashi_01.jpg
縄文時代に海岸線はどんな感じだったのだろう。

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大和川と石川の合流点の南東から見たアングル。

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生駒山地から大阪湾を望む。

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上町台地の北端。いいアングルだ。

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手前のちっちゃい小山は御勝山古墳。

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住吉津の入江も想像が膨らむ。

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ここは千里丘陵の南端。手前が高川、奥が天竺川。2川とも天井川だ。

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須磨上空から神戸方面を臨む。ブラタモリが神戸にやってきますね。楽しみだ。

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最後は五色塚古墳から淡路島を臨む。
淡路島は銅鐸が見つかったり鉄器の大型工房が見つかったりと最近は目が離せない。

それにしてもカシバードが素晴らしい。
大阪の地形がますます魅力的に見えてくるのは私だけだろうか。

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上町台地の高低差を歩く・桃谷・細工谷

2013年04月15日 00:15

大阪アースダイバー
上町台地の高低差を歩こう!
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く

先日、大阪高低差学会の会員3名(0001の@miz0001さん、0373の@chuunyaさん、9973の@chaotic_chaosさん)と天王寺から桃谷周辺を歩いてきました。当初は私ひとりで桃谷を歩く予定だったのですが、急遽一緒に歩きましょうかということになり、ある意味これが大阪高低差学会の「第0回フィールドワーク」かもしれません。ちなみに「第1回フィールドワーク」を4月28日に開催予定です。ご案内は後ほど。

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高低差で色分けした航空写真です。
四天王寺東側の地形は比較的なだらかです。

momodani_02.jpg
河堀稲生(こぼれいなり)神社から茶臼山の河底池にかけては和気清麻呂(わけのきよまろ)が行った治水工事の跡だと言われる窪地が確認できます。

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あべのハルカスです。夏にはタワー館と呼ばれるエリアが先行オープンしますね。

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いい感じのアーケード街に、

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いい感じの駄菓子屋さん。

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JR天王寺駅の下をくぐる地下道がありました。

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午後7時から午前7時までは閉鎖されている。

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地下道はこんな場所。ここは庚申街道の名残の道になります。

koshinkaido.jpg
ちなみに明治19年測量の地図と重ねるとこのようになる。

EOS_8408.jpg
階段を上がると

EOS_8411.jpg
目の前に再びハルカスが。
ここはJR天王寺駅の上にある陸橋です。この陸橋も庚申街道の名残です。

EOS_8409.jpg
さて、陸橋を渡らず下に下りていきます。

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天王寺バイパスの下。

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ここにこんな階段がある。上に上がれるのか!

EOS_8426.jpg
おお〜!再びハルカスが。

さて、
EOS_8433.jpg
河堀稲生神社にやってきました。
神社は隆起した地形の上にある。

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「河堀」は「こぼれ」、「稲生」は「いなり」と称します。

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拝殿です。

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こちらは四天王寺七宮の一宮になります。

「延暦七年三月、摂津大夫和気朝臣清麿(せっつだいふわけのあそみきよまろ)が、河内摂津両国の界に川を堀り堤を築き、荒陵の南より河内川を導き西の海に通せんとして、当社に祈願した。以後河堀と書いて「コボレ」と称す。」

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拝殿の横に道標がある。

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どこにあった物でしょうか。
おそらく道路の拡張時にここへ移設されたのでしょう。

EOS_8462_1.jpg
さらに北に歩いて行きます。

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いい感じの建物ですね。

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旅館だったのかな。立派な建物です。

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久保神社です。

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こちらは拝殿。

EOS_8480.jpg
こちらも四天王寺七宮のひとつです。

EOS_8486.jpg
こちらには大岩小岩大明神が祀られている。
御神体は岩。大阪市内にも自然石を御神体とする場所があったとは。

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境内にちょっと気になる場所が。

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ここに力石が5つほど置かれていました。
どういういわれなのでしょう。

EOS_8512.jpg
左に四天王寺が見えましたが、立ち寄らずに細工谷へ。

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(a)松ヶ鼻町でちょっと気になる集合住宅がありました。現在は閉鎖されていて解体を待っている感じの建物。

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調べると、昭和23〜24年頃に竣工した府営夕陽ヶ丘住宅だそうです。戦後すぐに建てられた建物とは思えない立派な集合住宅ですね。建築時期を知ってちょっとビックリでした。

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(b)ほとんど垂直に近い階段。まるで壁のようです。

EOS_8534.jpg
ここを「壁階段」と呼ぶ事にしました。

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松ヶ鼻町。町名の由来はわかりませんでしたが、明治28年に大阪鉄道城東線桃山停車場(現JR桃谷駅)開設を契機に宅地化が進んだ地域です。それまでは桃畑や茶畑が多い場所だったようです。

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こういう石積みは昔の地形の名残を感じる。

EOS_8543.jpg
周辺にはところどころに高低差を見ることが出来る。

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この傾斜地に桃や茶が植えられていたのでしょう。桃の花の季節は多くの人がこの地を訪れたのでしょうね。

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(e)道の隅にこんな碑があった。

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「是より東 鶯の丘」。鶯の丘とは何なんでしょう?地名ではなさそうな…

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ゆるやかな坂道の横道にも高低差がある。

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(d)いい石積みです。

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ここも昔は石段だったのでしょうか。

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(C)赤い色の石が混ざった石段発見。

EOS_8564.jpg
ちょっと珍しいかも。

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町の中にさりげなくある高低差。

さて、
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工事中の道路に出てきました。この道路、結構長い間工事をしていたようですが、実は道路の下には細工谷遺跡が眠っています。

「大阪歴史博物館」より
EOS_6492.jpg
これが発掘当時の写真。

「大阪歴史博物館」より
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この地から、今まで知られていなかった「百済尼寺」の存在を示す多数の墨書土器や瓦が出土しています。

「大阪歴史博物館」より
EOS_6510.jpg
さらに、全国初の発見となった和同開珎の枝銭が見つかりました。

「大阪歴史博物館」より
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ちなみに枝銭とは貨幣を製造する時に出来る木の枝のような部分。

「大阪歴史博物館」より
EOS_6507.jpg
これは最古の通貨といわれる富本銭。
凄い物が発掘されていたのですね。上町台地は奥が深いです。


より大きな地図で 上町台地の高低差を歩こう を表示

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冒頭で触れましたが、
大阪高低差学会の第1回フィールドワークを開催することにしました。

大阪高低差学会
第1回フィールドワークのご案内

開催日:4月28日(日)雨天決行(ただし悪天候の場合は中止)
集合場所:午後1時に天満橋駅前広場1階(地上階・スターバックス横の広場)

【申し込み方法】
下記のATNDで参加表明してください。それだけです。
http://atnd.org/events/38565
参加のキャンセルも簡単にできますのでお気軽に。
当日ドタキャンもOK。ゆるめです。

なお、大阪高低差学会の告知情報の配信のためにツイッターもはじめました。
https://twitter.com/osakakoteisa
こちらのフォローもよろしくです。

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【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ

【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25

(関連記事)
大阪アースダイバー出版・ようこそ中沢新一さん2012.10.13
大阪アースダイバーへの道2010.04.25
アースダイビング in 上町台地2010.04.11
アースダイビング in 大阪城2010.04.30
アースダイビング in 生國魂神社2009.04.16
アースダイバー in 大阪2009.04.12


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上町台地の高低差を歩く・難波宮跡

2013年03月24日 21:00

大阪アースダイバー
上町台地の高低差を歩こう!
20. 難波宮跡周辺を歩く

大化の改新により飛鳥から都を遷した場所が難波です。
大阪人でも、知ってるようであまりよく知らないのが難波宮(なにわのみや)ではないでしょうか。特に年表がややこしい。できるだけ完結にわかりやすくまとめようと思いますが、ややこしさは拭えないかも…

naniwa_01_20130323155447.jpg
難波宮があった場所は大阪城公園の南側一帯です。ここにわが国初の本格的な宮殿、前期難波宮とそれが焼失した後に後期難波宮が置かれました。

naniwa_02.jpg
地形的にはa-b間が面白い場所なので後でご紹介します。

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史跡 難波宮跡です。

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難波宮は永い間、所在地に関する手がかりが少なく「幻の都」とされてきました。

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ここで発掘調査が行われるようになったのは昭和29年(1954)からで、山根徳太郎氏らが後期・難波宮の大極殿跡を発見したのは昭和36年(1961)のことです。

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史跡 難波宮跡
大化改新(645年)にともなう難波遷都以来8世紀末まで約150年間、難波宮は日本の首都として、また副都として、日本の古代史上に大きな役割を果たした。昭和29年(1954年)以降長年にわたる発掘調査の結果、前期・後期二時期の難波宮跡が、中央区法円坂一帯の地に残っていることが明らかになった。
現在内裏・朝堂院部分90,677㎡が、国の史跡に指定されている。

EOS_8040.jpg
遺跡の概要
発掘調査により、難波宮跡は大きく分けて前・後2回の宮殿遺跡とそれ以前の建物跡があることが明らかにされてきた。

EOS_8046.jpg
前期難波宮跡はすべての建物が掘立柱(ほったてばしら)で、屋根に瓦を葺かない建物であった。7世紀の中頃、飛鳥で蘇我氏が亡されて後、都が難波に遷されてつくられた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)がこれにあたると考えられている。天武天皇朱鳥(しゅちょう)元年(686年)に、火災で全焼するまでつづいたと考えられる。この宮殿は最初の本格的な中国風の都といわれる大和の藤原宮に先行するもので、古代国家の成立期の貴重な遺構である。

後期難波宮は、奈良時代の神亀(じんき)3年(726年)聖武天皇の時に造営された宮殿である。大極殿や朝堂院の中心建物には礎石が用いられ、屋根には蓮華文(れんげもん)・唐草文(からくさもん)・重圏文軒瓦(じゅうけんもんのきがわら)などの瓦が葺かれていた。天平16年(744年)にはここ難波宮が首都と定められたが、翌年再び平城京へと遷された。

前後2時期の難波宮の遺跡のほか、それ以前の大規模な建物跡もほぼ全域で発見されている。港をひかえた難波の地は、5世紀以降外交・文化・経済・政治の要衝として栄えていたことがしのばれる。

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大極殿があった場所には大極殿の基壇が復元されています。

EOS_8055.jpg
この日は何かの撮影をしていました。

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大阪歴史博物館で展示していたパネルです。前期難波宮と後期難波宮の重なりがよくわかる。年表が複雑ですが、前期難波宮の宮殿は白雉(はくち)3年〈652〉に完成し、朱鳥(しゅちょう)元年〈686〉まで存在していました。首都として機能したのは孝徳天皇が大郡宮(おおごおりのみや)から遷った白雉2年〈651〉〜逝去される白雉5年〈654〉までと、複都制により天武12年〈683〉〜焼失した朱鳥元年〈686年〉まで。後期難波宮は天平16年〈744年〉に一時的に首都になっています。

(難波宮のまとめ)
645 大化の改新にともない都が難波へ遷される
650 孝徳天皇により難波長柄豊碕宮造営開始
652 難波長柄豊碕宮(前期難波宮)完成
654 孝徳天皇逝去
686 火災により難波宮焼失
726 聖武天皇により、難波宮造営開始(後期難波宮)
744 難波宮、一時的に首都となる
784 長岡京遷都により難波宮の宮殿の建物は解体移築される

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前期難波宮〈652-686〉復元模型(大阪歴史博物館)と、

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後期難波宮〈726-784〉復元模型(大阪歴史博物館)。

ここまでが難波宮の簡単なまとめです。
首都の期間が短く、複都制や一年だけの首都という事なども絡んで、難波宮をわかりにくくしているのかもしれませんね。でも、知れば知るほど大阪には凄い宮殿があったのだと誇りに思うようになってきました。

で、
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上町台地と難波宮の位置関係がわかるパネルです。難波宮周辺には多くの谷がありました。宮殿はそのなかで標高が高く、平坦な場所に建てられています。

出典:「東アジアにおける難波宮と古代難波の国際的性格に関する総合研究」50頁。
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谷をさらにわかりやすくした地形図です。「難波宮周辺の地形と整地の時期(寺井2007加筆)」を元に色を付け加えました。

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バックに国土地理院の地図を入れると位置関係がよりよくわかる。

EOS_8057.jpg
(c)大極殿基壇と(d)大阪歴史博物館・NHK大阪放送会館。

EOS_6394_1.jpg
(d)の場所は法円坂遺跡でもあり、5世紀後半の16棟の大型建物跡が見つかっています。難波宮が出来る前、倭王権が物資集散の拠点に建てた倉庫群と考えられています。

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東方面です。右が難波宮跡公園、左が大阪城公園。高速道路の下には天皇の私的区域であった内裏(だいり)があった場所の一部にあたります。地形も真っ平らですね。

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西方面です。左に地形を削った断面が見える。

EOS_8094.jpg
明らかに道路を作る時に削っていますね。

EOS_8101.jpg
南方面はもっこり隆起している。

EOS_8105.jpg
ここが(a)の地点です。

EOS_8110.jpg
隆起した場所から南方面を見ると地形がラクダのコブのように見えます。

EOS_8106.jpg
これを大阪高低差学会では「こぶ地形」と呼んでいて、ここはいわゆる「ふたこぶ」と呼んでいる場所です。

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手前の窪地も奥の窪地も「龍造寺谷」と呼ばれる谷筋にあたります。

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反対側から見た所。横は銅座公園です。

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現在も銅座公園をぐるりと囲むように谷筋が残っています。クレーンが見える場所はマンションが建設中ですが数m下がっています。

P1220492_2.jpg
ちなみに2010年に撮った写真ですが、高低差がよくわかる。

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公園の南側はゆるい坂になっている。公園の向かいは幼稚園です。

EOS_8159.jpg
右が銅座公園、左が幼稚園。

EOS_8161.jpg
高低差は3mくらいでしょうか。

EOS_8166.jpg
ここから少し上り坂に。

EOS_8151.jpg
反対側から見るとゆるい窪地になっている。

EOS_8174.jpg
「ふたこぶ」の奥の窪地です。左は幼稚園。

EOS_8180.jpg
幼稚園南側の壁を見るとその高低差がわかる。

EOS_8172_20130323155832.jpg
この窪地が(b)の場所です。

EOS_8179_20130323160048.jpg
この坂を登りきった辻は熊野街道と暗越奈良街道が分かれる場所。東西が暗越奈良街道で、熊野街道はここから南下します。


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【 上町台地の高低差を歩くシリーズ 】
上町台地高低差マップ一覧(Facebook)
1. 上町台地高低差マップ 2012.12.3
2. 住吉大社周辺を歩く 2012.12.4
3. 帝塚山古墳周辺を歩く 2012.12.6
4. 阿部野神社周辺を歩く 2012.12.8
5. 聖天山正圓寺・阿倍野墓地周辺を歩く 2012.12.11
6. 阿倍野周辺を歩く 2012.12.13
7. 天王寺公園周辺を歩く 2012.12.16
8. 安居神社・清水寺周辺を歩く 2012.12.19
9. 四天王寺周辺を歩く 2012.12.23
10. 愛染堂・大江神社周辺を歩く 2012.12.29
11. 生国魂神社周辺を歩く 2013.01.11
12. 空堀商店街周辺を歩く 2013.01.18
13. 松屋町筋・龍造寺町周辺を歩く 2013.01.22
14. 鶴橋・上本町周辺を歩く 2013.02.04
15. 真田山周辺を歩く 2013.02.11
16. 三光神社・旧真田山陸軍墓地周辺を歩く 2013.02.18
17. 玉造・森之宮周辺を歩く 2013.02.24
18. 大阪城周辺を歩く 2013.03.02
19. 八軒家浜周辺を歩く 2013.03.11
20. 難波宮跡周辺を歩く 2013.03.24
21. 天王寺〜桃谷周辺を歩く 2013.04.15
番外編:ノバク・野漠の窪地
番外編:空堀を探せ

【 大阪アースダイバーを歩くシリーズ 】
1. 宇宙船イワフネ号と磐船神社 2012.11.20
2. 太陽の女神と上町台地 2012.11.25

(関連記事)
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アースダイビング in 生國魂神社2009.04.16
アースダイバー in 大阪2009.04.12


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