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阪急千里線・下神崎川橋梁高架工事の進捗

2011年12月09日 08:00

さよなら官営鉄道の遺構

阪急千里線の神崎川に架かる新しい鉄橋の工事が、かなり進んでいるようなので立ち寄ってきました。

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阪急淡路駅から下新庄駅へ向かう途中、工事用のフェンスで囲われています。一部で工事が始まっていました。

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途中にある人専用の踏切。

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こっちにも。上の高架は新幹線です。新しい高架橋は新幹線の上を通るのでしょう。

IMG_2168_4.jpg
神崎川に架かる鉄橋です。
ここの橋脚の一部は鉄道黎明期の遺構です。

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中央の円柱の橋脚は明治9年(1876)に作られたもの。
まだここに官営鉄道(現JR)が走っていた時代のものです。

(関連記事)『官営鉄道と阪急千里線2010.06.28

IMG_2175_4.jpg
この橋脚は135歳。そろそろ引退の時期が迫ってきています。

IMG_2196_4.jpg
その向こう側で何やら作業中ですね。

IMG_2170_4.jpg
現在、鉄橋の上流側に新しい鉄橋が建設中です。

IMG_2172_4.jpg
ガーターも一部が設置されていました。

IMG_2214_4.jpg
橋脚はほぼ出来ているようです。

IMG_2215_4.jpg
ここであれ?っと思ってしまった。

IMG_2225_4.jpg
この橋脚は高架ではないですね。
おそらく現在作っているのは仮橋なのでしょう。

IMG_2211_4.jpg
仮橋に電車を走らせて今の橋脚を解体し、高架橋を作るのだと思います。

IMG_2230_4.jpg
これは数年間のつなぎの鉄橋なのでしょう。

IMG_2200_4.jpg
ということはここが高架になるのはまだまだ先の話ですね。

IMG_2207_4.jpg
淡路駅付近連続立体交差工事の竣工予定は2021年3月です。あと10年もかかるみたい。凄い大工事ですね。


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続・旧神崎川をさがせ!

2009年12月03日 08:00

続・旧神崎川をさがせ!

こんな地図をみつけました。


(淀川本支流川平面図 五 枚方/淀川資料館所蔵)
kanzaki_0001.jpg
明治中期のもので、淀川改良工事の計画法線が描かれています。
私が注目したのは旧神崎川が流れていた地域。
薄っすらと川の流路が描かれています。

ん?、東淀川区史の地図と流れと違うぞ!

kanzaki_02.jpg
これは明治18年測量の地図。おそらく同時期のものですが、これに重ねてみます。

kanzaki_03.jpg
角度と大きさを合わせて重ねました。 ピッタリ!

kanzaki_04.jpg
旧神崎川に色をつけるとこうなります。
別府村の所で、安威川(三国川)と合流しています。

kanzaki_00001.jpg
ちなみにピンクが前回検証した流路。青が今回の流路です。
全然違いますよね。

eguchi_001.jpg
これは江戸時代の「拾箇国絵図」ですが、
今回の流路だとこの地図との整合性が取れます。
安威川(三国川)と平行して流れる部分がなく、別所村の西側で合流しています。
元々この旧神崎川は、延暦4年(785年)に淀川と三国川との間に開削された堀川です。
2つの川が行き来できるようになり、江口地域は発展しました。


kanzaki_00003.jpg
拡大です。先日この地域を歩いてみました。その時に気になった場所をプロットしています。
旧堤防跡と思われる道路を赤くしました。


(1)
DSC04995.jpg
堤防沿いでは墓地をよく見かけます。古そうな墓地ですが綺麗に整備されていました。

(2)
DSC05001.jpg
大隈神社の御旅所です。

DSC05003.jpg
元々この地域は大道の飛地で字井高野と称していました。

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この地域は明治18年測量の地図でもわかるように北の外れ、
農家も4件位しかないような小さな村でした。

(3)
DSC05007.jpg
大阪経済大学のグラウンドです。かなりの高低差があります。
ここに川が流れていたのでしょうか。

(4)
DSC05015.jpg
ここも高低差があります。
左側は川ではなく農地であったであろう所です。
もしかしたら川の水位よりも低い土地だったのかもしれませんね。


(5)
P1220060.jpg
左側が川側です。この道路は両側の土地よりも高い場所を通っています。

(6)
P1220067.jpg
この地域を歩いた時に、とても気になったのがこの場所。
GoogleMapを見ている時も、ゴルフ練習場の北側がきれいな曲線になっています。
で、今回の再照合で納得できました。
左側の低い場所に川が流れていたのですね。


より大きな地図で 江口の里 を表示

今回の検証で、古地図との整合性、現在の土地形状との整合性がとれました。
東淀川区史に載っていた地図は間違いだったのでしょうか?


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旧神崎川をさがせ!

2009年11月22日 08:00

旧神崎川をさがせ!

大阪北部や阪神間にお住まいの方はよくご存知の神崎川。
この川が明治初期に大規模な付替え工事をしていたのをご存知でしょうか。
今回は、旧神崎川がどのように流れていたのかを探ってみたいと思います。

(今回、記事のヒントをくれたゼクさん、ありがとう。
タイトルは椋さんの 『猫間川をさがせ』 のパクリです。ごめんなさい ^^; )

kanzaki_001.jpg
これは『東淀川区史』に載っている「神埼川付替略図」です。
右端の太い河川が淀川、旧神崎川は江口の辺りで大きく北に蛇行していました。
そのことにより、毎年のように洪水が起こり、下流域にも大きな被害を与えていました。
それが明治11年、東から西へ直線で抜ける新河川に付替えられたのです。

kanzaki_003.jpg
これは、明治18年測量の地図です。
残念ながらこの時代ではすでに旧神崎川が埋め立てられていました。
ちなみに、赤い印は今の地図との位置合わせをするための目印です。

kanzaki_004.jpg
今の地図と合わせると、ピッタリ!
もちろん、縦横数%のズレは修正しましたが、旧道もほぼ合っています。
この地図の精度がいかに高かったかの証拠です。
この大きさではわかりにくいですが、左端の亀岡街道もしっかり合っています。

kanzaki_005.jpg
その地図に、「神埼川付替略図」を重ねてみました。
手書きの地図なので、少しずれていますが、かなり正確な地図であると思いました。

kanzaki_006.jpg
「神埼川付替略図」を参考にしながら旧河川を描きこみました。

kanzaki_007.jpg
それを今の地図に重ねるとこのように。

kanzaki_008.jpg
さらに拡大。
この河川の跡はまだ歩いていませんが、
もしかすると高低差のある旧堤防跡が残っているかもしれません。
地図には旧河川の土囲が記されています。一度歩いてみようかな…。
ご近所の方は散歩がてらちょっと気にしながら歩くと
面白い発見があるかもしれませんよ。


より大きな地図で 江口の里 を表示
黄色い線は旧土囲沿いの道と当時から残る旧道です。散歩するご参考に…


今春に神崎川を撮影していました。
DSC03735.jpg
ここが淀川と神崎川をつなぐ一津屋樋門。

DSC03702.jpg
一直線でいかにも人工的な河川ですね。

DSC03780.jpg
古くからの墓地も残っています。
旧道の細さは昔の面影を感じます。

DSC03781.jpg
近くのダイキン工場前に道標がありました。

右 一ツや とりかへ (一津屋 鳥飼)
左 へふ○したい○らき (別府? 味舌? 茨木)
左が読みにくいけど、旧地図をみるとこうかな?

DSC03723.jpg
神崎川はブラックバスの釣りのポイントとしても有名な場所。
この子達は釣れたのかな?


(関連記事)
『続・旧神崎川をさがせ!』


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