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大阪七墓・梅田墓地について

2013年09月13日 07:00

梅田北ヤードの解体状況と
梅田墓地とその場所の検証

P9102200.jpg
梅田北ヤード(うめきた)の解体作業が進んでいます。
手前にあった建物はすっかりなくなってしまったね。

P9102217.jpg
レールと枕木の撤去も進んでいる。
なんかどんどん普通の土地に変わっていくのがさびしいな。

P9102216.jpg
レールと枕木はどこかで再利用されるのでしょうね。

P9102195.jpg
奥のドーム屋根の建物も解体が始まっています。

P9102194.jpg
手作業で屋根をはがしていました。

P9102135.jpg
屋上がテニスコートになっていた建物も足場が組まれています。
手前では架線を撤去しているのでしょうか。

P9102152.jpg
解体作業がじわりじわりと旧梅田墓地に近づいてきました。

P9102149.jpg
ここは西梅田一番踏切。
大きな木の下に数年前まで供養塔と地蔵尊、そして工事の時に掘り起こされた墓石が置かれていました。

(2008年撮影)
umeda_haka_010.jpg
2008年に撮影した写真です。

(2008年撮影)
umeda_haka_009.jpg
木の下に供養塔や地蔵尊、墓石がならんでいます。

(2008年撮影)
umeda_haka_005.jpg
工事の時に土の中から掘り起こされた墓石。
すべてが無縁墓と思われます。

(2008年撮影)
umeda_haka_004.jpg
手前に供養塔があります。

(2008年撮影)
umeda_haka_003.jpg
此の附近は曾根崎村千日墓地跡と伝えられているが此の度多数の遺骨を発掘したので此処に埋葬し供養塔を健立して無縁諸佛の安らかな眠りを祈るものである
昭和五十八年四月
願主 大阪鉄道管理局 大阪工事局 西村昭三書

(2008年撮影)
umeda_haka_001.jpg
供養塔の横に倉庫のような建物がありますが、おそらくその建物を建てる時に墓石や遺骨が出て来たのでしょう。「上方 第56号」で梅田墓地のことが少し書かれています。それによると、梅田墓地の移転は明治20年頃のようです。有縁の墓石は移転していますが、無縁墓はその場に残ったようです。もしかすると、まだかなりの数の墓石や遺骨が土の中に埋まっているかもしれません。


ところで、梅田墓地とは
どういう場所だったのでしょうか。



umeda_bochi_001.jpg
明治19年発行の地図です。色を付けている場所が梅田墓地。周囲は水路で囲まれ、まわりは田と畑があるだけ。墓地の入口には木橋が架かっていました。

「摂陽群談」より
setsuyo.jpg
江戸時代の摂津国の地誌「摂陽群談」に梅田墓所のことが書かれています。曽根崎村の田んぼにあって、町から近く火葬場からの煙が嫌われていたようですね。行基菩薩が開基した歴史ある墓地で、東大寺の昆盧舎那大仏開眼供養の時に造られたとありますから、天平勝宝4年(752)頃でしょうか。凄い。

「上方 第五十六號」より
umedabochi_illust.jpg
「上方」にこんな絵がありました。田んぼの真ん中に木々に囲まれた墓地の風景、水路が横を流れています。

「上方 第五十六號」より「盂蘭盆会 七墓巡り之図・長谷川貞信」
nanahaka_meguri.jpg
これは大阪七墓巡りの図。貞享、元禄の昔から明治初期に至るまで、盂蘭盆(うらぼん)になると、七墓巡りと称して、諸霊供養のため七カ所の墓地を巡訪して回向する人達がいたようです。手にはスリ鉦や木魚、鈴などを持っていますね。団扇や扇子、提灯を持って夜に巡っていたのでしょうか。梅田墓地はその七墓のひとつでした。

「上方」より
nanahaka_meguri_2.jpg
こんな七墓巡りのカットもありました。


で、
梅田墓地があった場所を
特定したいと思います。



umeda_bochi_01.jpg
明治19年発行の地図です。当時の大阪停車場との位置関係はこのような感じ。堂島と墓地は、まっすぐな一本道で繋がっていて、浄祐寺の横の斜め道と繋がっています。その横に架かるのが旧出入橋。現在の地図と位置合わせをするために赤い印の道を使いました。大阪停車場と曾根崎新地を結ぶ水路沿いのくねくね道は今も残る古い道です。

umeda_bochi_02.jpg
現在の地図といきなり重ねるのではなく、昭和6年の地図と一旦重ねます。

umeda_bochi_04.jpg
梅田墓地の真ん中を線路が通っているのがわかりますね。

umeda_bochi_05.jpg
これを現在の地図に重ねるとこのようになります。

umeda_bochi_06.jpg
航空写真だとこのようになる。

ちょっと逸れますが、
位置合わせに利用した道を少しだけご紹介。

P9112280.jpg
この道は大阪停車場と曽根崎新地を結んでいたくねくね道。いまもくねくねして残っています。

P9112266.jpg
浄祐寺の横にあった斜め道がこれ。

P9112257.jpg
梅田入堀川に架かっていた出入橋。

P9112254.jpg
こちらが浄祐寺。

P9112231.jpg
こちらには赤穂浪士・矢頭長助、右衛七の墓と五大力の墓があります。

P9112238.jpg
古い無縁墓に歴史を感じる。お墓には猫がつきものですね。

P9112240.jpg
ここは都会のど真ん中に残るタイムカプセルです。

さて

umeda_bochi_001.jpg
梅田墓地の場所を拡大で見ていきます。

umeda_bochi_002.jpg
現在の地図と重ねるとこうなります。

umeda_bochi_003.jpg
黄色いエリアを再度掘り起こすときはぜひ慎重にお願いしたい。

umeda_bochi_004.jpg
航空写真だとこの場所です。
個人的に、木橋の場所が横断歩道になっているところにちょっと感じるものがあった。

(2008年撮影)
umeda_haka_011.jpg
再び2008年の写真です。右に見えている建物の下から墓石などが出てきたのだと思います。

(2008年撮影)
umeda_haka_006.jpg
木の下には小さな池がありました。

(2008年撮影)
umeda_haka_007.jpg
現在、この場所には地蔵尊も墓石もありません。

(2008年撮影)
umeda_haka_008.jpg
平成22年に永代供養が行われて、しかるべき場所に移転しています。

(2010年撮影・今津っ子さんからの提供)
umeda_haka_016.jpg
今津っ子さんからお借りした写真です。何もないですね。

(2010年撮影・今津っ子さんからの提供)
umeda_haka_017.jpg
それぞれの移転先です。

(2008年撮影)
umeda_haka_012.jpg
ところで、向かいの建物の裏に地蔵尊があります。

(2008年撮影)
umeda_haka_013.jpg
これも梅田墓地の名残なのかは不明。

(2008年撮影)
umeda_haka_014.jpg
おそらく今も残っているのではないでしょうか。

(2008年撮影)
umeda_haka_015.jpg
このお地蔵さんは、これからもうめきた2期区域のまちづくり見続けていくのでしょね。


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大阪七墓・葭原墓地の沖向地蔵尊 2010.07.28
大阪七墓・梅田墓地について 2013.09.13

※ 梅田墓地跡の写真は作業をしていた方に声をかけて撮らせていただきました。

(追記:2017.08)
2017年8月12日に梅田墓の発掘調査のニュースが毎日新聞から出ましたのでキャプチャーを記録として貼っておきます。
umebo_01.png

umebo_02.png



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大坂七墓・沖向地蔵尊

2011年07月28日 08:00

大阪七墓・葭原墓地の
沖向地蔵尊


大坂七墓のひとつ、葭原(よしわら)墓地があった場所に
住民の信仰を集める地蔵尊が今も残っています。

yoshi001.jpg
明治18年測量の地図です。
この時代、まだ葭原墓地が残っています。
大阪七墓のひとつ南浜墓地との位置関係もこれでよくわかりますね。

yoshi002.jpg
現在の地図と重ねると、

yoshi003.jpg
こうなる。丸いエリアの中の赤い印の場所に沖向地蔵尊があります。

IMG_5840_3.jpg
ここがその場所。

IMG_5844_3.jpg
こちらが地蔵尊です。

IMG_5839_2.jpg
説明プレートにはこのように書かれている。

西暦645年大化の改新が行われ、都が難波長柄豊崎に移され、色々の改革が着々と進んでいた頃、行基菩薩 (668-749)は大阪の南から北にかけて七カ所の墓地を作り、大阪七墓と称された。そのうちの1つが天満葭原のこの地の墓地であった。こののち法然(1133-1212)によって開かれた浄土宗ではこの墓地を守るため西の坊というお寺を建立した。その当時この付近は大阪湾の海岸線に近く、葭(葦)の生い茂る地帯で、この通りも昭和の末期(1980-1990)までは葭原(吉原)通りと呼ばれていた。このお寺にこの地蔵尊 阿弥陀如来、勢至菩薩が併祀された。その後海岸線は土砂も堆積し、近代は盛んに埋め立てもされ、建物も多く建って、現在ではとても海は見えないが、当時はお地蔵様の正面、西の方に海を見渡すことが出来たので、沖向地蔵尊と呼ばれるようになった由である。

なんと、昔のこの地は海岸線に近く、西の海を見渡せたので沖向と名が付いたそうです。ということで、以前アースダイバーの記事の時に作った地図に場所をプロットしてみた。

yoshi004.jpg
上町台地が中心にありますが、その西側に予想の海岸線を書いてみました。この辺りは堆積層で湿地帯と書いた部分には葦が生い茂っていたのかもしれません。海岸線は遠浅の海で所々に葦が茂る島があったのでしょう。

IMG_5846_3.jpg
こちらにお参りする人は多いです。私がいた数分間だけでも2~3人の方が来られてました。地域の人に親しまれているお地蔵さんなんですね。


(おまけ)
すぐ近くにある栄温泉。
IMG_5852_3.jpg
2011年6月30日をもって廃業されたようです。

IMG_5857_3.jpg
今年に入って廃業された銭湯は何件目だろう。
すごい勢いで無くなっているように感じるなぁ。

(参考サイト)
栄温泉と昭和温泉まちかど逍遥


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梅田墓地・飛田墓地の跡のあと

2011年07月26日 08:00

大阪七墓・梅田墓地と
飛田墓地の跡が跡形もなく…


今回はちょっとマニアックな情報です。
5月末頃に今津っ子さんからメールで梅田墓地の移転の情報を教えていただいたのですが、かなり遅れての記事になってしまった。すみません ^^;

今津いまむかし物語今津っ子さんのブログです♪

umeda1.jpg
なんと!梅北(梅田北ヤード)の片隅にあった梅田墓地の墓石等が昨年(平成22年8月)に移転していたそうですよ。まったく知らなかった。

umeda2.jpg
地蔵尊は四天王寺の地蔵堂、
供養塔と墓石は川西市の稱名寺、
遺骨は天王寺の一心寺、
そして池にいた鯉は堂島川へ放流ということです。

P1060038_3.jpg
記録として以前撮影した写真を再度アップします。

P1060021_3.jpg
左が地蔵尊、右が供養塔です。

P1060011_3.jpg
ちなみに供養塔の裏。

P1060007_3.jpg
墓石群です。人骨も埋まっていたのですね。
この周辺の地面の下にはまだ墓石などが埋まっていると思われるので、梅北の第2期開発ではその辺りの配慮を願いたいです。

P1060022_3.jpg
浅い池だったのですが鯉がいたのか。

P1060001_3.jpg
ちなみに撮影したのは2008年です。

それと別の問い合わせで調べて知ったのですが、
飛田墓地跡にあった太子地蔵尊があった場所が更地になっているそうです。地蔵尊等がどうなったのかの情報がわかりませんので、ご存じの方は教えていただければ嬉しいです。

P1040973_3.jpg
こちらも2008年に撮影した写真です。
柵で囲われていますが個人所有の土地のようでした。

P1040975_3.jpg
太子地蔵尊。

P1040965_3.jpg
右手に何か持っておられたのでしょう。

P1040966_3.jpg
こちらは首なし地蔵尊。

P1040964_3.jpg
無縁塔と石碑。

P1040967_3.jpg
こちらにもお花が供えられていた。

P1040968_3.jpg
現在のこの場所はまったく何も無い更地になっているようです。
大坂七墓の内、2ヶ所も何も無い状態になってしまいました。
知らず知らずのうちに歴史の痕跡がどんどん無くなっていきますね。


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