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日本一低いガード下

2009年06月10日 07:30

日本一低いガード下 かなぁ?

DSC07961.jpg
ここは田川北のガード下です。 (Google map)
桁下1.2メートル。
いろいろ調べてみましたが、これ以上低い場所が見当たらなかったので
勝手に日本一低いガード下という大胆なタイトルにしてしまいました。
自信がないので小さく(かなぁ?)を…^^;

間違えていたら ゴメンナサイ!


さて、
DSC07918.jpg
ここは、田川と三津屋を結ぶ道、
結構人の行き来が多い場所です。

DSC07923_20090607220205.jpg
それに、ひとつ気付いた事があります。

DSC07924.jpg
誰ひとり自転車を降りる人がいないのです。

DSC07926.jpg
みなさん、そのまんま突入していきます。
驚愕だ!

DSC07997.jpg
ちなみに、私は自転車を降りました。
怖いですよ。マジで!

DSC08018.jpg
それに、手の届くとこに、こんなのも通るし。

DSC07962.jpg
ウワッ!

DSC07963.jpg
ある意味、みんなすごい!

DSC08000.jpg
おねえさん達も、

DSC08006.jpg
バイクも…



で、
DSC07992.jpg
それらをくぐり抜けると田川踏切です。

DSC07932.jpg
この踏切は神戸方面から来る列車用。

DSC07981_20090607220517.jpg
真近に見えますが、撮影するのはちょっとしんどい場所かも。

DSC07940.jpg
あっちが神戸方面に行く線路です。

ところで、地面に突き刺さっているのは
レールのリサイクルだろうか?



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餅は餅屋、変圧器はダイヘン。

2007年11月01日 07:00

餅は餅屋、変圧器は変圧器会社。

この言葉、ダイヘンの創業時のカタログのキャッチフレーズです。
十三駅の西側に住んでいる人はみんな知っているダイヘン。あなたはご存知ですか?一般の生活者とはあまり関係のない製品を作っている会社ですが、電気のある生活をする上で、なくてはならない会社です。

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大阪変圧器株式会社(現在は株式会社ダイヘン)。今では日本を代表する電力機器メーカーです。創業は大正8年、まだ青年であった小林愛三氏は大資本の背景もなく、少人数でこの会社を創業しました。会社名に変圧器という商品の名前をつけたのも小林愛三氏です。当時、社名に製品名をつけるのは非常に珍しかったようですが、「変圧器の専門製作であることをはっきりと打ち出そう。小さくても、わが国唯一の変圧器専門メーカーであることを天下に表明することになる」。この小林愛三氏の方針がその後の会社の発展につながっていきます。

金融恐慌、関東大震災、満州事変、そして太平洋戦争など、数々の危機をチャンスに変え成長を続けてこられたのも、変圧器の専門製作という一貫した経営方針があったからです。
十三に工場を構えたのは昭和5年。その後、本社機能も十三に移し、敷地も拡大していきました。ダイヘンは地元人として、武田薬品とともに自慢できる企業なのです。

ダイヘンマップ
思い出の十三イラストマップの大阪変圧器周辺。右下に正岡医院があります。9月30日のブログのコメントの書き込みに、「昔は大抵のお医者さんは人力車で往診をされており、私も正岡先生が人力車で往診してもらった記憶があります。」とあります。のどかな時代だったのですね。

大阪電気製造全景
この写真はダイヘンが移転してくる前にあった大阪電気製造という会社です。小林愛三氏も京都帝国大学を卒業後、この会社に3年ほど勤めています。周りは田園風景が広がっています。手前に中島大水道があります。よく見ると船らしきものも見えますね。当時は船で荷物を運んでいたのでしょうか。初夏には蛍も飛んでいたらしいです。(写真は「50年のあゆみ」より)

昭和27年空撮
昭和27年の空撮。中央の上から右下にかけて斜めに中島大水道が確認できます。右中央の川沿いにある中州のような黒い所は元今里墓地と思われます。木が茂っていたのでしょうか?(写真は「五十年史」より)

昭和33年本社新社屋
昭和33年に完成した本社新社屋です。まだ前に川が流れています。(写真は「50年のあゆみ」より)

ダイヘン空撮
昭和43年の空撮です。手前がダイヘン工場、前の川が埋め立てられています。(写真は「50年のあゆみ」より)

玄関
現在のダイヘン正門

看板2
ダイヘンの電柱看板。矢印で誘導しています。知らない方にお教えすると電柱の上に大きなバケツのような筒がありますよね。それが変圧器です。なので、電柱とは縁が深い会社なのです。

看板
工場周辺の電柱は全てダイヘンです。


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昭和の銭湯が残っています。

2007年10月17日 09:00

昭和の銭湯が残っています。

田川一丁目の一角に昭和の風情が残る場所があります。元々この辺りには川が流れていました。その川沿いに銭湯や墓地があったのですが、昭和40年代に川は埋め立てられ道路になってしまいました。しかし、この一角だけポツンと昔の面影をそのまま残しています。
菊水湯の煙突の下には昔と変わらず、木材の廃材が積まれています。その横の住宅は雁行型の長屋です。当時としてはめずらしかったのではないでしょうか。その横に元今里墓地があります。お墓というのは不思議な所です。一歩足を踏み込むと時間が止まったような気がします。このお墓の近くにお地蔵さんが2つあります。昔は川沿いだったので、小さい子供が溺れたのを供養するために祀っているのでしょうか。

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①菊水湯の高い煙突

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隣の雁行型の長屋。植木の手入れがいきとどいていますね。

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細い道に入ると入り口があります。

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②元今里墓地。左の道路が川でした。向こうに菊水湯の煙突がみえます。

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昭和12年の地図。版がずれていますが水色部分が川です。この辺り、田川ではなく元今里でした。

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③墓地の向かいの地蔵尊。昔は市営住宅内にあったのでしょうか。

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④民家の敷地内にある地蔵尊

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