2008年06月26日 07:30
さよなら市電、こんにちは万博。
昭和35年、大阪港~弁天町間の地下鉄工事が始まりました。この工事で明治36年に初めて市電が走った築港線の一部から、市電撤去が始まることになります。昭和37年、第2次都市交通審議会大阪部会が行われ、その翌年に出された答申は「地下高速鉄道整備増強計画の進展に伴い、その路線と重複する路面電車は逐次廃止することが望ましい」というものでした。
昭和38年、国道1号線と四つ橋筋の混雑緩和の為、地下鉄3号線の西梅田延長工事が急遽進められ、明治41年に華やかに開通した南北線も撤去されます。昭和39年、野田阪神~玉川町4丁目、大阪駅前~阪急東口が廃止、それもあってか、予想以上に乗客数が激減していき、赤字が増大していきます。
そんな中、昭和40年9月14日、大阪万国博開催決定というビッグニュースが日本中を駆け巡りました。これにより、大阪の都市交通の拡充が進みます。昭和41年3月29日、大阪市議会は昭和44年3月までに路面電車の全廃を決定。それは大阪万国博覧会が開催されるちょうど1年前になります。

「大阪市100年」より
昭和30年代後半の梅田阪急百貨店前です。市電の前を自動車が、次から次と通り過ぎていきます。これでは市電は走れませんね。

「昭和の大阪」より
昭和41年頃の梅田新道を走る市電です。この路線は、同年7月に廃止されます。

「大阪市100年」より
昭和39年春頃の肥後橋です。地下鉄工事と阪神高速道路の工事が同時に行われました。四ツ橋筋を走る南北線は前年の昭和38年に廃止されています。

「大阪/写真/世紀」より
昭和39年11月の肥後橋です。阪神高速道路ができたてほやほやです。朝日新聞の社屋は4年後に建て替えられます。

昭和40年(1965)頃の地下鉄の開通状況
現在の御堂筋線、四つ橋線、中央線の骨格はもう出来ていました。

「大阪/写真/世紀」より
昭和41年4月の大阪駅前です。市電の線路がなくなっています。バスの停留所が出来ています。

昭和42年(1967)頃の地下鉄の開通状況
谷町線の一部と中央線の一部が開通します。

昭和43年(1968)頃の地下鉄の開通状況
谷町線が天王寺まで開通。中央線も深江橋まで延びます。

昭和44年(1969)頃の地下鉄の開通状況
この年は驚異的なスピードで開通していきます。千日前線の一部、堺筋線が開通。中央線は全線が開通します。

昭和40年以降の市電の廃止路線
地下鉄の開通の陰で、市電は少しずつ姿を消していきました。赤い線が最後の路線です。

「大阪市100年」より
昭和44年3月31日市電最後の日。65年の歴史に幕を閉じました。

昭和45年(1970)頃の地下鉄の開通状況
千日前線が全線開通し、御堂筋線が江坂まで延びてます。万博が開催される直前に地下鉄の全線が開通しました。

「大阪市100年」より
日本万国博覧会は昭和45年(1970)3月14日から9月13日まで開催されました。江坂駅の先は北大阪急行電鉄になりますが、万博開催中は会場まで繋がっていました。(万博期間終了後、会場線と万国博中央口駅は廃止されています)

「大阪市100年」より
私は幼稚園でしたが、万博に行ったことはよく覚えています。我が家のアルバムは万博を期にカラー写真になったと思います。
♪こんにちは こんにちは 西の国から こんにちは こんにちは 東の国から…♪
『万博』の写真や映像を見ると、いまだにこの歌が頭の中で流れてきます。
(追記)

現在の朝日新聞ビルと肥後橋です。

「昭和の大阪」より
昭和43年の阪急東口停留所です。6枚目の市電最後の日の写真はこの場所だったんですね。
この場所を撮影したサイトを見つけました。
http://www.geocities.jp/eye881/44b/cide-1.htm
(追記)

「昭和の大阪」より
HEPナビオの場所ですが、この建物の奥に梅田会館があったわけですね。この正面の建物は現在の阪急交通社?

「昭和の大阪」より
梅田会館の前がシネラマOS劇場ですね。現在のナムコシティです。市電最後の日の写真の場所です。手前の工事中の場所は旧富国生命ビルの建設前です。現在も工事中ですね。

「最新大阪市街区分図」より(年代不明、調べ中)
位置関係の確認用の地図です。
(追記)

「大阪は水の都」より
昭和37年の梅田会館前です。梅田会館の写真ってありそうでなかなか出てこないです。あれっ、梅田コマ劇場で放浪記をやってますね。もしかして森 光子さんの?

「大阪は水の都」より この写真も昭和37年です。
(追記)

「梅田コマスタジアム 36年のあゆみ」より
クレージーキャッツの看板です。昭和42年の公演です。

「梅田コマスタジアム 36年のあゆみ」より
平成3年の写真です。なくなる前年ですね。この前をよく歩きました。コマゴコマシルバーだったかな、ゴッドファーザーPart I 、IIの二本立てを見たのをよく覚えています。
(関連記事)
『梅田を走る市電 開通篇』 2008.06.02
『大阪市電がつくった道路』 2008.06.06
『大阪大空襲と市電』 2008.06.08
『よみがえった市電』 2008.06.16
『いも虫と市電』 2008.06.19
『さよなら市電、こんにちは万博』 2008.06.26
『阪堺電気軌道(阪堺電車)に乗った♪』 2010.01.15
『阪堺電車・貸し切りました』 2011.06.21
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昭和35年、大阪港~弁天町間の地下鉄工事が始まりました。この工事で明治36年に初めて市電が走った築港線の一部から、市電撤去が始まることになります。昭和37年、第2次都市交通審議会大阪部会が行われ、その翌年に出された答申は「地下高速鉄道整備増強計画の進展に伴い、その路線と重複する路面電車は逐次廃止することが望ましい」というものでした。
昭和38年、国道1号線と四つ橋筋の混雑緩和の為、地下鉄3号線の西梅田延長工事が急遽進められ、明治41年に華やかに開通した南北線も撤去されます。昭和39年、野田阪神~玉川町4丁目、大阪駅前~阪急東口が廃止、それもあってか、予想以上に乗客数が激減していき、赤字が増大していきます。
そんな中、昭和40年9月14日、大阪万国博開催決定というビッグニュースが日本中を駆け巡りました。これにより、大阪の都市交通の拡充が進みます。昭和41年3月29日、大阪市議会は昭和44年3月までに路面電車の全廃を決定。それは大阪万国博覧会が開催されるちょうど1年前になります。

「大阪市100年」より
昭和30年代後半の梅田阪急百貨店前です。市電の前を自動車が、次から次と通り過ぎていきます。これでは市電は走れませんね。

「昭和の大阪」より
昭和41年頃の梅田新道を走る市電です。この路線は、同年7月に廃止されます。

「大阪市100年」より
昭和39年春頃の肥後橋です。地下鉄工事と阪神高速道路の工事が同時に行われました。四ツ橋筋を走る南北線は前年の昭和38年に廃止されています。

「大阪/写真/世紀」より
昭和39年11月の肥後橋です。阪神高速道路ができたてほやほやです。朝日新聞の社屋は4年後に建て替えられます。

昭和40年(1965)頃の地下鉄の開通状況
現在の御堂筋線、四つ橋線、中央線の骨格はもう出来ていました。

「大阪/写真/世紀」より
昭和41年4月の大阪駅前です。市電の線路がなくなっています。バスの停留所が出来ています。

昭和42年(1967)頃の地下鉄の開通状況
谷町線の一部と中央線の一部が開通します。

昭和43年(1968)頃の地下鉄の開通状況
谷町線が天王寺まで開通。中央線も深江橋まで延びます。

昭和44年(1969)頃の地下鉄の開通状況
この年は驚異的なスピードで開通していきます。千日前線の一部、堺筋線が開通。中央線は全線が開通します。

昭和40年以降の市電の廃止路線
地下鉄の開通の陰で、市電は少しずつ姿を消していきました。赤い線が最後の路線です。

「大阪市100年」より
昭和44年3月31日市電最後の日。65年の歴史に幕を閉じました。

昭和45年(1970)頃の地下鉄の開通状況
千日前線が全線開通し、御堂筋線が江坂まで延びてます。万博が開催される直前に地下鉄の全線が開通しました。

「大阪市100年」より
日本万国博覧会は昭和45年(1970)3月14日から9月13日まで開催されました。江坂駅の先は北大阪急行電鉄になりますが、万博開催中は会場まで繋がっていました。(万博期間終了後、会場線と万国博中央口駅は廃止されています)

「大阪市100年」より
私は幼稚園でしたが、万博に行ったことはよく覚えています。我が家のアルバムは万博を期にカラー写真になったと思います。
♪こんにちは こんにちは 西の国から こんにちは こんにちは 東の国から…♪
『万博』の写真や映像を見ると、いまだにこの歌が頭の中で流れてきます。
(追記)

現在の朝日新聞ビルと肥後橋です。

「昭和の大阪」より
昭和43年の阪急東口停留所です。6枚目の市電最後の日の写真はこの場所だったんですね。
この場所を撮影したサイトを見つけました。
http://www.geocities.jp/eye881/44b/cide-1.htm
(追記)

「昭和の大阪」より
HEPナビオの場所ですが、この建物の奥に梅田会館があったわけですね。この正面の建物は現在の阪急交通社?

「昭和の大阪」より
梅田会館の前がシネラマOS劇場ですね。現在のナムコシティです。市電最後の日の写真の場所です。手前の工事中の場所は旧富国生命ビルの建設前です。現在も工事中ですね。

「最新大阪市街区分図」より(年代不明、調べ中)
位置関係の確認用の地図です。
(追記)

「大阪は水の都」より
昭和37年の梅田会館前です。梅田会館の写真ってありそうでなかなか出てこないです。あれっ、梅田コマ劇場で放浪記をやってますね。もしかして森 光子さんの?

「大阪は水の都」より この写真も昭和37年です。
(追記)

「梅田コマスタジアム 36年のあゆみ」より
クレージーキャッツの看板です。昭和42年の公演です。

「梅田コマスタジアム 36年のあゆみ」より
平成3年の写真です。なくなる前年ですね。この前をよく歩きました。コマゴコマシルバーだったかな、ゴッドファーザーPart I 、IIの二本立てを見たのをよく覚えています。
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