2008年
01月24日
(木曜日)
十三大橋の架橋工事 2
十三大橋の架橋工事 2
鋼材架設工事は、昭和6年4月17日から昭和6年10月31日まで行われました。この工期の延べ作業員の数は18,212人。その内、11,791人が鳶職人でした。
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鉄材は八幡製鉄所で製造されました。架設工事は大阪鉄工所、日本橋梁、汽車製造、横河橋梁製作所の4社が行い、タイドアーチ五連の組立て会社は中津側より、横河橋梁(一連)、汽車製造(二連)、横河橋梁(一連)、汽車製造(一連)。板桁橋は中津側が大阪鉄工所、十三側を日本橋梁がそれぞれ手がけています。架設工事は、タイドアーチを十三側から始め、次に両側のガーダー組立てを同時に開始しました。

アーチ組立 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
十三側から見た写真だと思われます。アーチに木製の足場が設置されています。あまりにもシンプルな足場なのがちょっとびっくりです。なんか怖そう。

アーチ組立 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
タイドアーチの材料は舟より直接吊揚げ、主構の組立てには鉄製デリックが使用されていたようです。

ガーダー組立 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
十三側です。左のアーチの天辺に鳶職人さんが見えます。さすがです。

ガーダー鉄骨 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
なるほど。橋の中はこんな感じで鉄骨が組まれていたんですね。煙突みたいなものは何なんでしょうか?

橋床工事 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
橋床工事は昭和6年9月11日から昭和7年1月15日まで行われました。この写真、ちょうど橋の歩道から撮影されています。普段歩いて渡る時と同じ目線ですね。

アスファルトブロック舗装工事 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
当初はブロックを一つづつ組んでいたんですね。中津側から十三側までこのブロックを敷きつめていたのでしょうか。すごいです。歩道が今より広いような感じがします。

新旧橋対照 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
できたてホヤホヤです。照明器具がおしゃれですね。歩道は人が歩くだけで、自転車は車道です。現在の法律でもそれが正しいらしいですけど、今の十三大橋の車道は自転車では走れないですよね。
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鋼材架設工事は、昭和6年4月17日から昭和6年10月31日まで行われました。この工期の延べ作業員の数は18,212人。その内、11,791人が鳶職人でした。
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鉄材は八幡製鉄所で製造されました。架設工事は大阪鉄工所、日本橋梁、汽車製造、横河橋梁製作所の4社が行い、タイドアーチ五連の組立て会社は中津側より、横河橋梁(一連)、汽車製造(二連)、横河橋梁(一連)、汽車製造(一連)。板桁橋は中津側が大阪鉄工所、十三側を日本橋梁がそれぞれ手がけています。架設工事は、タイドアーチを十三側から始め、次に両側のガーダー組立てを同時に開始しました。

アーチ組立 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
十三側から見た写真だと思われます。アーチに木製の足場が設置されています。あまりにもシンプルな足場なのがちょっとびっくりです。なんか怖そう。

アーチ組立 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
タイドアーチの材料は舟より直接吊揚げ、主構の組立てには鉄製デリックが使用されていたようです。

ガーダー組立 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
十三側です。左のアーチの天辺に鳶職人さんが見えます。さすがです。

ガーダー鉄骨 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
なるほど。橋の中はこんな感じで鉄骨が組まれていたんですね。煙突みたいなものは何なんでしょうか?

橋床工事 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
橋床工事は昭和6年9月11日から昭和7年1月15日まで行われました。この写真、ちょうど橋の歩道から撮影されています。普段歩いて渡る時と同じ目線ですね。

アスファルトブロック舗装工事 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
当初はブロックを一つづつ組んでいたんですね。中津側から十三側までこのブロックを敷きつめていたのでしょうか。すごいです。歩道が今より広いような感じがします。

新旧橋対照 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
できたてホヤホヤです。照明器具がおしゃれですね。歩道は人が歩くだけで、自転車は車道です。現在の法律でもそれが正しいらしいですけど、今の十三大橋の車道は自転車では走れないですよね。
2008年
01月20日
(日曜日)
十三大橋の架橋工事 1
十三大橋の架橋工事 1
十三大橋の架橋工事は、昭和5年1月着工し、昭和7年1月に竣功しました。旧十三橋と阪神急行電鉄橋梁との間に架かり、長柄運河に架す十三小橋と合わせて架けられ、全長736メートル、幅員20メートル、大阪を代表する橋の一つです。
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橋の土台部分は、大林組が手がけました。橋脚と橋台工事の工期は昭和5年1月6日から同年12月30日まで。この期間の作業員は52,302人。全体の工期の約半分を橋台と橋脚の工事にかけています。橋脚の間隔は、岸に近い部分は33メートル、アーチの部分では65メートルです。これは河川水流の抵抗を少なくするため、すぐ上流の阪神急行電鉄の橋脚と位置を合わせるようにしたためだそうです。ただし、電車の橋脚と比べて、間隔は2倍だそうです。

昭和5年8月1日 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
タイトルに「洪水の景」と書かれています。かなり水位が高いですね。基礎?が出来上がったところのようです。その後、この上に鉄筋コンクリートの橋脚が造られることになります。

低水敷橋脚工事 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
写真の右手前から橋脚まで、仮設の橋が見えます。これで人が移動していたのですね。左端に小屋がありますが、ここにコンプレッサーが設置されています。

コンプレッサー台船と病院船 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
川の中の橋脚工事は水対策が一番大変だったのではないかと思います。危険な作業現場なので病院船も必要だったんでしょうね。
私は、個人的にこの写真の後ろの風景が気になっているんです。後ろにある森は塚本の八坂神社跡の森だと思います。八坂神社の写真はずっと探しているんですが、なかなか見つかりません。いつか八坂神社の写真に出会いたいものです。

コンプレッサー 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
この狭い空間にこれだけ大きなコンプレッサーが設置されていると、稼動しているときはかなりの騒音と熱気だったのではないかと思います。

洪水敷橋脚工事 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
中津側の河川敷はかなりの面積を埋め立てていたんですね。敷地内に線路が見えますね。工事の材料はトロッコで運んだのでしょう。十三橋を渡る人は多いですね。

大橋橋台工事(下部鉄筋) 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
コンクリートが流し込まれています。この時代は当然ミキサー車などはないですから、人力で作業をしていたのでしょうか。

今の十三大橋です。完成後約75年経ちます。この時代の橋の耐久年数ってどれくらいなんでしょうね。まだまだ大丈夫そうです。
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十三大橋の架橋工事は、昭和5年1月着工し、昭和7年1月に竣功しました。旧十三橋と阪神急行電鉄橋梁との間に架かり、長柄運河に架す十三小橋と合わせて架けられ、全長736メートル、幅員20メートル、大阪を代表する橋の一つです。
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橋の土台部分は、大林組が手がけました。橋脚と橋台工事の工期は昭和5年1月6日から同年12月30日まで。この期間の作業員は52,302人。全体の工期の約半分を橋台と橋脚の工事にかけています。橋脚の間隔は、岸に近い部分は33メートル、アーチの部分では65メートルです。これは河川水流の抵抗を少なくするため、すぐ上流の阪神急行電鉄の橋脚と位置を合わせるようにしたためだそうです。ただし、電車の橋脚と比べて、間隔は2倍だそうです。

昭和5年8月1日 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
タイトルに「洪水の景」と書かれています。かなり水位が高いですね。基礎?が出来上がったところのようです。その後、この上に鉄筋コンクリートの橋脚が造られることになります。

低水敷橋脚工事 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
写真の右手前から橋脚まで、仮設の橋が見えます。これで人が移動していたのですね。左端に小屋がありますが、ここにコンプレッサーが設置されています。

コンプレッサー台船と病院船 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
川の中の橋脚工事は水対策が一番大変だったのではないかと思います。危険な作業現場なので病院船も必要だったんでしょうね。
私は、個人的にこの写真の後ろの風景が気になっているんです。後ろにある森は塚本の八坂神社跡の森だと思います。八坂神社の写真はずっと探しているんですが、なかなか見つかりません。いつか八坂神社の写真に出会いたいものです。

コンプレッサー 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
この狭い空間にこれだけ大きなコンプレッサーが設置されていると、稼動しているときはかなりの騒音と熱気だったのではないかと思います。

洪水敷橋脚工事 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
中津側の河川敷はかなりの面積を埋め立てていたんですね。敷地内に線路が見えますね。工事の材料はトロッコで運んだのでしょう。十三橋を渡る人は多いですね。

大橋橋台工事(下部鉄筋) 「十三大橋竣功記念写真帖」 より
コンクリートが流し込まれています。この時代は当然ミキサー車などはないですから、人力で作業をしていたのでしょうか。

今の十三大橋です。完成後約75年経ちます。この時代の橋の耐久年数ってどれくらいなんでしょうね。まだまだ大丈夫そうです。
2008年
01月06日
(日曜日)
十三大橋の前の橋
十三大橋の前の橋
十三大橋が開通(昭和7年)する前に、新淀川に架けられていた橋が十三橋です。十三橋は淀川改良工事の終了前、明治42年5月に開通しました。
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明治30年(1897年)から明治43年(1910年)までの間、14年の歳月をかけて淀川改良工事が行われました。この工事は、琵琶湖から大阪湾までの広い範囲に及んで行われ、瀬田川洗堰の建設、宇治川の付け替え、毛馬閘門と毛馬洗堰の建設、そして新淀川の開削工事が行われました。新淀川の開削工事により中津川は無くなります。そして、そこに架かっていた十三橋(木製)もなくなり、新たに生まれた新淀川に新しい十三橋(鉄製)が架けられました。

明治18年の地図。
新淀川の開削工事前です。中津川に十三橋(木製)が架かっていますが、この橋が架けられたのは明治11年です。それまでは、渡し舟で対岸に行き来していました。有名な十三の渡しですね。

明治42年の地図。十三橋(鉄製)が開通した年です。
新淀川の開削工事の間、木製の仮橋や渡し船で通行を確保していたそうです。この工事で元の十三が河川敷に下になってしまいました。明治18年の地図の十三橋南詰が十三という地名があった場所です。成小路村字十三という地名でした。

新淀川に架かる十三橋。「大阪市の100年」より
右に箕面有馬電気軌道(阪急電車)の鉄橋が見えます。まだ単線のようです。橋を渡る男性の足元は下駄ですね。時代を感じさせます。

十三橋の全体像。
河川敷は草が生い茂っています。この河川敷を利用して、新淀川の北岸では酪農が行われました。牛の放牧によかったようです。

中津側から望む。「中津町史」より
右側に十三橋が見えます。対岸は成小路です。現在の新北野ですね。写真の左端に見える森は塚本の八阪神社かもしれません。

十三橋と十三橋南詰親友会往来安全燈。「中津町史」より
往来安全燈は現在もありますが、十三大橋より少しは離れていますね。十三橋があった場所の目印になっています。

現在の往来安全燈。向こう側が十三です。

十三橋を渡る人々。「十三大橋竣功記念写真帖」より
十三大橋の工事は始まる前の写真で、おそらく昭和初期だと思われます。新京阪鉄道(阪急電鉄)の鉄橋が2つ確認できます。宝塚線と神戸線ですね。橋を渡るのは、自動車より牛車や馬車の方が多かった時代です。
※(訂正)上記に新京阪鉄道とありますが、阪神急行電鉄の間違いでした。
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十三大橋が開通(昭和7年)する前に、新淀川に架けられていた橋が十三橋です。十三橋は淀川改良工事の終了前、明治42年5月に開通しました。
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明治30年(1897年)から明治43年(1910年)までの間、14年の歳月をかけて淀川改良工事が行われました。この工事は、琵琶湖から大阪湾までの広い範囲に及んで行われ、瀬田川洗堰の建設、宇治川の付け替え、毛馬閘門と毛馬洗堰の建設、そして新淀川の開削工事が行われました。新淀川の開削工事により中津川は無くなります。そして、そこに架かっていた十三橋(木製)もなくなり、新たに生まれた新淀川に新しい十三橋(鉄製)が架けられました。

明治18年の地図。
新淀川の開削工事前です。中津川に十三橋(木製)が架かっていますが、この橋が架けられたのは明治11年です。それまでは、渡し舟で対岸に行き来していました。有名な十三の渡しですね。

明治42年の地図。十三橋(鉄製)が開通した年です。
新淀川の開削工事の間、木製の仮橋や渡し船で通行を確保していたそうです。この工事で元の十三が河川敷に下になってしまいました。明治18年の地図の十三橋南詰が十三という地名があった場所です。成小路村字十三という地名でした。

新淀川に架かる十三橋。「大阪市の100年」より
右に箕面有馬電気軌道(阪急電車)の鉄橋が見えます。まだ単線のようです。橋を渡る男性の足元は下駄ですね。時代を感じさせます。

十三橋の全体像。
河川敷は草が生い茂っています。この河川敷を利用して、新淀川の北岸では酪農が行われました。牛の放牧によかったようです。

中津側から望む。「中津町史」より
右側に十三橋が見えます。対岸は成小路です。現在の新北野ですね。写真の左端に見える森は塚本の八阪神社かもしれません。

十三橋と十三橋南詰親友会往来安全燈。「中津町史」より
往来安全燈は現在もありますが、十三大橋より少しは離れていますね。十三橋があった場所の目印になっています。

現在の往来安全燈。向こう側が十三です。

十三橋を渡る人々。「十三大橋竣功記念写真帖」より
十三大橋の工事は始まる前の写真で、おそらく昭和初期だと思われます。新京阪鉄道(阪急電鉄)の鉄橋が2つ確認できます。宝塚線と神戸線ですね。橋を渡るのは、自動車より牛車や馬車の方が多かった時代です。
※(訂正)上記に新京阪鉄道とありますが、阪神急行電鉄の間違いでした。
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