2008年
07月07日
(月曜日)
大阪駅前の歴史
大阪駅前の歴史 戦前篇
大阪駅前地域で最初の再開発計画が認可されたのは昭和に入ってからで、「大阪駅付近都市計画事業」が内閣の認可を得たのは昭和3年5月のことでした。
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当初はすべてを用地買収方式で行う計画でしたが、財政上の理由などで計画を変更、昭和9年に土地区画整理事業によって行うことが決まりました。区域としては、ダイヤモンド地区の北半分になります。家屋は413戸、住民約2500人。これらの建物をすべて買収除去し、借地権を消滅させ更地にするというものです。
土地所有者とは、土地の交換分合、換地処分について話し合いが行われました。簡単に説明すると、土地所有者と借地人に移転料や立退料を支払い強制的に出て行ってもらうという大胆な事業です。移転問題は当然難航しましたが、昭和15年この土地区画整理事業は完了しました。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
昭和9年の土地区画整理現形図。現在の区画と少し違いますが、大阪駅との道幅を広くするために、北側の家屋がかなり削られたことがわかります。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
昭和12年に一部変更が行われ、現在の区画に近い形になりました。

「なにわ今昔」より 昭和4年4月
大阪駅前の一等地は、木造建築の密集地でもありました。かつてのあぜ道がもとになって、狭く入りくんだ道で町が形成されていました。

「大阪市の100年」より 昭和4年
この梅田新道は明治36年にできています。新旧のコントラストが写し出されていますね。

「なにわ今昔」より 昭和6年
大阪駅前の道路が狭いですね。駅前正面の南北に走る道路にはビルも見えます。町としては成熟した町でした。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
梅田駅前線という名前の道路です。正面のメインストリートですね。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
大阪駅前正面にビヤホールと菓子屋があったようです。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
一歩中に入るとこんな町並みでした。エエ感じの通りですね。

「大阪市100年」より
昭和10年6月です。区画整理の着手が始まりました。ここは、梅田阪神ビル(阪神百貨店)の建設地ですね。奥のビルは阪急百貨店です。

「大阪市100年」より
昭和13年頃です。左が中央郵便局、右が3代目の大阪駅です。駅前地区の取り壊しもかなり進んでおり、梅田阪神ビルの工事も始まっています。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
昭和17年の空撮です。区画整理によって更地になっていますね。
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当初はすべてを用地買収方式で行う計画でしたが、財政上の理由などで計画を変更、昭和9年に土地区画整理事業によって行うことが決まりました。区域としては、ダイヤモンド地区の北半分になります。家屋は413戸、住民約2500人。これらの建物をすべて買収除去し、借地権を消滅させ更地にするというものです。
土地所有者とは、土地の交換分合、換地処分について話し合いが行われました。簡単に説明すると、土地所有者と借地人に移転料や立退料を支払い強制的に出て行ってもらうという大胆な事業です。移転問題は当然難航しましたが、昭和15年この土地区画整理事業は完了しました。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
昭和9年の土地区画整理現形図。現在の区画と少し違いますが、大阪駅との道幅を広くするために、北側の家屋がかなり削られたことがわかります。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
昭和12年に一部変更が行われ、現在の区画に近い形になりました。

「なにわ今昔」より 昭和4年4月
大阪駅前の一等地は、木造建築の密集地でもありました。かつてのあぜ道がもとになって、狭く入りくんだ道で町が形成されていました。

「大阪市の100年」より 昭和4年
この梅田新道は明治36年にできています。新旧のコントラストが写し出されていますね。

「なにわ今昔」より 昭和6年
大阪駅前の道路が狭いですね。駅前正面の南北に走る道路にはビルも見えます。町としては成熟した町でした。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
梅田駅前線という名前の道路です。正面のメインストリートですね。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
大阪駅前正面にビヤホールと菓子屋があったようです。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
一歩中に入るとこんな町並みでした。エエ感じの通りですね。

「大阪市100年」より
昭和10年6月です。区画整理の着手が始まりました。ここは、梅田阪神ビル(阪神百貨店)の建設地ですね。奥のビルは阪急百貨店です。

「大阪市100年」より
昭和13年頃です。左が中央郵便局、右が3代目の大阪駅です。駅前地区の取り壊しもかなり進んでおり、梅田阪神ビルの工事も始まっています。

「大阪駅前市街地改造事業誌」より
昭和17年の空撮です。区画整理によって更地になっていますね。
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2008年
06月02日
(月曜日)
梅田を走る市電 開通篇
梅田を走る市電 開通篇
明治36年、大阪に初めての市電が開通し、翌年には大阪駅前にも市電を敷設する計画が市会に提案されました。大阪市内を南北に貫く南北線(梅田停車場前〜恵比寿町)と東西線です。しかし、当時の大阪市内は道幅がせまく、線路を引くにはいやが上でも、土地を立ち退かせて道を広げるしかありませんでした。当然、沿道住民の反対運動は相当なもので、工事はかなり難航しました。中には、民事訴訟、行政訴訟、さらには刑事問題にまで発展した地域もありました。
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明治41年8月1日、第2期線の開通の日、出発点の九条発電所前には夜明け前から大勢の市民が待ち構えていました。一番電車は午前5時5分に花火の合図と共に出発、沿道では万歳、万歳と歓声があがったそうです。電車の中も大変な状態で、停留所に着くたびに乗るものばかりで、身動きひとつできない超満員。真夏なので暑かったでしょうね。慶祝ムードは夜まで続き、各所に立てられたアーチのイルミネーションが輝き、大阪市内はさながら不夜城のような華やかさだったといいます。

「大阪市100年」より
この電車は、大阪で初めて運行した時の花園橋付近を走る2階つき電車です。明治37年に登場し、明治44年に姿を消していますが、夕涼みや観月などで人気があったそうです。

「大阪市営交通創業100年」より
明治41年8月1日の第2期線開通日の写真です。場所は四ツ橋付近だそうです。たくさんの人です。よく見ると傘をさしていますね。当日は天気が悪かったのかもしれません。

「大阪市営交通90年のあゆみ」より
上と同じ場所のようです。イルミネーションが夜遅くまで夜空を照らしていました。

「市電」より
開業日の梅田停車場前のアーチです。いつものモサモサですね。アーチに箕面有馬電気鉄道の名前がみえます。お祝いの協賛をしていたのでしょうか。

「市電」より
こちらは渡辺橋のアーチです。こちらのアーチもモサモサしてます。

「市電」より
こちらは難波停車場前のアーチです。アーチにもいろいろな形があったんですね。

第2期の時点の路線です(駅名は主要駅です)。この後、第3期線、第4期線が続いていきます。大正末頃には、ほぼ大阪市内全域を市電が走ることになります。すごい勢いです。敷設工事と同時に道路幅も拡張されました。市内の主要道路はこの時代に拡張されものです。

「大阪市パノラマ地図」より
大正12年頃の梅田周辺です。この時代には、ほぼ市内全域に市電が走っていました。

「大阪市パノラマ地図」より
渡辺橋を通っているのが南北線です。堂島川や土佐堀川に船が多く描かれています。水の都大阪を感じますね。

「大阪市パノラマ地図」より
南北線が難波停車場の前を通っています。千日前の楽天地が目立っていますね。劇場や演芸場などが入ったレジャーセンターみたいなものだったようです。山川吉太郎氏が建てています。山川氏の子孫が十三のサンポードシティの前進になる十三劇場と朝日座を建てました。

「大阪市パノラマ地図」より
恵比寿町が南北線の終点です。通天閣の所ですね。

「大阪市100年」より
開通当初の初期型車体です。77号車。前面の番号で形式がわかるのです。私もマニアになってきました(笑)

「なにわの市電」より
ちなみに当時の車体の色はこんな感じでした。エエ感じです。

「なにわの市電」より
2階つきの車体は明治時代に数台しか造られませんでした。この5号車はイベントやパレードなどで廃止当日まで大活躍した車体です。
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明治36年、大阪に初めての市電が開通し、翌年には大阪駅前にも市電を敷設する計画が市会に提案されました。大阪市内を南北に貫く南北線(梅田停車場前〜恵比寿町)と東西線です。しかし、当時の大阪市内は道幅がせまく、線路を引くにはいやが上でも、土地を立ち退かせて道を広げるしかありませんでした。当然、沿道住民の反対運動は相当なもので、工事はかなり難航しました。中には、民事訴訟、行政訴訟、さらには刑事問題にまで発展した地域もありました。
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明治41年8月1日、第2期線の開通の日、出発点の九条発電所前には夜明け前から大勢の市民が待ち構えていました。一番電車は午前5時5分に花火の合図と共に出発、沿道では万歳、万歳と歓声があがったそうです。電車の中も大変な状態で、停留所に着くたびに乗るものばかりで、身動きひとつできない超満員。真夏なので暑かったでしょうね。慶祝ムードは夜まで続き、各所に立てられたアーチのイルミネーションが輝き、大阪市内はさながら不夜城のような華やかさだったといいます。

「大阪市100年」より
この電車は、大阪で初めて運行した時の花園橋付近を走る2階つき電車です。明治37年に登場し、明治44年に姿を消していますが、夕涼みや観月などで人気があったそうです。

「大阪市営交通創業100年」より
明治41年8月1日の第2期線開通日の写真です。場所は四ツ橋付近だそうです。たくさんの人です。よく見ると傘をさしていますね。当日は天気が悪かったのかもしれません。

「大阪市営交通90年のあゆみ」より
上と同じ場所のようです。イルミネーションが夜遅くまで夜空を照らしていました。

「市電」より
開業日の梅田停車場前のアーチです。いつものモサモサですね。アーチに箕面有馬電気鉄道の名前がみえます。お祝いの協賛をしていたのでしょうか。

「市電」より
こちらは渡辺橋のアーチです。こちらのアーチもモサモサしてます。

「市電」より
こちらは難波停車場前のアーチです。アーチにもいろいろな形があったんですね。

第2期の時点の路線です(駅名は主要駅です)。この後、第3期線、第4期線が続いていきます。大正末頃には、ほぼ大阪市内全域を市電が走ることになります。すごい勢いです。敷設工事と同時に道路幅も拡張されました。市内の主要道路はこの時代に拡張されものです。

「大阪市パノラマ地図」より
大正12年頃の梅田周辺です。この時代には、ほぼ市内全域に市電が走っていました。

「大阪市パノラマ地図」より
渡辺橋を通っているのが南北線です。堂島川や土佐堀川に船が多く描かれています。水の都大阪を感じますね。

「大阪市パノラマ地図」より
南北線が難波停車場の前を通っています。千日前の楽天地が目立っていますね。劇場や演芸場などが入ったレジャーセンターみたいなものだったようです。山川吉太郎氏が建てています。山川氏の子孫が十三のサンポードシティの前進になる十三劇場と朝日座を建てました。

「大阪市パノラマ地図」より
恵比寿町が南北線の終点です。通天閣の所ですね。

「大阪市100年」より
開通当初の初期型車体です。77号車。前面の番号で形式がわかるのです。私もマニアになってきました(笑)

「なにわの市電」より
ちなみに当時の車体の色はこんな感じでした。エエ感じです。

「なにわの市電」より
2階つきの車体は明治時代に数台しか造られませんでした。この5号車はイベントやパレードなどで廃止当日まで大活躍した車体です。
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2008年
05月26日
(月曜日)
第3代大阪駅改造事業 後編
第3代大阪駅改造事業 後編
3代目の駅舎は5階建で、1階、2階は駅施設、3階から5階はホテルとなり、建物の中央部には5階までの吹き抜けが出来る予定でした。昭和11年に工事が着工、しかし、完成した駅舎は当初の設計とは違う建物になっていました。
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昭和12年に基礎工事が完了し、その後躯体工事、鉄骨建方工事、コンクリート工事と進んでいきます。昭和15年5月には2階までが完成し、6月より第3代大阪駅駅舎として使用が始まりました。
その後も工事は進んでいきます。しかし時代は次第に戦争の様相を呈していき、昭和16年12月8日、真珠湾奇襲を契機に太平洋戦争が勃発します。工事は最盛期に入っていましたが、鉄道本省から供出命令が届きます。「工事は中止、4階以上の鉄骨は全部とりはずせ」と。再三にわたって交渉しましたが決着せず、昭和17年にホテル計画を断念、3階以上に組まれた鉄骨を切断、設計は変更され中央部の吹き抜けは軒高22mとして、外壁を取り付け、昭和18年11月に凸型の建物が完成したのです。

「大阪市営交通創業100年」より
仮駅舎(中央の木造)は昭和10年4月に完成、二代目の駅舎はただちに取り壊されます。写真は基礎工事に入ったあたりでしょうか。おそらく、昭和11年頃の写真ではないかと思われます。

「大阪市100年」より
昭和13年頃です。鉄骨が3階辺りまで組まれています。阪急百貨店には大きな軍艦旗が取り付けてあります。戦争の足音が迫ってきています。

「なつかしき大阪」より
昭和11年頃の阪神梅田駅の写真です。この頃から戦争ムードになっていたのでしょうか。「祝大観艦式」とあります。「かんかんしき」とは軍艦のパレードのようなものです。調べると昭和11年10月に神戸沖で行われています。

「大阪駅の歴史」より
第3代大阪駅本屋の完成予想図です。なかなか立派です。

「なつかしき大阪」より
昭和15年に未完成のまま開業した当時の写真です。人が出入りしています。この写真は個人的には大発見なのです。あまり見たことないでしょ。

「大阪駅の歴史」より
これは開業直前の写真かもしれません。まだ「大阪駅」の看板が出ていません。

「なにわ今昔」より
終戦後、昭和20年10月に撮影された写真です。周りの木造の建物は全て焼けています。駅舎を上から見ると切断された鉄骨の後が残っています。

「なにわ今昔」より
空襲の被害の様子がわかります。いくつかの建物が残っているのも分かります。

「なにわ今昔」より
「梅田ヤミ市も整理されたのが戦後まだ4年…」と書かれています。昭和20年代初期の写真でしょうか。

「なつかしき大阪」より
この写真も昭和20年代初期の写真だそうです。横断歩道もまだないようです。右手前の行列はバスを待つ人なのでしょうか。

「大阪市100年」より
昭和25年頃の写真だそうです。少し活気がでてきたのでしょうか。角が交差点だったようですね。阪神と阪急にそれぞれ横断歩道らしきものが見えます。

「大阪市営交通創業100年」より
昭和32年頃の写真です。阪急百貨店の第5期の増築工事が行われています。

「昭和の鉄道情景1」より
昭和38年の写真です。この頃もここが横断歩道だったのですね。地下鉄の入口は今もありますよね。横断歩道をはみ出してる人もいます。大阪らしくてエエ感じです。

「大阪駅の歴史」より
この吹き抜け、昭和50年代に建物が取り壊されているので私も知っているはずなのですが、記憶にありません。

4代目にあたるアクティ大阪は昭和54年着工し、昭和58年4月に開業しています。3代目の時代から残っている建物は大阪中央郵便局ぐらいかな。それもなくなっちゃうんですね。
関連ブログ
『大阪駅周辺いろいろ』 ゴリモンな日々

大阪駅前のビルにもドラマがありそうですね。
(追記)

昔の旭屋書店 「キタ 風土記大阪」より
現在のヒルトンプラザイーストの辺りに旭屋書店がありました。コメントで話題になりましたので追記します。

昭和45年頃 「大阪市100年」より
駅前第1ビルが完成した年です。新阪急ビルはもう出来ていたんですね。阪神百貨店と第一生命ビルが確認できます。駅前に歩道橋が出来ていますね。市電は前年の昭和44年に廃止されています。
※駅前の歩道橋は1963年(昭和38年)に出来たのだそうです。TOSSYさん、ありがとうございます。
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3代目の駅舎は5階建で、1階、2階は駅施設、3階から5階はホテルとなり、建物の中央部には5階までの吹き抜けが出来る予定でした。昭和11年に工事が着工、しかし、完成した駅舎は当初の設計とは違う建物になっていました。
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昭和12年に基礎工事が完了し、その後躯体工事、鉄骨建方工事、コンクリート工事と進んでいきます。昭和15年5月には2階までが完成し、6月より第3代大阪駅駅舎として使用が始まりました。
その後も工事は進んでいきます。しかし時代は次第に戦争の様相を呈していき、昭和16年12月8日、真珠湾奇襲を契機に太平洋戦争が勃発します。工事は最盛期に入っていましたが、鉄道本省から供出命令が届きます。「工事は中止、4階以上の鉄骨は全部とりはずせ」と。再三にわたって交渉しましたが決着せず、昭和17年にホテル計画を断念、3階以上に組まれた鉄骨を切断、設計は変更され中央部の吹き抜けは軒高22mとして、外壁を取り付け、昭和18年11月に凸型の建物が完成したのです。

「大阪市営交通創業100年」より
仮駅舎(中央の木造)は昭和10年4月に完成、二代目の駅舎はただちに取り壊されます。写真は基礎工事に入ったあたりでしょうか。おそらく、昭和11年頃の写真ではないかと思われます。

「大阪市100年」より
昭和13年頃です。鉄骨が3階辺りまで組まれています。阪急百貨店には大きな軍艦旗が取り付けてあります。戦争の足音が迫ってきています。

「なつかしき大阪」より
昭和11年頃の阪神梅田駅の写真です。この頃から戦争ムードになっていたのでしょうか。「祝大観艦式」とあります。「かんかんしき」とは軍艦のパレードのようなものです。調べると昭和11年10月に神戸沖で行われています。

「大阪駅の歴史」より
第3代大阪駅本屋の完成予想図です。なかなか立派です。

「なつかしき大阪」より
昭和15年に未完成のまま開業した当時の写真です。人が出入りしています。この写真は個人的には大発見なのです。あまり見たことないでしょ。

「大阪駅の歴史」より
これは開業直前の写真かもしれません。まだ「大阪駅」の看板が出ていません。

「なにわ今昔」より
終戦後、昭和20年10月に撮影された写真です。周りの木造の建物は全て焼けています。駅舎を上から見ると切断された鉄骨の後が残っています。

「なにわ今昔」より
空襲の被害の様子がわかります。いくつかの建物が残っているのも分かります。

「なにわ今昔」より
「梅田ヤミ市も整理されたのが戦後まだ4年…」と書かれています。昭和20年代初期の写真でしょうか。

「なつかしき大阪」より
この写真も昭和20年代初期の写真だそうです。横断歩道もまだないようです。右手前の行列はバスを待つ人なのでしょうか。

「大阪市100年」より
昭和25年頃の写真だそうです。少し活気がでてきたのでしょうか。角が交差点だったようですね。阪神と阪急にそれぞれ横断歩道らしきものが見えます。

「大阪市営交通創業100年」より
昭和32年頃の写真です。阪急百貨店の第5期の増築工事が行われています。

「昭和の鉄道情景1」より
昭和38年の写真です。この頃もここが横断歩道だったのですね。地下鉄の入口は今もありますよね。横断歩道をはみ出してる人もいます。大阪らしくてエエ感じです。

「大阪駅の歴史」より
この吹き抜け、昭和50年代に建物が取り壊されているので私も知っているはずなのですが、記憶にありません。

4代目にあたるアクティ大阪は昭和54年着工し、昭和58年4月に開業しています。3代目の時代から残っている建物は大阪中央郵便局ぐらいかな。それもなくなっちゃうんですね。
関連ブログ
『大阪駅周辺いろいろ』 ゴリモンな日々

大阪駅前のビルにもドラマがありそうですね。
(追記)

昔の旭屋書店 「キタ 風土記大阪」より
現在のヒルトンプラザイーストの辺りに旭屋書店がありました。コメントで話題になりましたので追記します。

昭和45年頃 「大阪市100年」より
駅前第1ビルが完成した年です。新阪急ビルはもう出来ていたんですね。阪神百貨店と第一生命ビルが確認できます。駅前に歩道橋が出来ていますね。市電は前年の昭和44年に廃止されています。
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