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佃オリジナル

2008年02月09日 01:00

佃オリジナル

佃煮で有名な東京の佃は、摂津佃村の人達が移り住んだ町だというのは有名な話ですが、呼び寄せたのは徳川家康であったということは知りませんでした。

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天正十四年(1586年)、徳川家康が、摂津多田の廟に参詣の道中、田蓑嶋の漁夫が漁船をもって神崎川の渡し舟を勤めた。そこで家康から「全国どこで漁をしても良し又、税はいらない」という特権をいただき、そして台命により村名を佃と改めました。
天正十八年(1590年)、家康が関東へ下降の時、佃村の漁夫等33名と田蓑神社宮司平岡正太夫の弟、権太夫好次も関東へ移住、後に現在の東京佃の地をいただき、故郷の佃村と同じ名を付け、住吉大神の社地を定めました。

tukuda_kochizu.jpg
新撰増補大坂大絵図 (1691年)より
佃田村となっています。古地図の場合、川幅が広く書かれていることが多いです。おそらく当時の人の心理的な距離が反映されているのではないかと思います。この時代は橋が架かっていませんので、対岸へは舟に乗らなくてはなりませんでした。実際より遠くに感じたんでしょうね。

tukuda_02.jpg
明治19年の地図。
今とは土地の形状がかなり違いますね。現在の地図との位置合わせがかなり難しかったです。この時代の旧道が現在はほとんど残っていません。

tukuda_01.jpg
現在の地図(Googleマップより)

tamino.jpg
田蓑(たみの)神社。
住吉神社と称していた時代もありました。この地域は住吉神社が多いですね。

tamino02.jpg
田蓑神社本殿
開創は貞観十一年(869年)、古さは半端ではありません。千百年以上の歴史があります。

tamino03.jpg
住吉四柱の大神
平安時代の850年~1224年まで、天皇即位儀礼のひとつとして八十島祭が行われていました。その場所は定かではありませんが、田蓑神社ではないかといわれています。

tamino04.jpg
佃漁民ゆかりの地碑
佃村の漁民の漁業技術はかなり優れていたと想像できます。徳川幕府は、その技術の高さに目をつけ、江戸に移住させたのでしょう。

ieyasu.jpg
寛永八年(1631年)、神社内に徳川家康公が奉られました。


(追記)

佃_map01
昭和4年の地図
阪神国道電軌が昭和2年に開通しました。阪神電鉄は明治38年に開通し、当初は佃駅が設置されました。大正10年に佃駅が廃止され千船駅が新設されています。

佃_map02
昭和4年の地図
佃は、細い川でいくつかの地域に分かれていました。水路もいくつか確認できますね。水田の名残かもしれません。大きな工場がいくつかあります。日本グリセリン会社、モスリン紡績会社、伊藤製綱所、中川鉄工所が確認できます。


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