2008年
02月06日
(水曜日)
「香具波志」は「香しい」
「香具波志」は「香しい」
香具波志神社の名前は少し変わっていますね。「かぐはし」と読みます。千年以上歴史がある神社です。名前の由来をちょっと調べてみました。
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名前の由来はいくつか説があるようです。伝記によると、孝徳天皇の残した「…かこはしや此花いもみせぬかもやこの花…」から、地名が「かくはし」となり、社号になったといいます。
もうひとつは、日本書紀の応神天皇の制御で「…我が行く道に 香細(かぐは)し花橘…」からきているというものです。「カグハシ」とは「花橘」の香りを指すようです。「花橘」とは柑橘系の花のことだと思いますが、当時は今のように甘い果実ではなかったかもしれませんね。どちらにしろ、とてもチャーミングな名前の由来ですね。
「なには津に咲くやこの花冬ごもり、今を春べと咲くやこの花」
という有名な歌がありますが、「咲くやこの花」とは「花橘」ではないかという説もあるようですよ。

香具波志神社の近くに柑橘の木がありました。千年前はこの辺りにもそのような木があったのでしょうか。初夏には、白い小さないい香りのする花が咲いていたのかもしれません。

楠木正儀駒繋の楠(くすのきまさのりこまつなぎのクスノキ)「香具波志神社千年史」より
境内にあった樹齢約800年の楠は大阪府の天然記念物でした。2/2の写真より少しだけきれいになりました。カラーの写真で見てみたいですね。

切り株の回りに数本の若い楠木が植えられています。この中のどれかがまた数百年かけて大木になっていけばいいですね。もしかしてDNAを受け継いでいるのかな?

平成10年に再建された本殿。
平成7年の阪神・淡路大震災時の写真をお借りしました。
加島の地域も被害は大きかったようです。若い世代の人達にも当時の自分たちの町のことを知っていただきたいと思い、写真を掲載いたしました。

歴史ある立派な本殿は崩壊しました。

山門前。鳥居も倒れました。

崩壊した本殿。

こちらの鳥居も崩れました。

震災の写真はTOSSY様にお借りしました。→ 「TOSSYの部屋」 には素敵な写真がたくさん詰まっています。震災の記録のページもあります。是非お立ち寄りください。

現在は本殿も山門も立派に再建されました。もうすぐ春ですね。あたたかくなったらまた香具波志神社に行こうと思います。なぜか癒される神社です。
(追記)
阪神・淡路大震災の前の写真を見つけました。

香具波志神社の灯篭献花 「淀川今昔写真館」より
どこの神社でもお祭りの時が一番好きです。神様が喜んでいそうですよね。
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名前の由来はいくつか説があるようです。伝記によると、孝徳天皇の残した「…かこはしや此花いもみせぬかもやこの花…」から、地名が「かくはし」となり、社号になったといいます。
もうひとつは、日本書紀の応神天皇の制御で「…我が行く道に 香細(かぐは)し花橘…」からきているというものです。「カグハシ」とは「花橘」の香りを指すようです。「花橘」とは柑橘系の花のことだと思いますが、当時は今のように甘い果実ではなかったかもしれませんね。どちらにしろ、とてもチャーミングな名前の由来ですね。
「なには津に咲くやこの花冬ごもり、今を春べと咲くやこの花」
という有名な歌がありますが、「咲くやこの花」とは「花橘」ではないかという説もあるようですよ。

香具波志神社の近くに柑橘の木がありました。千年前はこの辺りにもそのような木があったのでしょうか。初夏には、白い小さないい香りのする花が咲いていたのかもしれません。

楠木正儀駒繋の楠(くすのきまさのりこまつなぎのクスノキ)「香具波志神社千年史」より
境内にあった樹齢約800年の楠は大阪府の天然記念物でした。2/2の写真より少しだけきれいになりました。カラーの写真で見てみたいですね。

切り株の回りに数本の若い楠木が植えられています。この中のどれかがまた数百年かけて大木になっていけばいいですね。もしかしてDNAを受け継いでいるのかな?

平成10年に再建された本殿。
平成7年の阪神・淡路大震災時の写真をお借りしました。
加島の地域も被害は大きかったようです。若い世代の人達にも当時の自分たちの町のことを知っていただきたいと思い、写真を掲載いたしました。

歴史ある立派な本殿は崩壊しました。

山門前。鳥居も倒れました。

崩壊した本殿。

こちらの鳥居も崩れました。

震災の写真はTOSSY様にお借りしました。→ 「TOSSYの部屋」 には素敵な写真がたくさん詰まっています。震災の記録のページもあります。是非お立ち寄りください。

現在は本殿も山門も立派に再建されました。もうすぐ春ですね。あたたかくなったらまた香具波志神社に行こうと思います。なぜか癒される神社です。
(追記)
阪神・淡路大震災の前の写真を見つけました。

香具波志神社の灯篭献花 「淀川今昔写真館」より
どこの神社でもお祭りの時が一番好きです。神様が喜んでいそうですよね。
2008年
02月02日
(土曜日)
加島とクスノキ
加島とクスノキ
加島は中国街道沿いにあり神崎の渡し場でもありました。古くから交通の要所であるとともに、銭座がおかれ加島銭を鋳造したり、遊女などもいて「天下第一の楽地」といわれ、江戸時代にはかなり栄えていたということです。
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いつもクリック ありがとうございます。
現在の加島は阪神高速や国道10号線、十三筋や新幹線、JR線などが四方八方に横切り、地域は細かく分断されてしまいました。また、加島の交差点は交通量も多く、いつも車が渋滞し、環境は決していいとはいえません。しかし、道路を一歩中に入ると、昔ながらの街並みが残っていました。

千年以上も歴史のある香具波志(かぐはし)神社。大きなクスノキが出迎えてくれます。

山門をくぐった所にも大きなクスノキがあります。この写真は山門の方を振り返ったところです。

本殿の左手にも大きなクスノキがあります。大阪市指定の保存樹に指定されています。

楠木正儀(まさのり)卿駒繋樟(こまつなぎくす)。樹齢は800年を越え、高さ27mと大阪市で一番の巨木で、大阪府の天然記念物に指定されました。残念ながら昭和45年に枯れてしまいました。

楠駒繋の樟(東淀川区史より)。枯れたのが昭和45年なので探せばもっときれいな写真が残っているはずです。

阪神淡路大震災で本殿の崩壊など壊滅的な被害を受けました。その残骸が境内に残されています。

平成10年、氏子崇敬者の尽力により主要建物が復興されました。

歴史のある町です。お地蔵さんもどこか品格があります。

街道沿いのお米屋さん。夕焼けが似合うたたずまいです。

こんな旧家が残っていました。以前は農家だったのでしょうか。大阪市内にこんな民家が残っているとはびっくりです。

町中に大きなクスノキを見つけました。

クスノキの下は昭和の雰囲気が残っていました。

定秀寺の敷地内にも大きなクスノキがありました。
(追記)地図の今昔です。

明治19年の地図。赤い印は香具波志神社と富光寺(ふっこうじ)です。太く書かれている道が中国街道です。

現在の地図(Googleマップより)
明治19年の地図を合わせると、中国街道がわかります。右に三津屋村がありその先は十三の渡しになります。左の突き当たりに神崎の渡しがありました。
(追記)
モスリン橋は富光寺の裏手にあり、尼崎市戸ノ内町と加島と結んでいました。

昭和25年頃のモスリン橋「淀川今昔写真館」より
明治29年(1896年)毛斯綸紡織株式会社が設立されました。大正12年(1923年)園田村戸之内に工場を設立、対岸の加島へ通ずるモスリン橋を建設し村に寄付しました。

神崎川に架かる毛斯倫(モスリン)大橋
(追記)

大阪くらしの今昔館で平成20年4月6日まで企画展が行われています。モスリンは明治から昭和初期にかけて流行しました。特に長襦袢や子供用の着物として普及したようです。
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加島は中国街道沿いにあり神崎の渡し場でもありました。古くから交通の要所であるとともに、銭座がおかれ加島銭を鋳造したり、遊女などもいて「天下第一の楽地」といわれ、江戸時代にはかなり栄えていたということです。
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現在の加島は阪神高速や国道10号線、十三筋や新幹線、JR線などが四方八方に横切り、地域は細かく分断されてしまいました。また、加島の交差点は交通量も多く、いつも車が渋滞し、環境は決していいとはいえません。しかし、道路を一歩中に入ると、昔ながらの街並みが残っていました。

千年以上も歴史のある香具波志(かぐはし)神社。大きなクスノキが出迎えてくれます。

山門をくぐった所にも大きなクスノキがあります。この写真は山門の方を振り返ったところです。

本殿の左手にも大きなクスノキがあります。大阪市指定の保存樹に指定されています。

楠木正儀(まさのり)卿駒繋樟(こまつなぎくす)。樹齢は800年を越え、高さ27mと大阪市で一番の巨木で、大阪府の天然記念物に指定されました。残念ながら昭和45年に枯れてしまいました。

楠駒繋の樟(東淀川区史より)。枯れたのが昭和45年なので探せばもっときれいな写真が残っているはずです。

阪神淡路大震災で本殿の崩壊など壊滅的な被害を受けました。その残骸が境内に残されています。

平成10年、氏子崇敬者の尽力により主要建物が復興されました。

歴史のある町です。お地蔵さんもどこか品格があります。

街道沿いのお米屋さん。夕焼けが似合うたたずまいです。

こんな旧家が残っていました。以前は農家だったのでしょうか。大阪市内にこんな民家が残っているとはびっくりです。

町中に大きなクスノキを見つけました。

クスノキの下は昭和の雰囲気が残っていました。

定秀寺の敷地内にも大きなクスノキがありました。
(追記)地図の今昔です。

明治19年の地図。赤い印は香具波志神社と富光寺(ふっこうじ)です。太く書かれている道が中国街道です。

現在の地図(Googleマップより)
明治19年の地図を合わせると、中国街道がわかります。右に三津屋村がありその先は十三の渡しになります。左の突き当たりに神崎の渡しがありました。
(追記)
モスリン橋は富光寺の裏手にあり、尼崎市戸ノ内町と加島と結んでいました。

昭和25年頃のモスリン橋「淀川今昔写真館」より
明治29年(1896年)毛斯綸紡織株式会社が設立されました。大正12年(1923年)園田村戸之内に工場を設立、対岸の加島へ通ずるモスリン橋を建設し村に寄付しました。

神崎川に架かる毛斯倫(モスリン)大橋
(追記)

大阪くらしの今昔館で平成20年4月6日まで企画展が行われています。モスリンは明治から昭和初期にかけて流行しました。特に長襦袢や子供用の着物として普及したようです。
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