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東淀川駅・中島惣社・崇禅寺

2012年07月21日 09:15

瓦屋根の東淀川駅
と中島惣社と崇禅寺

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JR東淀川駅です。
どことなく取り残された感が漂う駅ですが、
どこか懐かしさを感じされてくれる駅でもあります。

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線路がたくさんある中にホームがポツンとある。

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これは西側の駅舎。

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こちらが東側の駅舎です。

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駅の横には踏切りがあって駅員さん?が常駐している。

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結構頻繁に踏切りが下りる場所です。

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東淀川駅は駅舎と駅舎の間が地下通路になっていて、一般の人も通れるようになっています。

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歩行者用地下通路。

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通路は柵で仕切られている。

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駅舎の天井部。なかなかよろしい。

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地下通路。

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ホームに上がる階段です。

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普通の階段だけどなんかいい。

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ホームの北側です。

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ホーム屋根の鉄骨はレールっぽいですね。

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ホームから見た西側の駅舎。

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東側の駅舎です。橙色の瓦屋根が印象的でいいです。

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雑草の茂みの中に階段がありますね。

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何かの碑があるようです。

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ホームの側面に足を引っかけるモノがあった。都心近郊では珍しいのではないですか?

さて、
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近くにある中島惣社にも立ち寄ってきました。

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創建はかなり古く飛鳥時代に難波長柄豊崎宮に都が遷された頃と言われています。

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惣社といわれるだけに多くの神社の祭神が合祀されている。

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境内は明るく開けていているのですが古い建物はほとんどありません。

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これは古そうな石の祠。

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この地域は昭和20年6月の空襲で大きな被害を受けています。この鳥居も昭和31年に建造されたもののようですね。

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中島惣社のとなりに崇禅寺があります。

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奈良時代の天平年間(724~748年)に行基によって創建されたといわれる由緒ある寺院です。

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こちらも空襲で大きな被害を受けて、本殿の再建は平成元年だそうです。

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古い寺だけに焼け残った古いものは多い。正面の祠は、

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崇禅寺馬場の仇討ちで有名な遠城兄弟の墓です。「仇討崇禅寺馬場」という映画にもなっています。

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途中でこの墓の場所を示す道標がありました。かなり有名だったのでしょうね。

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こちらは崇禅寺観音尊と足立地蔵尊。

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そして崇禅寺で一番有名な場所がこちらです。

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奥から「細川ガラシヤ夫人の墓」「足利義教公の首塚」「徳叟亨隣大和尚の墓」が並んでいる。

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嘉吉元年(1441)6月、室町幕府6代将軍足利義教公が赤松満祐に京都で殺害され、赤松の一党が義教公の首をこの地に葬ったとされています。

その後、足利義教公、細川家の菩堤寺として再興された折、開山したのが徳叟亨隣大和尚。
細川ガラシヤ夫人の遺骨は、ザビエルの弟子オルガンチノが殉死者の遺骨と共に、細川家ゆかりの当寺に埋葬したものです。

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この大きな木の切り株は戦災の名残なのでしょうか。
その間から大きく育とうとする若木が印象的でした。


(関連記事)
弾丸列車と新大阪駅2012.06.22
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弾丸列車の新大阪駅と東海道新幹線の新大阪駅2012.07.05

大阪神戸西宮・空襲戦災状況地図2012.07.11


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弾丸列車と新大阪駅

2012年06月22日 07:45

弾丸列車から新幹線へ(1)
弾丸列車計画と新大阪駅

昭和31年発行の東淀川区史にとても興味深いことが書かれています。
戦前に計画・着工されていた東京・下関間を高速列車で結ぶ「広軌新幹線」、通称「弾丸列車」のことです。

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弾丸鉄道について

戦時中鉄道省において弾丸鉄道の計画があり、この実現をみていたら確かに本区の様相も一変していたことと思われる。いまこの計画のあらましを述べると昭和十三年鉄道省企画委員会において、輸送力の拡充ならびに内地・大陸間の交通幹線として、東京・下関間に「広軌新幹線」の敷設が具体化し、昭和十五年の第七十五議会で工費約五億六千万円、十五年度以降十五ヵ年計画として可決された。

本計画による大阪附近の状況を示すと、まず現京都駅より東海道線に沿って南下、大山崎附近より東海道線と淀川の間を淀川沿いに南西進、三島郡鳥飼村を経て当区井高野町に入り、江口町より大道町に至り西転、上新庄・國次町を経て現東淀川駅北側に新大阪駅を設置、さらに三國町・十八條町を横断豊中市庄内町を西へ抜け塚口町の南方を経て六甲山をトンネルで抜け、神戸市の西北平野方面に新神戸駅を設置以下西へ下関に至ることとなっていた。

これによって東京・大阪間の所要時間は四時間三十分、東京・下関間は九時間となる予定であった。しかし戦争の激化に伴い折角の計画も実現を見ぬまま今日に至っているが、最近また本計画が再検討されつつある。
(東淀川区史より)


いかがでしょう。なかなか面白いでしょ。
「最近また本計画が再検討されつつある。」というのは東海道新幹線のことです。
この文章の中で私が特に気になったのは新大阪駅の場所。
東淀川駅の北側ってどのあたりなんでしょう?

で、いろいろ調べていて
偶然見つけてしまいました!

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国立公文書館の「大阪都市計画街路中追加変更ノ件」という書類の中の1ページ。昭和18年のものです。

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都市計画図の中に新幹線鉄道と計画道路が書き足されている。
中心の四角い部分は新大阪駅前広場、右側の菱形に塗られた部分は新幹線貨物駅と思われます。

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凡例です。原本はカラーなのでしょう。

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新大阪駅前広場の下に東淀川駅が確認できます。
新幹線鉄道の左側にあるバツ印は、その下に記されていた大道庄内線の廃止を意味しています。

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現在の地図に落とし込むとこの辺りでしょうか。

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昭和14年の地図に落とし込んでみました。
周辺に住宅地がまだ少なかった事がわかる。

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さらに、昭和17年の地図にも落とし込んでみました。
戦時中だからでしょうか、宮原操車場が記されていません。

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計画路線の下にはまっすぐな道路が記されていました。
ただ、この道路は当時できていないはずの大道庄内線のようです。
その他にも実際にはできていない計画中の道路がいくつも確認できる。
ちょっと不思議な地図です。

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東淀川駅のホームから北側を見てみました。

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信号の奥が新大阪駅の計画地の辺りでしょうか。

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その下には大きな道路ができています。

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庄内新庄線です。この先は地下鉄東三国駅。

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地下鉄東三国駅の西の先で行き止まりになっている道路です。
これが旧大道庄内線なのではと思ったのですが、どうも違うみたい。
大道庄内線は蒲田神社の北側を走るのですが、この道路は南側。
この道路が弾丸列車の計画予定地だと思ったのですが違うようです。

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最後に、国土地理院の昭和23年(1948)の空中写真に落とし込んでみました。
これが一番リアリティがある。

(追記)
現新大阪の東側のルートは水路(中嶋大水道)に沿ったルートになりましたが、この空撮をみて思ったのですが、新大阪駅の東側は空襲の被害が大きかった地域でもあります。この写真にもその傷跡が残っている。その中に新幹線の線路が敷かれています。そのこともこのルートに決まった理由のひとつかもしれない。


より大きな地図で 弾丸列車計画の新大阪駅 を表示


(関連記事)
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