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弾丸列車の新大阪駅と東海道新幹線の新大阪駅

2012年07月05日 07:00

弾丸列車から新幹線へ(4)
新大阪駅ができるまで

「東海道新幹線工事誌」より
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戦前の弾丸列車計画のルートです。現東淀川駅北側に新大阪駅を設置する予定で、現東淀川区豊新付近には貨物駅を、鳥飼付近には貨車操車場を、立花付近には客車操車場が予定されていました。

「東海道新幹線工事誌」より
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昭和34年頃、東海道新幹線の新大阪駅の計画において4つの案が検討されていたようです。(※ 図には3つしか入っていませんでした)
(1)現大阪駅併設案
大阪駅北側に併設する案です。ただ、周辺の交通マヒにさらに拍車をかけることや、用地取得の難しさ、工事費の増大等が大きな課題でした。
(2)東淀川案
戦前の弾丸列車計画のルートを踏襲する案で、東淀川駅の北約200メートルの位置に設置する案です。この案は用地取得の点から見て、小住宅が雑居しており、大阪駅併設案についで難しいとされていたようです。
(3)宮操付近案
実は2案ありました。
1、宮原操車場を移転してその跡に新設する案
2、宮原操車場東側のデルタ地帯に新設する案
1は用地買収の点では非常に有利ですが、宮操ほど優れた立地の操車場の代替え用地が他では得られないという理由で、2の案が有力候補になったようです。
(4)梅田貨物駅付近案
これは梅北(梅田北ヤード)に新設する案です。これも2案ありました。
1、梅田貨物ホームの上を高架橋にし、貨物駅と立体的に利用する案
2、梅田駅東端を中心に地平に新設する案
この案も大阪駅併設案と同じで道路交通のマヒを助長するのと、頭端式ホームなるので、列車がスルーに抜けれず、スイッチバックの運転方式になってしまうという欠点がありました。

最終的には昭和35年の常務理事会で宮操付近案に決定しています。東淀川案と宮操付近案は条件がよく似ているのですが、用地取得の民家の件数が、約550戸と400戸で、東淀川案の方が1.4倍近い数字が出ています。さらに将来山陽方面へ延伸することを考えても宮操付近案の方が有利だという判断があったのかもしれません。

「東海道新幹線工事誌」より「新大阪駅構想図」
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当初の新大阪駅構想図です。新大阪駅と並行して阪急電鉄新大阪駅(当時は京阪神急行電鉄)の駅が描かれているのが興味深いですよね。結局実現しなかった阪急新大阪連絡線です。

「東海道新幹線工事誌」より
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模型では地下鉄御堂筋線と並行して新御堂筋も組み込まれている。

「東海道新幹線工事誌」より
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これはまた違う模型のようですね。広場がよりリアルになっています。

「東海道新幹線工事誌」より
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建設中の新大阪駅です。

「東海道新幹線工事誌」より
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建設が始まる前です。左下が旧南宮原村、右上が旧西村です。中央を中島大水道が流れている。とても興味深い写真です。

「国土変貌アーカイブ」より
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ちなみに昭和23年(1948)の航空写真です。空襲の焼け跡が残る痛々しい写真です。

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現在。

「東海道新幹線工事誌」より
shinosaka_104.jpg
これは新大阪駅開業当時の写真です。カラー写真がうれしい。

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アップで見ると気になるものが写っている。
まず、地下鉄御堂筋線の新大阪駅の入口は側面にあったようです。
ポールライトは当初は一基だけだったんですね。
ホームに新幹線が写っているような…
それ意外にも見どころたっぷりですよね ^^

「東海道新幹線工事誌」より
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これはアングル違い。どうも開業前っぽいです。

「東海道新幹線工事誌」より
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これも興味深い写真。地下鉄御堂筋線新大阪駅の写真を繋ぎ合わせてパノラマにしている。給水塔に足場が組まれているので、この後解体されれたのかもしれません。

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ところで、在来線のホームと新幹線の駅とは地下でつながっていた事をご存知でしょうか。

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いまも地下につながる階段が残っています。

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明かりがついているのでいまも使われているのでしょう。

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向こうのホームにも階段がある。

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計2カ所に残っていました。

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ホームの一番南側です。

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どこにつながっていたかというと、一階にあった団体待合室だそうです。現在は改装中でその場所が確認できませんでした。

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こちらは阪急電鉄が乗り入れる予定だった場所。

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地下鉄御堂筋線新大阪駅の上にその遺構が残っている。
ホームになる予定だったコンクリートでしょうか。

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新幹線の高架と並行して高架橋が建設される予定でした。

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東側には新大阪阪急ビルが現在建設中です。ホテルも併設されて、1階はバスターミナルになるようですよ。

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ここに阪急の駅ができることはもうないのでしょうか…

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さて、宮原操車場です。
って言っちゃいますが、正確には宮原総合運転所だそうです。いまだに覚えられない…

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新大阪駅のタクシーだらけのスロープ。このアール感がいいですね。

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2階の正面入口はタクシー専用のようになっているが、その設計も個人的には好きかも。

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改めて新大阪駅を見ると層になっていてなかなかいいです。

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弾丸列車がきっかけでいろいろ調べた新大阪駅。
正直、いままでほとんど関心がなかった駅なのですが、
だんだん興味が湧いてきてしまいました ^^


(関連記事)
1. 弾丸列車と新大阪駅2012.06.22
2. 弾丸列車と満鉄あじあ号2012.06.27
3. 新幹線計画と弾丸列車計画の公文書2012.07.01
4. 弾丸列車の新大阪駅と東海道新幹線の新大阪駅2012.07.05
瓦屋根の東淀川駅と中島惣社と崇禅寺2012.07.21


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新幹線計画と弾丸列車計画の公文書

2012年07月01日 00:01

弾丸列車から新幹線へ(3)
東海道新幹線計画のはじまり

「東海道新幹線工事誌」の写真を加工。東海道新幹線開業当初の新大阪駅です。
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戦後の日本経済は朝鮮特需などにより国力が急速に回復、更なる高度経済成長を迎えようとしていました。昭和31年、国鉄は輸送量の伸張に伴い東海道線の現状を分析。その結果、昭和36、37年度には輸送力が限界に達すると予想されました。
国鉄は輸送力の行詰りの打開策を樹立するため「東海道幹線輸送増強調査会」を設置、そこでの報告に基づき昭和32年7月2日、十河総裁は運輸大臣に対して国家的観点からこの問題に対処するよう要請しました。
昭和32年8月30日、閣議決定をもって運輸省に日本国有鉄道幹線調査会が設置され、昭和33年7月に調査会から東海道新幹線建設の必要性に関する答申を運輸大臣に提出、同年12月に閣議承認され、昭和34年4月新幹線建設工事が運輸大臣によって認可されたのです。

昭和33年7月に提出された答申の公文書が残っています。
その一部を書き起こしました。
新幹線計画の始まりがここに凝縮されています。


【東海道新幹線に関する公文書】
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運輸甲第14号 
起案昭和33年7月10日
閣議昭和33年7月11日
日本国有鉄道幹線調査会の答申について(運輸省)

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鉄道第131号
昭和33年7月9日
運輸大臣 永野護
内閣総理大臣 岸信介殿

日本国有鉄道幹線調査会の答申について
諮問第1号「日本国有鉄道東海道本線及びこれに関連する主要幹線の輸送力増強並びに近代化の基本的方策」に対し、日本国有鉄道幹線調査会長から、別紙のとおり最終答申があったので、閣議に報告する。

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日本国有鉄道幹線調査会答申
昭和33年7月7日
日本国有鉄道幹線調査会 会長 大蔵公望
運輸大臣 永野護殿

日本国有鉄道幹線調査会は、昭和32年9月11日付諮問第1号「日本国有鉄道東海道本線及びこれに関連する主要幹線の輸送力増強並びに近代化の基本的方策」に関し、当局の資料及び説明に基いて慎重に審議した結果、東海道線の輸送力増強の必要性並びに緊急性については、さきに昭和32年11月22日付をもって中間的に第1次答申を行ったところであるが、爾後引続いてこれが具体化に関する問題点について審議を行い、新規路線のとるべき形態に関しては、第1分科会においてそれぞれその成案を得、これを昭和33年5月16日第7回調査会において慎重審議の結果妥当と認めたので、以上を総合して、ここに最終的に、関係資料及び議事録を添えて別紙のとおり答申する。

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(別紙)
答申
わが国の産業・経済発展の推移に鑑み、日本国有鉄道の東海道線に予想される膨大な輸送需要を最も合理的に充足するため、左記の理由並びに結論に基いて、すみやかに適切な措置を講ずる必要がある。
なお政府並びに日本国有鉄道当局においては、東海道線増強の必要性と緊急性に鑑み、早急に新規路線を建設する必要があるが、これが具体化に当り、技術的には世界最高の水準による最も近代的な交通機関として実現することを目標とするはもとより、その工事並びに完成後の運営については最高能率を発揮し得るよう画期的な方策を採用し、特に所用資金の調達に関しては日本国有鉄道の財政事情に照し方遺憾のないよう格段の措置を講じ、もってこれが建設の促進に支障を与えることのないよう要望する。
新規路線の建設はあらゆる施策に先行し、かつ、強力に推進されなければ所期の目的を達成し得ないことは明らかである。よって政府並びに日本国有鉄道の決断と努力とを重ねて要望するものである。


第一 東海道新規路線建設の必要性
一 東海道線輸送需要の推定
東海道線の輸送需要を推定すれば、最小案によっても、なお、昭和50年度においては現在に対比し旅客において約2倍、貨物において約2.3倍以上に達し、爾後更に増加するものと推定した。
二 各種交通機関の輸送計画
東海道線が負担する需要を推定するには、他の交通機関の輸送計画によって、東海道線からこれらに転換される輸送量を推定する必要があり、これを検討した結果、次の結論に達した。

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(イ)東京ー神戸間高自動車道
東京ー神戸間高自動車道は、東海道線と最も関係が大であると考えられる。従って、これに東海道線から転換する両については、中央縦貫道及び東海道高道の両案について、特に詳細に検討した。高自動車道のうち、名古屋ー神戸間については昭和37年度、東京ー名古屋間については昭和40年度にそれぞれの使用を開始するものとすれば、昭和40年度において東海道線の輸送量のうち、旅客約10~19%程度の貨物約4~5%程度の量が鉄道から転換するものと推定した。
(ロ)内航船舶
東海道における内航海運の輸送量は逐年増加しているが、戦時中及び戦後において内航海運から陸運へ貨物が転換されたため、戦前と比較すれば鉄道に対する海運の比率は低下している。しかし内航海運の復興に伴い、すでに海運へ復帰すべき貨物は概ね海運へ移行ずみであって、今後、運賃、諸掛、その他の経済事情に著しい変化がない限り、鉄道から船舶へ転換される貨物の量は考慮を要する程度には至らないものと推定した。
(ハ)航空機
航空機による輸送量は、近年その増加が著しく、将来ともその傾向は続くものと予想されるが、東海道線の輸送量に比して極めて少ないので、今後鉄道から航空機へ転換される量は、質的には若干の影響を予想されるが、絶対量の点ではほとんど考慮を要する程度に至らないものと推定した。
三 輸送の行詰りの推定
東海道線の行詰りの推定は、東海道線の輸送需要から他の交通機関への転換量を差引いた量について、国鉄5ヶ年計画完了時における輸送力をもって検討した。
国鉄5ヶ年計画における東海道線についても増強計画は、京浜、名古屋、阪神地区における線路増強及び停車場改良並びに

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車両増備等であって、長期にわたる輸送需要に対する根本的な対策ではない。
従って、前期東海道線の最小輸送需要から最大の転換量を考慮してもなおかつ、東海道線の輸送力は昭和36・7年頃において、ほぼ全線にわたって輸送の行詰りを来すものと推定した。
なお。推定にあたっては、最多客期における平均乗車効率を100%に緩和するものとし、列車回数については同一線路に種々の列車を運行する現在の方式及び線路の保守等を勘案し、概ね120回を限度としたものである。
四 結論
本調査会は、前記の審議の結果、東海道に新規路線を建設する必要があり、かつ、輸送の行詰りの時期と建設に必要な期間とを考慮するとき、これが着手は喫急の事であると認めた。

第二 新規路線の取るべき形態
一 新規路線の形態
東海道における新規路線は狭軌張付、狭軌別線及び広軌別線の3案について詳細に比較した結果、次の各項に示す理由により、広軌別線とすることが適当である。
輸送力が大であること。
到達時間が極めて早いこと。
所要資金が低廉であること。
高度に対して安全度の点で有利であること。
徹底した近代化が可能であること。
進歩した技術が利用できること。
車両の共通運用ができないことによって起きる欠点は、適当な措置によって或る程度除き得ること。
二 新規路線計画
広軌別線を実施するに当っての計画は、次の各項により措置することが妥当である。ただしこれは、現在知り得るかぎりの諸条件を前提として考えた事項であるから、開業までに更に研究を行い、新たな技術及び方策を導入するよう要望する。

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1 新規路線は広軌(軌間1.435メートル)複線とすること。
ただし、現在線と車両を共通運用することが不可能なためにおきる不便はできるだけ除くこと。
2 始終点は、東京及び大阪とすること。ただし、将来大阪以西及び東京以北へも延伸することがあることを予想して、着手までに充分調査の上、両端駅の位置を決定すること。
3 中間駅については、現在線と新規路線との総合輸送力が最大となり、また現在線との連絡地点については更に慎重に調査研究の上、実施の際に決定すること。
4 東京・大阪間の到達時分は、急行旅客において概ね3時間、貨物において概ね5時間30分を目標とすること。
5 中長距離旅客の現在線との乗換に対しては、座席の確保及び乗換設備、乗換サービスに万全を期すること。
また必要に応じて現在線にも直通列車を運転し、爾後の旅客の流れに即応するよう措置すること。
6 貨物については、ビギーバック及びコンテナー方式を積極的に採用して戸口から戸口への輸送を行い、なるべく大量の輸送を行って、現在線の負担を緩和すること。
7 動力は電気(交流)とすること。
8 線路規格については、始終点等の特別な場合のほか標準半径2.500メートル、最急勾配1000分の10とし、その他は更に調査研究の上、実施の際に決定すること。
9 工期は概ね5ヶ年で完了することを目標とすること。
第三 新規路線の所要資金、工事推進及び運営等
1 新規路線の所要資金は概ね、工事費1,725億円(内車両費100億円)であるが、これに建設期間中の利子(年7分)を合わせると1,948億円を要する。

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二 国内資金調達の可能性
建設所要資金の調達にはあらゆる努力を払う必要があるが、その額は、わが国の経済力で賄い得ないほどのものではない。
三 新規路線建設と国鉄運賃との関係
一時的に大量の資金を投入する結果、国有鉄道は、借入金等の償還に苦しむおそれのある新規路線開業後の数年間は別として、将来収支は充分償い得る。従って新規路線建設のための運賃値上は必要ないし、又行ってはならない。
四 資金調達等の具体策
所要資金の調達、新規路線の建設及び完成後の運営に当っては、本資金の調達が国民経済に対する相当の負担である点に鑑み、本資金の調達、使用及び将来の運営について、資金の最大の効率を挙げるよう最善の措置をとることを要望する。
特に次の各項に留意する要がある。
1 新規路線の資金調達について
(1)資金源としてはまず第一に、国有鉄道がなお一層の企業努力をすること及び工事計画を再検討する等によって、でき得る限り多額の資金をねん出するよう努力すること。
(2)国有鉄道のねん出する資金以外は、政府の財政投融資によらなければばらないが、その方法として
(イ)政府出資
(ロ)預金部等財政資金の融資
等があるが、新規路線開業後の国有鉄道の総合収支バランスの困難を救うため、この際は相当の政府出資を行うとともに、貸付金及び鉄道債については、据置期間及び償還期限を長期のものとすることが望ましい。
なお、政府出資についてはこの分に限り、なるべく早期に一般金利程度の政府納付金(配当金に当る。)をすることも研究する要がある。
(3)外資については、新規路線の建設を促進するためには最も有効な手段であると認められるが、その実現には種々困

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難な問題が予想されるので、更に慎重に研究する要がある。
(4)民間資金による鉄道債の引受については、財政資金による調達資金が不足する場合に限り、これに依存することを可とすると認めた。この場合には、財政資金の投融資条件について更に格段の配慮が望ましい。
2 新規路線の工事推進について
(1)工期の延伸は、資金の効率上不経済となるから、所定の工期が伸びないよう万全の措置をとること。
(2)本工事は、比較的短期間の一時的な大工事であるから、従来の方法によっては建設所要人員を大量に必要とし、将来の運営に大きな負担を及ぼす恐れがあるので、国有鉄道部内の制度、執務方法については努めて斬新は方策をとることは勿論、部外の技術力もできるだけ活用する等の方法によって高能率を発揮させ、建設所要人員を極力少なくするよう努力すること。
3 新規路線の運営について
(1)新規路線は技術的には世界最高の水準を採用し、業務、人事管理、その他の面においても極力合理化を実施して、高能率を発揮するように努力すること。
(2)投資効果の判定に資するため、新規路線の収支を部外に対して明らかにするよう工夫すること。
(3)国有鉄道の部内組織についても、新規路線の収支全体について責任の所在を明らかにするよう工夫すること。
4 新規路線の運賃及び料金について
(1)旅客運賃は、新規路線が現在線と総合一体の施設であることに鑑み、新規路線の各駅相互間のキロ程がこれと対応する現在線のそれに比べて多少の相違があるとしても、現在線の駅相互間における運賃と同額とすること。
(2)急行料金は、新規路線の到達時分が著しく短縮される点に鑑み、ある程度増額することを適当と認めるが、その額は、旅客が現在線から新規路線に転移可能な範囲内にとどめること。

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(3)貨物運賃は、旅客運賃の場合と同様に運賃実額を現在線の運賃と同額にすることは当然であるが、更に新規路線への転移を奨励するため、ピギーバックの料金等を含め戸口から戸口への総合した荷主負担額が、現在線を利用する場合より増加しないよう工夫すること。
以上

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日本国有鉄道幹線調査会の答申要旨
昭和33年7月10日
運輸省

昨年8月30日の閣議決定にもとずき、運輸省に設置された、日本国有鉄道幹線調査会は、「日本国有鉄道の東海道本線及びこれに関連する主要幹線の輸送力増強並びに輸送の近代化に関する事項を調査、審議していたが、去る7月7日その最終答申を行った。要旨は、次のとおりである。
一、東海道本線の輸送需要は、他の交通機関への転換を考慮してもなお昭和36、7年頃において、全線にわたってその輸送力を上廻り行詰りの時期と建設の工期とを考慮するとき、新規路線建設の着手は喫緊の事である。(昨年11月中間答申・閣議報告済)
二、新規路線の形態は、輸送力が大であること。所要資金が低廉であること。高度に対し安全の点の有利であること。徹底した近代化が可能であること等の利点から広軌(1米435)複線とすること。
三、新規路線の工事費は約1,725億円(内車両費100億円)を要す。工期は5ヶ年完了を目標とすること。
四、国有鉄道は、新規路線開業後の数年は別として、将来収支は充分償い得る。従って新規路線建設のための運賃値上げは必要ないと認めた。
以上


(※書き起こしによる誤字があるかもしれません。ご了承ください。)
(参考サイト)『国立公文書館デジタルアーカイブ



【弾丸列車に関する公文書】
東海道新幹線の構想および計画が短期間で決定されたのは、戦前に東京ー下関間弾丸列車計画における検討の蓄積があったからです。それについての公文書もありました。
昭和15年8月7日の「鉄道幹線調査会官制ヲ廃止ス」に関する公文書の一部です。

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昭和15年7月31日
鉄道大臣請議鉄道幹線調査会廃止の件

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東海道本線及山陽本線に於ける国有鉄道の輸送力拡充方策に関する答申
東海道本線及山陽本線の輸送力拡充方策としては東京下関間に線路増設の要あるものと認め其の具体的事項に関し左の如く決議せり
一 増設線路は現在線に並行することを要せざること。
二 増設線路は之を複線とすること。
三 増設線路に於ては長距離高度の列車を集中運転することとし貨物列車運転のため高度運転を阻害せざること。
四 増設線路の軌幅は1435ミリメートルとすること。
五 前二号に関する工事中の過渡的措置に就ては随時具体的の調査研究を要するを以て之を当局の善処に俟つこと。
六 増設線路及建造物の規格は之を鮮満の幹線鉄道と同等若は夫以上のものとすること。

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希望決議
一 増設線路に於ては東京大阪間四時間半東京下関間九時間運転を目標とすること
二 本計画は物資及労務動員計画に重大なる関係ありと思料するを以て此の点に就き充分なる考慮を払い且に之が実現を期すること。
以上

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東海道本線及山陽本線に依る旅客貨物の輸送量は逐年増加し来れる処支那事変勃発以来其の増加の趨勢他の線路に比し顕著なるものあり、現在の施設を以てしては本線路に於ける国有鉄道の輸送力は近く其の限度に達すべきを予想せらるるを以て其の輸送力拡充に関しに之が対策を樹立する為鉄道幹線調査会を設置したるものにして昭和十四年七月二十日同調査会に対して鉄道大臣の発したる詰問第一号「東海道本線及山陽本線に於ける国有鉄道の輸送力拡充方策如何」に関し本会議を開催すること四回、特別委員会は十二回之を招集して慎重審議を重ねたる結果昭和十四年十一月十六日東京下関間に広軌(軌幅一四三五ミリメートル)

s15_5.png
複線の新幹線を増設するの必要ある旨答申ありたり右の故を以て鉄道幹線調査会は其の一存置の必要無きに至りたるを以て之を廃止せんとするものなり


(関連記事)
1. 弾丸列車と新大阪駅2012.06.22
2. 弾丸列車と満鉄あじあ号2012.06.27
3. 新幹線計画と弾丸列車計画の公文書2012.07.01
4. 弾丸列車の新大阪駅と東海道新幹線の新大阪駅2012.07.05
瓦屋根の東淀川駅と中島惣社と崇禅寺2012.07.21


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弾丸列車と満鉄あじあ号

2012年06月27日 01:30

弾丸列車から新幹線へ(2)
弾丸列車と満鉄あじあ号

戦前、東京ー下関間を高速鉄道で結ぶ「弾丸列車計画」という構想がありました。東京ー大阪間を4時間半、東京ー下関間を9時間で運行する長距離高速鉄道は、線路を立体交差にし踏切はなく線路幅も1435ミリメートルの広軌を採用。この計画は昭和15年2月に国会で審議され、昭和15年度から昭和29年度までの15カ年計画で着工されました。将来的には、下関ー釜山間に海底トンネルを通し、朝鮮半島から満州の奉天(瀋陽)をへて北京まで、総延長3692.7キロメートルを3日間で結ぶというものでした。

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日本は日中戦争のさなかで、満州と内地を往来する人員と貨物が飛躍的に増えていました。国内の輸送力は逼迫が目前で、その増強は急務だったと思われます。

『弾丸列車』より
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東京ー大阪間を4時間半で結ぶという事は、最高速度を150キロにする必要がありました。新型車両は蒸気機関車と電気機関車の両方が検討されており、この図面はその中の代表的なもので、蒸気機関車のHD53と電気機関車のHEH50。HEH50は最高時速210キロの世界最高を狙っていたようです。

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しかし、当時の日本は発電所や送電施設などの基礎整備が行き届いておらず、軍からも変電所が爆撃されたら動かなくなると猛反対を受け、蒸気機関車で最高速度150キロを目指す事になったようです。

新型車両の開発にあたって参考にしたのが南満州鉄道(以下「満鉄」という)の特急「あじあ」号。当時、最高速度130キロを記録していました。


「あじあ」号とは

『満鉄「あじあ」へ、仮想超特急の旅路・昭和十年の鉄道旅行』より
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満州国が誕生したのは昭和7年。同国の鉄道経営は満鉄に委託され、日本の鉄道省から約4000名がその運営にあたりました。

『満鉄「あじあ」へ、仮想超特急の旅路・昭和十年の鉄道旅行』より
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その中で当時の技術の粋を集めて昭和9年11月に誕生したのがパシナ型機関車・特急「あじあ」号です。最初は大連ー新京間を、その後ハルビンまで延長して運行していました。

『満鉄「あじあ号」とハルピンの思い出』より
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列車の編成は機関車の他に、手荷物郵便車、3等客車2両、食堂車、2等車、最後尾の展望1等車を連結していました。

『満鉄「あじあ号」とハルピンの思い出』より
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展望1等車の外観は曲線が美しくエレガント。最後尾のマークは亜細亜の亜を図案化しているのだとか。

『満鉄特急あじあ号』より
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展望室の内部もなんとも豪華。

『満鉄特急あじあ号』より
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こちらは食堂車。落ち着いたインテリア。

『満鉄「あじあ号」とハルピンの思い出』より
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食事は和洋定食と一品料理で、奥の厨房で調理されていたそうです。ウエイトレスは金髪のロシアの若い女性だったとか。

『満鉄「あじあ」へ、仮想超特急の旅路・昭和十年の鉄道旅行』より
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当時の世界の列車のスピードはというと、

【アメリカ】
20th century limited(蒸気機関車)が 87.21km/h
broadway limited(蒸気機関車)が 82.36km/h
union pacific(ディーゼル・エレクトリック)が 144km/h
【ドイツ】
fliegender hamburger(ディーゼル・エレクトリック)が 124.7km/h
【日本】
つばめ(蒸気機関車)が 66.8km/h
【満州】
あじあ(蒸気機関車)
大連ー新京間8時間半の場合 82.5km/h
大連ー新京間8時間の場合 87.72km/h
大連ー新京間7時間の場合 100.25km/h

「あじあ」号が世界のトップクラスでありながら、更に大連ー新京間を8時間から7時間に短縮する計画を持っていたそうです。

『弾丸列車』より
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この車両は迫力がある。カスタマイズしているのだろうか。

『満鉄特急あじあ号』より
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これはパシナ型機関車の設計図。動輪直径が2000ミリメートルとかなり大きい。特急「つばめ」の動輪の直径は1750ミリメートル、それでもかなり大型のものだったようです。

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弾丸列車は、動輪直径を2300ミリメートルに、回転数も毎分約400回転(パシナは320回転)まで上げることで時速150キロを狙うことになります。
動輪の数もパシナ型機関車の6枚に対して弾丸列車は8枚、重心位置が高くなる分、全体の車高が高くならないようにパシナ型機関車と同じ高さにしています。車幅もほぼ同じ。

これらが弾丸列車の概略です。
弾丸列車計画はその後、太平洋戦争の激化で中止せざるを得なくなりますが、昭和17年に着工された新丹那トンネル、東山トンネル、日本坂トンネルのうち、東山、日本坂は完成。工事途中だった新丹那トンネルはその後、改修完成されて東海道新幹線に、日本坂トンネルも東海道新幹線に利用されています。用地買収もこの時代かなり強引に行われたようで、東海道新幹線のルートはほぼこの弾丸列車計画のルートが使われています。

で、
弾丸列車の車両は結局作られていないので設計図を元に色を付けてみました。

dangan_308.jpg
動輪が4つ並んでかなり長い車体です。
新幹線と同じ白とブルーにしてみました。

dangan_311.jpg
それだけではもの足りず、「あじあ」号の車体を利用してフォトショップで「弾丸列車」を作ってみました。なかなかの迫力。車高、車幅はほぼ同じですが全長がなかり長いです。

正面図がないのであくまでもイメージです。
細かい細部も私の想像なのでご了承ください… ^ ^;

dangan_310.jpg
色も付けてみました。
なかなかカッコいい。
これが煙をはいて走っているところを見てみたい…


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弾丸列車と新大阪駅

2012年06月22日 07:45

弾丸列車から新幹線へ(1)
弾丸列車計画と新大阪駅

昭和31年発行の東淀川区史にとても興味深いことが書かれています。
戦前に計画・着工されていた東京・下関間を高速列車で結ぶ「広軌新幹線」、通称「弾丸列車」のことです。

dangan_002.png

弾丸鉄道について

戦時中鉄道省において弾丸鉄道の計画があり、この実現をみていたら確かに本区の様相も一変していたことと思われる。いまこの計画のあらましを述べると昭和十三年鉄道省企画委員会において、輸送力の拡充ならびに内地・大陸間の交通幹線として、東京・下関間に「広軌新幹線」の敷設が具体化し、昭和十五年の第七十五議会で工費約五億六千万円、十五年度以降十五ヵ年計画として可決された。

本計画による大阪附近の状況を示すと、まず現京都駅より東海道線に沿って南下、大山崎附近より東海道線と淀川の間を淀川沿いに南西進、三島郡鳥飼村を経て当区井高野町に入り、江口町より大道町に至り西転、上新庄・國次町を経て現東淀川駅北側に新大阪駅を設置、さらに三國町・十八條町を横断豊中市庄内町を西へ抜け塚口町の南方を経て六甲山をトンネルで抜け、神戸市の西北平野方面に新神戸駅を設置以下西へ下関に至ることとなっていた。

これによって東京・大阪間の所要時間は四時間三十分、東京・下関間は九時間となる予定であった。しかし戦争の激化に伴い折角の計画も実現を見ぬまま今日に至っているが、最近また本計画が再検討されつつある。
(東淀川区史より)


いかがでしょう。なかなか面白いでしょ。
「最近また本計画が再検討されつつある。」というのは東海道新幹線のことです。
この文章の中で私が特に気になったのは新大阪駅の場所。
東淀川駅の北側ってどのあたりなんでしょう?

で、いろいろ調べていて
偶然見つけてしまいました!

dangan_003.png
国立公文書館の「大阪都市計画街路中追加変更ノ件」という書類の中の1ページ。昭和18年のものです。

dangan_004.png
都市計画図の中に新幹線鉄道と計画道路が書き足されている。
中心の四角い部分は新大阪駅前広場、右側の菱形に塗られた部分は新幹線貨物駅と思われます。

dangan_005.png
凡例です。原本はカラーなのでしょう。

dangan_006.png
新大阪駅前広場の下に東淀川駅が確認できます。
新幹線鉄道の左側にあるバツ印は、その下に記されていた大道庄内線の廃止を意味しています。

dangan_007.jpg
現在の地図に落とし込むとこの辺りでしょうか。

dangan_chizu.jpg
昭和14年の地図に落とし込んでみました。
周辺に住宅地がまだ少なかった事がわかる。

dangan_009.jpg
さらに、昭和17年の地図にも落とし込んでみました。
戦時中だからでしょうか、宮原操車場が記されていません。

dangan_008.jpg
計画路線の下にはまっすぐな道路が記されていました。
ただ、この道路は当時できていないはずの大道庄内線のようです。
その他にも実際にはできていない計画中の道路がいくつも確認できる。
ちょっと不思議な地図です。

DSC04937.jpg
東淀川駅のホームから北側を見てみました。

DSC04939.jpg
信号の奥が新大阪駅の計画地の辺りでしょうか。

DSC04867.jpg
その下には大きな道路ができています。

DSC04859.jpg
庄内新庄線です。この先は地下鉄東三国駅。

DSC04818.jpg
地下鉄東三国駅の西の先で行き止まりになっている道路です。
これが旧大道庄内線なのではと思ったのですが、どうも違うみたい。
大道庄内線は蒲田神社の北側を走るのですが、この道路は南側。
この道路が弾丸列車の計画予定地だと思ったのですが違うようです。

dangan1948.jpg
最後に、国土地理院の昭和23年(1948)の空中写真に落とし込んでみました。
これが一番リアリティがある。

(追記)
現新大阪の東側のルートは水路(中嶋大水道)に沿ったルートになりましたが、この空撮をみて思ったのですが、新大阪駅の東側は空襲の被害が大きかった地域でもあります。この写真にもその傷跡が残っている。その中に新幹線の線路が敷かれています。そのこともこのルートに決まった理由のひとつかもしれない。


より大きな地図で 弾丸列車計画の新大阪駅 を表示


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