2008年10月10日 08:30
結構おもろい伝法 後篇
明治18年測量の地図と淀川改良工事後の地図を見比べると、面白いことがわかります。下の明治18年測量地図の伝法地域の川を見てください。

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昭和16年の地図。
わかりましたか?そう、伝法川と正蓮寺川、六軒家川は中津川の名残なのです。淀川が開削されて淀川北岸の中津川跡はすぐに埋め立てられましたが、伝法地域は昔の流れをそのまま残していました。

しかし、昭和30年の地図を見ると伝法川が埋め立てられています。その後、下鳥島(鼠島)より上流部も埋め立てられました。

西念寺です。大化元年(645)法道仙人が建立し、大同元年(806)空海上人が中興され、延喜元年(901)に菅原道真公も参詣、滞留されたといわれています。摂・河・泉・三国の四大本山の一つとして栄えていたとか。

前の道は大坂道で正面には備前橋という大阪の文化歴史上重要な橋がありました。

これが大坂道。まっすぐ行くと海老江です。

伝法小学校の開校の地でもあります。開校は明治6年です。すげーっ

境内に入ってまず気になったのが右の建物。

中に入ると、なにやら古そうな石像が…。

その横に祠が、

2つありました。その横と後ろにも石像がたくさんあります。歴史を感じます。この地域に昔からあったものが何らかの事情で集まって来ているのでしょうか。

とげぬき地蔵さんもやさしく微笑んでいます。

西念寺の近くに庚申堂(こうしんどう)があります。1658年建立された愛宕神社の中にあったのだそうです。愛宕神社が澪標(みおつくし)住吉神社に合祀された時に住民たちの希望で残されました。

申(さる)を施した彫刻の飾りがあることから申(さる)神社とも呼ばれていました。そういえばこの地域は申村でしたね。
前回の記事を参照ください。
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-169.html

さるの彫刻、わかりますか。

で、ここが川の名前にもなっている正蓮寺です。

正面には手入れが行き届いたキンモクセイの木がありました。

手水舎(てみずや)もエエ感じ。右は井戸ですね。

境内は本当に手が行き届いています。

床はピカピカでした。鏡みたい。

鴻池家の立派なお墓がありました。

伝法川は埋め立てられましたが、最下流部は港として利用されています。

これは伝法水門。昭和38年に設置されました。最初の伝法川第一閘門は明治36年に完成しています。

緑があってちょっとエエ感じ。ここも中津川だったんですよね。

こちらは六軒家水門。正蓮寺川の先っちょです。この水門は昭和30年に設置されたものです。現在は川幅の3分の2が埋め立てられていました。

少し上流ではこんな感じです。この下を高速道路は通るんですね。
(おまけ)

うろうろしてるとエエ感じの民家が残っています。ここは廣申堂の近くです。

こんな畳屋さんもありました。なんかエエでしょ。
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昭和16年の地図。
わかりましたか?そう、伝法川と正蓮寺川、六軒家川は中津川の名残なのです。淀川が開削されて淀川北岸の中津川跡はすぐに埋め立てられましたが、伝法地域は昔の流れをそのまま残していました。

しかし、昭和30年の地図を見ると伝法川が埋め立てられています。その後、下鳥島(鼠島)より上流部も埋め立てられました。

西念寺です。大化元年(645)法道仙人が建立し、大同元年(806)空海上人が中興され、延喜元年(901)に菅原道真公も参詣、滞留されたといわれています。摂・河・泉・三国の四大本山の一つとして栄えていたとか。

前の道は大坂道で正面には備前橋という大阪の文化歴史上重要な橋がありました。

これが大坂道。まっすぐ行くと海老江です。

伝法小学校の開校の地でもあります。開校は明治6年です。すげーっ

境内に入ってまず気になったのが右の建物。

中に入ると、なにやら古そうな石像が…。

その横に祠が、

2つありました。その横と後ろにも石像がたくさんあります。歴史を感じます。この地域に昔からあったものが何らかの事情で集まって来ているのでしょうか。

とげぬき地蔵さんもやさしく微笑んでいます。

西念寺の近くに庚申堂(こうしんどう)があります。1658年建立された愛宕神社の中にあったのだそうです。愛宕神社が澪標(みおつくし)住吉神社に合祀された時に住民たちの希望で残されました。

申(さる)を施した彫刻の飾りがあることから申(さる)神社とも呼ばれていました。そういえばこの地域は申村でしたね。
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さるの彫刻、わかりますか。

で、ここが川の名前にもなっている正蓮寺です。

正面には手入れが行き届いたキンモクセイの木がありました。

手水舎(てみずや)もエエ感じ。右は井戸ですね。

境内は本当に手が行き届いています。

床はピカピカでした。鏡みたい。

鴻池家の立派なお墓がありました。

伝法川は埋め立てられましたが、最下流部は港として利用されています。

これは伝法水門。昭和38年に設置されました。最初の伝法川第一閘門は明治36年に完成しています。

緑があってちょっとエエ感じ。ここも中津川だったんですよね。

こちらは六軒家水門。正蓮寺川の先っちょです。この水門は昭和30年に設置されたものです。現在は川幅の3分の2が埋め立てられていました。

少し上流ではこんな感じです。この下を高速道路は通るんですね。
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