2007年10月02日 23:12
十三に大阪唯一の窯あり。
十三軒吉向松月(じゅうそうけんきっこうしょうげつ)
今から約200年前、吉向窯(きっこうがま)という窯がありました。それは、当時大阪で唯一の窯でした。戸田治兵衛は京都の窯元で修行をした後、十三に廃寺を見つけ摂津国西成郡中津川村古堤大字小島新田に窯を築きました。庭の老松と生駒山に出る月を愛でて松月、「十三軒松月」と号しました。時の将軍徳川家斉に、鶴と亀の食籠(じきろう)を献上したところ将軍は亀の食籠が事のほか気に入り、亀甲、すなわち吉に向かうに因んで「吉向」の窯号を賜り、以来「吉向」姓を名乗るようになったそうです。
その窯のあった場所は、淀川に沈んでしまいました。ちょうど阪急の鉄橋の下辺りです。焼物は非常に色がきれいで美しいです。一度検索して見てください。

小島新田に明治18年頃まで吉向窯がありました

神津神社の境内に復元された窯があります
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十三軒吉向松月(じゅうそうけんきっこうしょうげつ)
今から約200年前、吉向窯(きっこうがま)という窯がありました。それは、当時大阪で唯一の窯でした。戸田治兵衛は京都の窯元で修行をした後、十三に廃寺を見つけ摂津国西成郡中津川村古堤大字小島新田に窯を築きました。庭の老松と生駒山に出る月を愛でて松月、「十三軒松月」と号しました。時の将軍徳川家斉に、鶴と亀の食籠(じきろう)を献上したところ将軍は亀の食籠が事のほか気に入り、亀甲、すなわち吉に向かうに因んで「吉向」の窯号を賜り、以来「吉向」姓を名乗るようになったそうです。
その窯のあった場所は、淀川に沈んでしまいました。ちょうど阪急の鉄橋の下辺りです。焼物は非常に色がきれいで美しいです。一度検索して見てください。

小島新田に明治18年頃まで吉向窯がありました

神津神社の境内に復元された窯があります

