このエントリーをはてなブックマークに追加

京街道を歩く・矢取地蔵尊・東寺

2012年02月24日 08:00

京街道を歩く(37)
京都・矢取地蔵尊と東寺

IMG_4672_5.jpg
鳥羽街道のドン突き。

IMG_4678_5.jpg
その場所にあるのがこの建物。

IMG_4680_5.jpg
ひときわ目立つ道標。
右 やなぎ谷観世音菩薩

IMG_4683_5.jpg
左 やわた八幡宮 往来安全

IMG_4700_5.jpg
石仏がたくさん集められています。
昭和初期、前を走る九条通の拡張工事の時に地中から出てきたものだとか。

IMG_4681_5.jpg
こちらは矢取地蔵尊。

IMG_4685_5.jpg
1200年近い歴史がある地蔵堂です。

IMG_4687.jpg
東寺の弘法大師空海と、西寺の守敏(しゅびん)大師との雨乞い合戦の伝説が残る地蔵尊です。

IMG_4688_6.jpg
空海の身代わりになったお地蔵さんだとか。

矢取地蔵(ふるさと昔語り)京都新聞

IMG_4710_5.jpg
この道標に空いた穴、昔は常夜灯だったのでしょう。

IMG_4714_5.jpg
京街道を歩いてきた旅人は遠くからでもここに灯された明かりが見えたのでしょうね。

IMG_4699.jpg
この地蔵堂に飾られていた羅生門跡の説明板の写真。

IMG_4703_5.jpg
この地蔵堂の裏にはあの羅生門遺跡の碑がある。

IMG_4705.jpg
ここは羅生門があった場所なんですね。

IMG_4706.jpg
この北側には朱雀大路があったのか。
なんかピンとこないな…

IMG_4707_5.jpg
いまは普通の公園でその面影はまったくありません。

IMG_4716_5.jpg
さて、東寺の方へ歩いて行きましょう。

IMG_4720_5.jpg
五重塔が見えてきました。

IMG_4724_5.jpg
いい感じのお米屋さん。

IMG_4725_5.jpg
日常品のお店。

IMG_4726_5.jpg
府立鳥羽高等学校。かなりいい感じの校舎ですね。京都府立第二中学校として昭和6年に建てられた近代建築です。

IMG_4735_5.jpg
唯一残る平安京の遺構。

IMG_4739_5.jpg
世界遺産の東寺です。
街の真ん中に世界遺産があるってかなり凄いですよね。

IMG_4759_5.jpg
南大門をくぐります。

IMG_4760.jpg
東寺(教王護国寺)は真言宗の総本山、平安遷都とともに延暦15年(796)、羅城門の東に東国の鎮護のために建てられたのが起こりだとか。

IMG_4761_5.jpg
南大門をくぐり正面に見えるのが国宝の金堂。

IMG_4769_5.jpg
慶長11年(1606)に豊臣秀頼の寄進で再建されています。

IMG_4775_5.jpg
そして国宝の五重塔。

IMG_4803_5.jpg
新幹線からもよく見える塔ですね。
現在の五重塔は寛永21年(1644)、徳川家光の寄進により再建されたものです。

IMG_4796_5.jpg
昨年の9月から始めた京街道を歩くシリーズ。
5ヶ月かけてやっと京都にたどり着きました。
長かった ^^;

まだ守口~京橋~高麗橋の区間が残っています。
ということで、このシリーズはまだ続くのです。

ではまた次回に ^^


より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
スポンサーサイト



このエントリーをはてなブックマークに追加

京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽

2012年02月16日 08:00

京街道を歩く(35)
鳥羽伏見の戦いと下鳥羽

1年半に渡って繰り広げられた史上最大の内戦、戊辰(ぼしん)戦争は鳥羽伏見の戦いから始まりました。幕末にこの地で何が起こったのか、簡単にまとめてみます。

【背景】「大政奉還」「王政復古の大号令」の後、薩摩藩が加わる新政府は徳川慶喜(よしのぶ)に旧幕府領の明け渡し等を求める「辞官納地」を要求。これに応じるわけにはいかない慶喜は、二条城から大坂城に入城し引きこもってしまいます。そこで、薩摩藩の西郷隆盛は江戸で破壊工作を行わせ徳川家を刺激する陽動作戦を決行。結果、我慢しきれなくなった旧幕府方は薩摩藩邸を焼き討ちにします。大坂にもその情報が入り、城内は一気に沸き返り、慶喜も京都を牛耳る薩摩を討伐する決意を固め、数千の軍を京都へ出兵さすことになるのです。

「図解幕末戊辰西南戦争」より
tobatatakai_01.jpg
【慶應4年(1867)1月3日】淀で宿営した旧幕軍は淀小橋を渡り鳥羽街道を北上する隊と伏見へ向かう隊のふた手に分かれます。鳥羽街道を北上した隊は小枝橋の南、赤池付近で薩摩兵と遭遇。押し問答の末、薩摩兵の大砲が火を噴く。これが戊辰戦争の始まりです。その砲弾は旧幕軍の大砲に命中、その爆発で旧幕軍は大混乱に陥ります。
伏見でもその砲声を合図に戦端が開かれます。この時、旧幕軍と合流した新撰組も加わっており、指揮は土方歳三がとっていました。死闘の結果、旧幕軍が拠点にしていた奉行所が焼かれ、大半が淀まで退くことになります。余談ですが坂本龍馬はこの1ヶ月半前の慶應3年11月15日に暗殺されています。

「図解幕末戊辰西南戦争」より
tobatatakai_02.jpg
【1月4日】下鳥羽で旧幕軍は酒樽を積み上げ陣地を作り薩長軍に抵抗していましたが、伏見からの薩摩兵に側面を突かれ南へ撤退。伏見でも睨み合いが続いていましたが、旧幕軍の部隊間での連絡ミスが作戦ミスを招き旧幕軍は敗走することになります。

「図解幕末戊辰西南戦争」より
tobatatakai_03.jpg
【1月5日】富森まで下がった旧幕軍は、狭い地形に構築した陣地を有効に使い、薩長軍を食い止めます。しかし小銃突撃に突破され淀城に入って体勢を整えようとしますが、淀藩から拒絶され八幡へ撤退。同じ頃、伏見方面でも千両松で激戦がありましたが薩長軍が制し淀を占領しました。

「図解幕末戊辰西南戦争」より
tobatatakai_04.jpg
【1月6日】旧幕軍は男山の麓に陣地を設けます。しかし、前日までに仁和寺宮嘉彰(にんなじのみやよしあき)親王の征討(せいとう)総督就任と錦旗(きんき)出現があり、薩長軍は「官軍」となり、旧幕軍は「朝敵」とされました。これにより、山崎を守護する津藩藤堂家が寝返り、対岸の旧幕軍に砲弾を撃ち込みます。旧幕軍は混乱し、八幡から橋本へ落ち、さらに守口を経て大坂まで逃げ帰ったのです。

「歴史人・幕末維新の真実」より
tobatatakai_05.jpg
これは1月5日、千両松での激戦の絵です。手前左に旧幕軍、右は長州軍。上部には淀城と淀小橋が描かれている。


さて、
shimotoba_001.jpg
明治22年測量の地図。

shimotoba_002.jpg
現在の地図と重ねると

shimotoba_003.jpg
このようになる。

IMG_4297_4.jpg
「月の桂」の続きです。

IMG_4315_5.jpg
すぐに寺がありました。

IMG_4322_5.jpg
常高寺。

IMG_4316_5.jpg
今出川菊亭右大臣鳥羽殿跡の碑。

IMG_4319_5.jpg
浅井長政の菩提寺だそうです。

IMG_4321_5.jpg
本殿は外から見えなかった。

IMG_4324_5.jpg
街道はゆるくカーブ。

IMG_4328_5.jpg
なにやら茅葺きの山門が見えてきた。

IMG_4337_5.jpg
戀塚寺(恋塚寺)。境内には恋塚と呼ばれる袈裟御前の墓と伝えられる石塔があるようです。

IMG_4342_5.jpg
今回は中に入らず先を急ぎます。

IMG_4344_5.jpg
街道から少し下がった所に地蔵尊が祀られている。

IMG_4347_5.jpg
こちらではたくさんのお地蔵さんがお化粧をしてもらっていますね。

IMG_4350_5.jpg
ここにも愛宕灯籠がありました。

IMG_4346_5.jpg
先で街道がカーブしている。

IMG_4354_5.jpg
このあたり、

IMG_4357_5.jpg
古そうな家が

IMG_4361_5.jpg
ぽつぽつ

IMG_4372_5.jpg
残っています。

IMG_4363_5.jpg
いい感じだ。

IMG_4379_5.jpg
さて、ここは千本通赤池交差点。
鳥羽伏見の戦いで最初に火ぶたが切られた辺りです。

IMG_4384_5.jpg
ここにも愛宕灯籠がありました。

IMG_4385_5.jpg
まっすぐ進みます。

IMG_4392_5.jpg
地蔵尊の横を通り、

IMG_4394_5.jpg
広いグラウンドが現れた。

IMG_4397_5.jpg
史跡鳥羽殿跡の石碑と解説版が。

IMG_4402.jpg
鳥羽離宮南殿があった場所のようですね。
現在は鳥羽離宮跡公園になっています。

IMG_4408_5.jpg
また何かありましたよ。

IMG_4412.jpg
鳥羽・伏見方面戦闘図。
これを見ると下鳥羽、富森、納所、淀などかなりの広範囲で家々が消失したことがわかります。どうりで古い建物があまり残っていない訳です。

IMG_4417_5.jpg
公園内にある鳥羽伏見戦跡碑。

IMG_4424_5.jpg
さて、街道の突き当たりです。
ここに道標がある。「左り京」

IMG_4436_5.jpg
なんかいっぱいあるな。

IMG_4428_4.jpg
鳥羽伏見の戦い 勃発の地。

IMG_4437_5.jpg
鳥羽伏見戦跡の碑。

IMG_4423_5.jpg
近くにまたまた愛宕灯籠がありました。

IMG_4440_5.jpg
鳥羽街道(京街道)はここを西へ曲がる。

IMG_4446_5.jpg
昔はすぐに小枝橋があったのですが、現代の小枝橋は少し位置が変わっています。

IMG_4450_5.jpg
この橋を渡り上鳥羽へ向かいます。



より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
このエントリーをはてなブックマークに追加

京街道を歩く・橋本~御幸橋

2012年01月18日 08:00

京街道を歩く(29)
橋本~御幸橋

橋本から御幸橋まで歩いていきます。

hachi_001.jpg
明治22・23年測量の地図です。

hachi_002.jpg
現在の地図と重ねると

hachi_003.jpg
このようになる。

IMG_1631_4.jpg
橋本の京街道沿いにある道標。
左り 八まん宮 いせ京伏見 道

IMG_1632_4.jpg
こちら側は傷みが激しく解読不能。
裏面には明和四年亥二月と刻まれていました。

IMG_1636_4.jpg
家と家に挟まれるようにある鳥居。

IMG_1640_4.jpg
こちらには金毘羅大権現が祀られていた。

IMG_1652_4.jpg
街道筋らしい家並みが続いている。

IMG_1655_4.jpg
こちらもいい門構え。

IMG_1658_4.jpg
見上げると何やら気になる建物が。
京阪電気鉄道の橋本変電所です。これも近代鉄道遺産っぽい。

IMG_1659_4.jpg
その橋本変電所の下に鳥居があった。
豊影稲荷大明神が祀られている。

IMG_1663_4.jpg
再び道標があった。
左 津の国そうじ寺
  大坂下り船乗場 道

IMG_1666_4.jpg
右八まん宮山へ これより十六丁

IMG_1667_4.jpg
文政二己卯年二月吉日
この道標、どうも向きがおかしいな…

IMG_1668_4.jpg
川に架かる橋を渡ります。
京街道は淀川の堤防沿いに続くのですが、堤防の下に旧道があるのでその道を行きます。

IMG_1669_4.jpg
この川は大谷川。

IMG_1675_4.jpg
旧道に入ってすぐに八幡宮の常夜灯があった。

IMG_1677_4.jpg
この道を歩いていきます。

IMG_1678_4.jpg
いい感じの蔵が残っています。

IMG_1682_4.jpg
この辺りは橋本奥ノ町。

IMG_1685_4.jpg
旧地図を見ると昔の道はここまでだったようです。

IMG_1688_4.jpg
現在は堤防沿いに細い道が続いています。
ここに大きな楠があった。

IMG_1689_4.jpg
なかなか立派な楠だ。

IMG_1693_4.jpg
少し歩くと地蔵尊があった。

IMG_1694_4.jpg
白くお化粧されたあとが残ってる。

IMG_1698_4.jpg
しばらく歩くと山の方へ向う道が現れる。
京阪の線路も見えたのでそちらへ歩いてみましょう。

IMG_1711_4.jpg
途中に立派な祠があった。子守地蔵尊。
前にある鉄棒がとてもいい感じです。

IMG_1720_4.jpg
小さな踏切があります。

IMG_1722_4.jpg
常昌院踏切。

IMG_1723_4.jpg
向こうに京阪八幡市駅がある。
ちなみに「はちまんし」ではなく「やわたし」です。

IMG_1724_4.jpg
曹洞宗 常昌院。山門の奥にちらっと見えるのが本殿。

IMG_1699_4.jpg
再び街道沿いの道へ。
堤防の上から見たところですが、下に旧道が続いています。

IMG_1707_4.jpg
この建物の石積みは立派だ。水害対策でしょうね。

IMG_1733_4.jpg
この道をまっすぐ行くと八幡市駅方面へ。

IMG_1764_4.jpg
堤防沿いの京街道を歩くと御幸橋の立派な親柱が現れます。

IMG_1740_4.jpg
現在の御幸橋は昨年(平成22年)6月に開通しました。
この親柱は旧御幸橋の物を再利用しています。

IMG_1756_4.jpg
昭和5年に架橋された旧御幸橋は現在解体中。
橋脚のみが残っています。

IMG_1760_4.jpg
これも時代の流れですね。

(関連記事)
さよなら木津川御幸橋2009.10.07



より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
このエントリーをはてなブックマークに追加

京街道を歩く・八幡市橋本の歴史

2012年01月07日 08:00

京街道を歩く(28)
八幡市橋本の歴史

hashi_001.jpg
明治22・23年測量の地図です。

hashi_002.jpg
現在の地図と重ねると

hashi_003.jpg
このようになる。

kawachi_201.gif
河内名所図会の藤阪王仁墳・洞ヶ峠の中に昔の橋本と京街道が描かれている。
とても興味深いです。

IMG_1349_4.jpg
橋本に入っていきます。

IMG_1356_4.jpg
すぐに橋本湯があります。

IMG_1358_4.jpg
雰囲気のある銭湯ですね。

IMG_1363_4.jpg
橋本の名称は、神亀2年(725)に行基が架橋した山崎橋から名付けられたといわれています。

IMG_1370_4.jpg
橋本というと元遊郭があった地域というイメージがありますが、歴史を調べてみると、幕末の激動の時代と深く関係している地域のようです。

【橋本陣屋について】
幕末期、倒幕運動が盛んになっていた安政5年(1858)、幕府は京坂間の警備を強化するため、橋本に陣屋の設置を決めます。突然の幕府の決定に、百姓、町人の地主は戸惑いながらも約5000坪の土地を幕府に召し上げることになり、2年後の万延元年(1860)にはほぼ完成していたようです。

「八幡市誌」より
hashimoto_jinya.gif
橋本陣屋復元図です。

hashimoto_jinya.jpg
橋本陣屋復元図を元に西遊寺と旧道をトレースするとおぼろげに場所が想定できます。ただし、区画が当時とかなり変わっているのであくまでもイメージです。

IMG_1563_4.jpg
ちなみに常徳寺は現在存在していませんが、西遊寺の北側にある感應寺の前に常徳寺の石碑がある。

IMG_1572_4.jpg
小さいほうの石碑です。
妙見宮 常徳寺。

IMG_1390_4.jpg
橋本は幕末の鳥羽伏見の戦いによる被害が大きかった地域でもあります。

【鳥羽伏見の戦いでの橋本】
慶応4年(1868)1月3日に勃発した鳥羽伏見の戦いで、大坂城で指揮していた徳川慶喜が6日早朝に海路江戸への退去を決定、警備の会津藩を残し中心勢力は大坂へ退去しはじめました。一方、激しくなる新政府方の攻撃に橋本の前線で防戦する幕府方会津軍は苦戦。加えて、淀川対岸の山崎陣屋地にあった津藩が新政府側に寝返り高浜砲台から会津勢に向けて火砲を打ち込みます。約4時間の撃ち合いののち幕府側は総崩れとなりました。この戦いにより橋本では約80数軒が焼失、陣屋も長州勢によって焼き払われたようです。

明治維新の橋本はまさにゼロからのスタートだったのかもしれません。

IMG_1616_4.jpg
そして、遊郭について…

【地域復興のために選択した遊郭復活】
宿場町であり石清水八幡宮参拝者など旅客相手の商業で賑わっていた橋本でしたが、明治5年の芸娼妓解放令(げいしょうぎかいほうれい)と明治10年に淀川対岸に大阪京都間の鉄道が開通したことにより、旅客が激減します。遊郭復活は、住民生活に悪影響を及ぼすので地域にとってよいことではないのですが、急激な衰微に対して必要悪と考えられたようです。

IMG_1393_4.jpg
明治20年に京都府の認可を受け遊郭区域が設定されています。

IMG_1627_4.jpg
明治30年には貸座敷7軒、芸妓9名、娼妓9名であったものが、昭和12年の全盛期には貸座敷業者81名、軒数66、芸妓3名、娼妓675名となっています。

IMG_1371_4.jpg
しかし、昭和33年4月1日の売春防止法の施行により事実上廃業に追いやられました。

IMG_1623_4.jpg
現在の橋本は空き地がかなり増えました。

IMG_1395_4.jpg
中心部には大きな空間がぽっかり空いている。

IMG_1605_4.jpg
ここ数年で多くの建物が取り壊されたようです。

IMG_1463_4.jpg
昔の建物は繋がっていることが多いので

IMG_1462_4.jpg
一方を取り壊すとこんな感じになってしまう。

IMG_1407_4.jpg
こちらには売土地の看板が…

IMG_1449_4.jpg
この道は渡し場へ向かう道。

IMG_1443_4.jpg
橋の袂に道標があります。
「柳谷わたし場」

IMG_1442_4.jpg
「山ざき あたご わたし場」
「大坂下り舟の里場 津の国そうじ寺 わたし場」
明治2年建立のようです。

IMG_1428_4.jpg
淀川の堤防からの眺めです。

IMG_1427_4.jpg
空き地が目立ちます。

IMG_1607_4.jpg
さて、京阪電車の東側に行ってみましょう。

IMG_1484_4.jpg
踏切の向こうに古いアパートがある。かなり立派な建物だ。

IMG_1496_4.jpg
天寿荘。今は無人っぽい。

IMG_1493_4.jpg
庭に養神という石碑がありました。

IMG_1530_4.jpg
こちらは浄土宗 西遊寺。

IMG_1559_4.jpg
行基ゆかりの橋本寺を起源とする由緒ある寺です。

IMG_1549.jpg
詳しくはこちらを。

IMG_1546.jpg
山門横に石碑があるのですが、淀川対岸の山崎周辺の名勝地が刻まれている。

IMG_1551_4.jpg
石段を上がったところに本堂がある。

IMG_1553_4.jpg
境内からは対岸の天王山がよく見えます。

IMG_1562_4.jpg
西遊寺保育園の敷地内にある石碑。
舊(旧)橋本寺西遊寺 右 塩竈三丁 左 八幡常昌院八丁

IMG_1517_4.jpg
四区公会堂の脇にも何やら石碑がありました。

IMG_1519_4.jpg
橋本記念碑と刻まれている。
裏に文字が刻まれているのですが解読不能でした。ところが八幡市誌にこの石碑の写真が載っていたのです。

【橋本記念碑について】
橋本は江戸時代以来、200戸を数える集落でしたが、鳥羽伏見の戦いでその大半が焼失しました。そんな中、明治初年の行政区画整備に際し、京都府は橋本の集落名を脱落させ橋本町の名がなくなってしまいます。以降、たびたび地元から大字として認めてくれるよう申請が出されたが認められなかったようです。それが実現したのは昭和2年、八幡町議会で橋本を大字とすることが決議されました。昭和3年に京都知事の認可がおり、9月1日より「大字橋本」となり、地域住民の長年の念願が達成されたということです。この石碑はそれを記念して建てられたものだと思われます。

IMG_1591_4.jpg
この石碑は京阪橋本駅の駅前にある道標です。

IMG_1532_4.jpg
橋本渡舟場三丁
山崎停車所十丁
柳谷観音一里廿丁
長岡一里 粟生一里半 善峯二里

IMG_1533_4.jpg
昭和2年に建てられたもののようです。

IMG_1535_4.jpg
京大坂街道 
右 八幡御幸橋八丁 
左 樟葉八丁 
南 志水近道廿丁

IMG_1544_4.jpg
その横には火の見櫓がある。

IMG_1596_4.jpg
再び踏切を渡ります。

IMG_1480_4.jpg
駅前の八百屋さん。

IMG_1483_4.jpg
ちょっと複雑な道になっていますが、

IMG_1601_4.jpg
角をクネッとまがり、

IMG_1604_4.jpg
散髪屋さんを横に見ながら歩く。

IMG_1611_4.jpg
すると正面に

IMG_1380_4.jpg
地蔵尊が現れる。小金川地蔵尊。

IMG_1381.jpg
井戸の底から出てきた地蔵尊で、お祀りして以来水害がなくなり「水嫌地蔵」として信仰されています。

IMG_1384_4.jpg
中を覗くときれいにお化粧していました。

IMG_1470_4.jpg
今回はかなり文字数が多い記事になってしまった。すみません。ここから石清水八幡宮方面へ向かいます。



より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif
このエントリーをはてなブックマークに追加

京街道を歩く・岡・岡新町

2011年11月28日 08:00

京街道を歩く(20)
枚方宿・岡・岡新町

hirakata_oka_01.jpg
明治21年測量の地図です。東見附に今はない橋がある。

hirakata_oka_02.jpg
現在の地図と重ねるとこのようになる。

hirakata_oka_03.jpg
京阪「枚方市」駅が絶妙な場所にできている。

IMG_3944_4.jpg
枚方宿は泥町・三矢・岡・岡新町の四ヶ村で構成されていました。

IMG_3940_4.jpg
旧三矢村から旧岡村に入っていきます。

IMG_3958_4.jpg
ちょうど村の境界線の辺りに常夜灯がある。

IMG_3959_4.jpg
妙見宮の文字が刻まれているので能勢妙見山のことでしょう。

IMG_3992_4.jpg
脇道に入ったところに祠があった。

IMG_3991_4.jpg
その後ろに井戸の跡がある。

IMG_3990_4.jpg
これは下井戸というそうで、この地域の井戸は鉄分が多く利用できなかったことから、一乗寺境内から水を引き共同で井戸を利用していたのだそうです。

IMG_3962_4.jpg
とても気になる町のお医者さん。

IMG_3968_4.jpg
この赤い電球がいいですね。

IMG_3976_4.jpg
北村みそ本家。

IMG_3980_4.jpg
とてもいい感じの店構え。
もちろん自家製のお味噌だそうですよ。

IMG_4349_4.jpg
ちょっと脇道にそれて一乗寺に立ち寄りました。

IMG_4350_4.jpg
山門もそうですが境内の建物は新しくなっていました。

IMG_4354_4.jpg
境内には枚方城主の本多政康の墓があるそうです。

IMG_4339_4.jpg
遠くから煙突が見えたのでちょっと寄り道。
天の川温泉。

IMG_4346_4.jpg
煙突から煙がでてた。

IMG_4345_4.jpg
いいですね。この窓。
中からのぞいてみたい ^ ^

IMG_4358_4.jpg
さて、再び京街道です。

IMG_4357_4.jpg
イオン枚方店の敷地内を通っていくと

IMG_4361.jpg
壁にこんな地図があった。枚方宿の地図ですが結構わかりやすい。

IMG_4364_4.jpg
人通りが多い賑やかな場所に大きな道標が現れた。

右 大坂みち
左 京 六リ やわた 二リ
右 くらじたき 是四十三丁 道

IMG_4369_4.jpg
文政九年(1827年)に建てられたようですね。
ここは京街道と磐船街道との分岐点、江戸時代に製油業を営んでいた角野宗左がこの辻脇に住んでいたことから宗左の辻(そうさのつじ)と呼ばれるようになったようです。

IMG_4370_4.jpg
これは現在の道標ですね。矢印の方へ向かいます。

IMG_4372_4.jpg
古い建物が残っているのを見るとちょっとホッとする。

IMG_4377_4.jpg
よく残ってくれています。

IMG_4388_4.jpg
ここには枚方橋という名の橋が架かっていたようですね。

IMG_4390_4.jpg
橋を渡ると岡新町になります。

IMG_4411_4.jpg
この辺りも古い建物はわずかです。

IMG_4416_4.jpg
浄土真宗 浄行寺。
建物は新しくなりましたが境内にある大きな銀杏の木が印象的。

IMG_4417_4.jpg
浄行寺の前の家も昔の佇まい。

IMG_4423_4.jpg
で、突き当たりの場所にやってきました。

IMG_4429_3.jpg
こちらにも古い建物が残っています。

IMG_4421.jpg
問屋役人 小野家。屋号が八幡屋。
この建物は幕末期のものだそうです。

IMG_4430_4.jpg
わずかに残るこういう建物は本当に貴重ですね。

IMG_4432_4.jpg
で、ここが東見附跡になります。

IMG_4433_4.jpg
枚方宿の東端。当時ここには大きな松の木が両脇にあったようです。

IMG_4435.jpg
「河内名所図会」の「天川」です。
大きな松の木と天野川、そしてかささぎ橋が描かれている。

kawachi_07.gif
同じものですが「河内名所図会」の「天川」。

IMG_4434.jpg
天野川に架かっていた板橋の幅が3間1尺といいますから約5.7メートル、結構な幅ですね。河内名所図会に描かれているのがその橋でしょうか。

IMG_4437_4.jpg
堤防から見下ろした京街道です。
旧地図を見るとこの堤防はなく橋が架かっていました。

IMG_4441_4.jpg
現在のかささぎ橋の袂に鋼鉄のモニュメントと古い親柱がある。昭和7年に架橋された橋の一部を残しているのでしょう。

IMG_4445_4.jpg
ちなみに「かささぎ橋」は「鵲橋」と書きます。どこかで見たことのある名の橋だと思ったのですが、森ノ宮にある鵲森宮の近くにも鵲橋があったように思います。

(関連記事)
鵲橋の話」鵲森宮
アースダイビング in 大阪城2009.04.30

IMG_4440.jpg
こちらのかささぎ橋の名は七夕説話からきているようですね。

IMG_4444_4.jpg
天野川の姿は河内名所図会とはまったく異なりますが、これも時代の流れなのでしょう。昔の天野川に思いを馳せながら枚方宿を後にしていきます。



より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺


ポチッと、応援よろしく♪
bahiru_wink3.gif