2007年09月16日 01:08
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2007年09月14日 23:26
塚本の名前の由来
塚本に昔からある石像です。子供の頃からただのお墓だとばかり思っていたのですが、塚本の地名の由来がもしかしたらここにあるのかも知れません。道路沿いに石像があります。その横の細い路地を抜けると墓地になっています。そこに六地蔵もあります。地元の人でもお墓まで入る人は少ないので、知らない人も多いのではないでしょうか。
塚本如来塚の由来
この如来塚は塚本村の南端で海老江新家・浦江の両村と境を接する所にあった。周辺に水路がありここを塚ノ本と言われていた。東西一間八分、南北一間の盛土の上に三体の碑がありその内に三梵字を刻した石があったと伝えられている。古文書によると昔大阪深江に住む大念仏宗の法明上人が、夢の中で播州加古郡野口村の念仏宗の開祖、教信和尚の真筆阿弥陀仏の画像を塚本の地に供養塚をつくり祀るようにとのお告げをうけ、建武年間(1334年頃)この地に塚を築いて祀った処後に如来塚と呼ばれ、霊験あらたかと評判になり近郷近在より参拝人が絶えなかったと伝えられている。明治30年よりの新淀川の開削によりその敷地となった為、旧中津川の南岸堤防敷に移された。その場所は略現在地である。その後100年の歳月は流れたがこの塚は地元の人々の手厚い保護に守られ貴重な石造物は殆ど失われる事なく保存されている。

道路沿いにある石像

塚本墓地の中の六地蔵

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塚本に昔からある石像です。子供の頃からただのお墓だとばかり思っていたのですが、塚本の地名の由来がもしかしたらここにあるのかも知れません。道路沿いに石像があります。その横の細い路地を抜けると墓地になっています。そこに六地蔵もあります。地元の人でもお墓まで入る人は少ないので、知らない人も多いのではないでしょうか。
塚本如来塚の由来
この如来塚は塚本村の南端で海老江新家・浦江の両村と境を接する所にあった。周辺に水路がありここを塚ノ本と言われていた。東西一間八分、南北一間の盛土の上に三体の碑がありその内に三梵字を刻した石があったと伝えられている。古文書によると昔大阪深江に住む大念仏宗の法明上人が、夢の中で播州加古郡野口村の念仏宗の開祖、教信和尚の真筆阿弥陀仏の画像を塚本の地に供養塚をつくり祀るようにとのお告げをうけ、建武年間(1334年頃)この地に塚を築いて祀った処後に如来塚と呼ばれ、霊験あらたかと評判になり近郷近在より参拝人が絶えなかったと伝えられている。明治30年よりの新淀川の開削によりその敷地となった為、旧中津川の南岸堤防敷に移された。その場所は略現在地である。その後100年の歳月は流れたがこの塚は地元の人々の手厚い保護に守られ貴重な石造物は殆ど失われる事なく保存されている。

道路沿いにある石像

塚本墓地の中の六地蔵



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