2012年03月18日 09:00
京街道を歩く(41)
京橋と廃線跡と京橋と

明治18年測量の地図です。

現在の地図と重ねるとこのような位置関係になる。

京橋駅は旧野田村の外れにできたことがわかる。

さらに昭和4年測量の地図です。
京阪・京橋駅はまだ存在せず、旧線路は京街道沿いの住宅を避けるように敷かれていました。西側に野田橋駅が確認できる。鯰江川に架かる野田橋を渡った場所には片町駅がある。

都島中三商店会を歩いていきます。

玄関の丸電球がいいですね。

どこか懐かしさを感じる建物。こちらは地域のお医者さんです。

街道と並行した道に長屋があった。

部分的に当初の雰囲気が残っている。

煙突が見えたのでさらに奥へ。

野江のニュー朝日温泉。

かなりええ感じのコインランドリー。

再び京街道へ。

マンションの横に地蔵尊があった。

榎並(えなみ)地蔵。

石に2体の仏さんと下には道標が刻まれている。
「者し向 右 可も 今ふく」
「橋向こうを 右へ 蒲生 今福」と解釈できるようです。

さらに進みます。

昔の面影を残す塀。

タイルの外壁がいいです。

黒いタイルがかっこいい。

2階窓の手すりもいいなぁ。

で、商店街に入っていきます。

ええ感じのたばこ屋さん。

道が二又に分かれる場所にあるドームのアーケード。

それを過ぎると明らかに何かの跡だとわかる場所がある。(A)

(A)の場所がそこです。

反対側の(B)の場所もその跡が続いています。

昭和4年測量の地図と重ね合わすと線路が現れた。線路の北側には淀川貨物駅がありました。

ここは(C)の場所。

ここには陸橋があったのでしょう。
ところで、右の木製の電柱がかなり気になるな。

さて、商店街(京街道)をぬけたとこ。

陸橋の下をまっすぐ進みます。

京阪モールの建物沿いを進むと

ここで一旦行き止まり。

京阪モールの向かいに大きな道標があります。
右 大和 なら のざき
左 京みち

右 大坂
文政九年丙戌年九月吉日
この大きな道標、元は片町橋西詰めにあったものが移設されたのだそうです。(大阪の街道と道標より)

ところで、この道標はタクシーの横の緑地帯にあるのですが、

この道は京阪電車が走っていた場所です。(F)

京橋と言えばグランシャトー。

その横の道も京阪電車の線路跡だったようです。(D)

まっすぐな道が続いてる。

現在の京阪・京橋駅が高架化されたのは昭和44年(1969)、

この路線はその後廃止されました。(E)

ここに電車が通っていたのが想像しにくいのですが、connyさんのサイトにいい写真がありますよ。4枚目の写真がかなりわかりやすい。
「京阪本線・旧京橋駅」 おーさか、ぶらっConny!
京阪電鉄 天満橋-野江間高架複々線工事記録
「天満橋-野江間高架複々線工事記録」の映像です。約24分あります。

さてさて、京阪・京橋駅の南側です。

ここに地蔵尊がある。

二人地蔵尊というそうだ。

この京街道、まわりの土地とくらべると隆起しています。

明らかに高い場所にある。

下から見るとこのような感じ。昔の面影は土地の形状としてのみ残っています。

反対側は階段になっている。この下には鯰江川が流れていました。

ゆるやかなカーブを曲がると

橋跡の碑がある。野田橋がここにありました。

江戸時代初期に架けられた公儀橋です。

皇紀2600年記念の碑も残っている。

建物と建物の間の細い道に野田橋は架かっていました。

明治18年測量の地図を見ると位置がわかりますね。

現在と重ねるとこうなる。

昭和4年測量の地図です。
野田橋の北側に京阪・野田橋駅がありました。

私が立っている場所が昔の野田橋駅の辺りだと思われます。

その近くにお堂がある。

手前のお堂には石仏がたくさん祀られていました。

奥のお堂は行者堂というそうです。

地蔵尊の上になにやら書かれている。
のだばしの
さかのほとりの
なむぢぞう
われをたのめど
たすけたまうぞ

野田橋があった場所を行くと正面に大阪城が見える。

左手には鯰江川が流れていた川跡の道路。
駐車場の奥は旧片町駅があった場所です。

京街道はこの道を西へ。

京橋まではもうすこし。

寝屋川沿いに旧大阪砲兵工廠化学分析場の建物が見えてきた。

この橋が京橋です。

一般的に京橋といわれている京橋駅周辺から実際の京橋まではかなりの距離がある。

橋の袂に「京橋川魚市場跡」の石碑があります。

海の魚ではなく川の魚を扱う市場があったようですね。
ところで、
今は地味な京橋ですが江戸時代の京橋はどのような場所だったのでしょう。淀川両岸一覧に当時の様子が描かれていました。
「淀川両岸一覧」より

京街道・川崎渡口とあります。現在の川崎橋の辺りで、手前に雁木があり、奥に備前島橋、その奥が京橋です。
「淀川両岸一覧」より

こちらの絵では左側に京橋が。橋の袂には雁木があったことがわかりますね。

この地図には川崎橋が出来ていますが、矢印がアングルの想定場所です。

これらの絵はつなげるとパノラマ絵図になっています。
京街道の起点にふさわしい賑やかな場所だったようですね。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
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京橋と廃線跡と京橋と

明治18年測量の地図です。

現在の地図と重ねるとこのような位置関係になる。

京橋駅は旧野田村の外れにできたことがわかる。

さらに昭和4年測量の地図です。
京阪・京橋駅はまだ存在せず、旧線路は京街道沿いの住宅を避けるように敷かれていました。西側に野田橋駅が確認できる。鯰江川に架かる野田橋を渡った場所には片町駅がある。

都島中三商店会を歩いていきます。

玄関の丸電球がいいですね。

どこか懐かしさを感じる建物。こちらは地域のお医者さんです。

街道と並行した道に長屋があった。

部分的に当初の雰囲気が残っている。

煙突が見えたのでさらに奥へ。

野江のニュー朝日温泉。

かなりええ感じのコインランドリー。

再び京街道へ。

マンションの横に地蔵尊があった。

榎並(えなみ)地蔵。

石に2体の仏さんと下には道標が刻まれている。
「者し向 右 可も 今ふく」
「橋向こうを 右へ 蒲生 今福」と解釈できるようです。

さらに進みます。

昔の面影を残す塀。

タイルの外壁がいいです。

黒いタイルがかっこいい。

2階窓の手すりもいいなぁ。

で、商店街に入っていきます。

ええ感じのたばこ屋さん。

道が二又に分かれる場所にあるドームのアーケード。

それを過ぎると明らかに何かの跡だとわかる場所がある。(A)

(A)の場所がそこです。

反対側の(B)の場所もその跡が続いています。

昭和4年測量の地図と重ね合わすと線路が現れた。線路の北側には淀川貨物駅がありました。

ここは(C)の場所。

ここには陸橋があったのでしょう。
ところで、右の木製の電柱がかなり気になるな。

さて、商店街(京街道)をぬけたとこ。

陸橋の下をまっすぐ進みます。

京阪モールの建物沿いを進むと

ここで一旦行き止まり。

京阪モールの向かいに大きな道標があります。
右 大和 なら のざき
左 京みち

右 大坂
文政九年丙戌年九月吉日
この大きな道標、元は片町橋西詰めにあったものが移設されたのだそうです。(大阪の街道と道標より)

ところで、この道標はタクシーの横の緑地帯にあるのですが、

この道は京阪電車が走っていた場所です。(F)

京橋と言えばグランシャトー。

その横の道も京阪電車の線路跡だったようです。(D)

まっすぐな道が続いてる。

現在の京阪・京橋駅が高架化されたのは昭和44年(1969)、

この路線はその後廃止されました。(E)

ここに電車が通っていたのが想像しにくいのですが、connyさんのサイトにいい写真がありますよ。4枚目の写真がかなりわかりやすい。
「京阪本線・旧京橋駅」 おーさか、ぶらっConny!
京阪電鉄 天満橋-野江間高架複々線工事記録
「天満橋-野江間高架複々線工事記録」の映像です。約24分あります。

さてさて、京阪・京橋駅の南側です。

ここに地蔵尊がある。

二人地蔵尊というそうだ。

この京街道、まわりの土地とくらべると隆起しています。

明らかに高い場所にある。

下から見るとこのような感じ。昔の面影は土地の形状としてのみ残っています。

反対側は階段になっている。この下には鯰江川が流れていました。

ゆるやかなカーブを曲がると

橋跡の碑がある。野田橋がここにありました。

江戸時代初期に架けられた公儀橋です。

皇紀2600年記念の碑も残っている。

建物と建物の間の細い道に野田橋は架かっていました。

明治18年測量の地図を見ると位置がわかりますね。

現在と重ねるとこうなる。

昭和4年測量の地図です。
野田橋の北側に京阪・野田橋駅がありました。

私が立っている場所が昔の野田橋駅の辺りだと思われます。

その近くにお堂がある。

手前のお堂には石仏がたくさん祀られていました。

奥のお堂は行者堂というそうです。

地蔵尊の上になにやら書かれている。
のだばしの
さかのほとりの
なむぢぞう
われをたのめど
たすけたまうぞ

野田橋があった場所を行くと正面に大阪城が見える。

左手には鯰江川が流れていた川跡の道路。
駐車場の奥は旧片町駅があった場所です。

京街道はこの道を西へ。

京橋まではもうすこし。

寝屋川沿いに旧大阪砲兵工廠化学分析場の建物が見えてきた。

この橋が京橋です。

一般的に京橋といわれている京橋駅周辺から実際の京橋まではかなりの距離がある。

橋の袂に「京橋川魚市場跡」の石碑があります。

海の魚ではなく川の魚を扱う市場があったようですね。
ところで、
今は地味な京橋ですが江戸時代の京橋はどのような場所だったのでしょう。淀川両岸一覧に当時の様子が描かれていました。
「淀川両岸一覧」より

京街道・川崎渡口とあります。現在の川崎橋の辺りで、手前に雁木があり、奥に備前島橋、その奥が京橋です。
「淀川両岸一覧」より

こちらの絵では左側に京橋が。橋の袂には雁木があったことがわかりますね。

この地図には川崎橋が出来ていますが、矢印がアングルの想定場所です。

これらの絵はつなげるとパノラマ絵図になっています。
京街道の起点にふさわしい賑やかな場所だったようですね。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
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9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
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22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
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