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京街道を歩く・万年寺跡・意賀美神社

2011年11月21日 08:00

京街道を歩く(18)
万年寺跡・意賀美神社

枚方宿の見下ろす小高い山の山頂に古来万年寺という寺がありました。明治3年の廃仏毀釈(きしゃく)で廃寺となり、現在は意賀美(おかみ)神社が鎮座しています。

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北坂をのぼっていきます。

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京街道も建物の隙間から見え隠れ。
あの立派な屋根は

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こちらの建物ですね。
上から見るとまた印象が変わります。

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階段をのぼりきったところに御茶屋御殿跡展望公園がある。

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豊臣秀吉が文禄5年(1596)に御茶屋御殿を建てたのだとか。

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鳥居が現れた。

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その横に十三重の石塔が。数えると9つしか屋根がありません。昔は13あったのでしょう。

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その足元に長松山萬年寺の文字が。

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「河内名所図会」の「枚方 萬年寺」です。
境内に十三重の石塔らしきものが確認できる。
廃寺になったときに場所を移されたのかもしれない。

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石段をのぼりきったところにある琴平神社。

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その正面にある稲荷神社。

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そしてこちらが意賀美神社。

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高龗大神(たかおかみのおほかみ)は水の神で淀川の鎮守の神だそうです。

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この山は古墳でもあるようですね。

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ミサイルのような忠魂碑もひっそりとあった。

さて、神社を後にして丘陵の上にある旧道を歩いていきます。

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ある世代の方々にとって枚方といえば森繁久彌さんの出身ということでも有名のようです。この辺りから北野中学に通っておられたのでしょうか。
(追記:現在の枚方上之町で生まれ6歳までを枚方に住んでおられたようです。)

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丘の上には古い家がポツポツ残っている。

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旧道沿いの祠に石仏がいっぱい。

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中をのぞくと顔にお白いが塗られていました。
大阪に近づくにつれてこの風習がなくなっているように思うのだが、どなたか研究されている方はいるのだろうか。

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家の向こうに大きな木があります。

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その前の駐車場になっている場所に田中家鋳物工場がありました。建物は移転して市立旧田中家鋳物民族資料館となっています。

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木がある方へぐるっと回ってきました。
大阪府指定天然記念物のむくの木です。
(関連記事)『枚方田中邸のむく2011.10.01

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その昔、むくの葉は鋳物製品を磨のに用いられていたそうです。

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さて、坂を下りてきました。

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こちらが正面の鳥居ですね。

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京街道へ向かいます。

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いい感じの町並みです。

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わ~!
玉ねぎがいっぱい。

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こういう町並みでは定番の唐臼の支柱

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壁埋め込みタイプの地蔵尊。

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戦国時代、枚方は順興寺の寺内町として発展したそうです。

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その後江戸時代に宿場町として発展しました。

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その順興寺があったのがこの場所。

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順興寺の後身 願生坊(がんしょうぼう)。

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東御坊といわれていた寺です。

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意賀美神社からつづくこの道はこの地が宿場町になる前のメインストリートだったのかもしれない。

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願生坊の向かいにある大隆寺。

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踏切の脇にある「蓮如上人御舊跡」と刻まれた石碑。
踏切をわたらずこの石碑の横の道を行くと、

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石段が現れた。

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浄土宗 臺鏡寺。台鏡寺の字の方が一般的のよう。

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山門からの眺めです。
昔はここから枚方宿が一望出来たことでしょう。

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本堂です。永禄2年(1559)に明誉願上人(めいよがんしょうにん)により建立されたと伝えられています。

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右側の地蔵堂には立派な地蔵立像があります。

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地元では「夜歩き地蔵」として語り継がれているお地蔵さん。
宿場町の悲しい身の上を持つ女性たちの悩みを聞くために歩きまわって、足元が汚れていたことから夜歩き地蔵と呼ばれるようになったとか。

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こちらの建物は屋根が傷んでいます。

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古いものだけに修復するのも大変だ。

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外の高台に鐘楼があるんですね。

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古くてなんかとてもいい感じだ。

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境内からの眺めはとてもいい。
いまは高い建物が増えましたが、空の広さや対岸の山並みは変わらない。
ここでひと時プチタイムスリップをしておりました。



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京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺

2011年09月14日 08:00

京街道を歩く(2)
幻の大阪遷都ゆかりの地
難宗寺と盛泉寺と大銀杏


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大塩平八郎ゆかりの書院跡があった場所から少し東に行くと立派な太鼓楼が見える。

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その下に道標が
御行在所
御假泊所
すぐ 守口街道
左 京 

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手前の道標
右 大阪
ですね。ちなみに右に行った大塩平八郎ゆかりの書院跡(現マクド)の向かいの駐輪場に守口宿本陣跡の案内板があったみたい。気付かなかった…

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長屋門も立派だ。

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こちら難宗寺(なんしゅうじ)は連如上人が文明9年(1477)に守口坊として建立したのが始まりだとか。※連如上人って誤字?蓮如上人ですよね。

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山門横には明治天皇守口行在所の石碑がある。

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本堂です。立派だ。

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本堂の横に石碑があった。

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明治大帝聖跡とある。

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山門の横に大きな銀杏の木がある。

突然ですが
大阪巨樹巡礼 その8
難宗寺のいちょう

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この銀杏、大阪府指定天然記念物です。

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樹齢は約400年だとか。先ほどの守口市教育委員会の案内板には樹齢約500年になっていました。とにかくデカイんです。

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境内からはカメラになかなか収まらなかった。

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外から見てもデカイ。

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紅葉の季節にまた来てみたい。
きっと綺麗だろうな。

(関連記事)
難宗寺のいちょうの紅葉2011.12.14

さて、
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京街道はこの道をまっすぐ進んでいきます。

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道路の反対側にも道標があった。
東海道 守口
守口宿は東海道五十七次なのだそうです。

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難宗寺の近くにある盛泉寺(じょうせんじ)。

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こちらの石碑には
史跡 内侍所奉安所阯 とある。

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石柱の側面には
史跡名勝天然記念物保存法二依リ
明治天皇守口行在所及内侍所奉安所阯トシテ
昭和十三年八月文部大臣指定
とある。

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この案内板は指定当時の物のようだ。かろうじて文字が読める。

説明 
明治元年大阪行幸の際三月二十二日難宗寺(守口行在所)に御駐泊あられられたる時及閏「門<壬」四月七日還幸の時の両度内侍所を安置し奉りたる處にして奉安所の阯地は当寺の本堂前にあり
注意
一、指定地域内に立入らざる事
一、其の他現状変更を爲さざる事
昭和十四年三月二十二日
文部省

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こちらには
幻の大阪遷都ゆかり寺
とある。

簡単に要約すると、
慶応3年の大政奉還の後、慶応4年3月22日(9月に明治と改元)に大久保利通が大阪遷都を目論み、明治天皇を京都から大阪のこの地に行幸いただいた。お泊りになられたのが難宗寺。盛泉寺には内侍所が置かれたのです。その後東京遷都が決まるわけですが、ほんのちょっとだけ大阪が首都?だったことがあったのです。
(なぜが江川の空白の1日を思い出してしまったのは私だけだろうか…)

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難宗寺は西御坊、盛泉寺は東御坊と呼ばれているそうです。

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本堂の正面に立派な松がある。

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本堂と松の間に石碑があった。
内侍所之跡
この場所に内侍所(ないしどころ)があったのですね。
ちなみに内侍所とは三種の神器の一つである神鏡を安置する場所です。

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幻の大阪遷都。
そんなことが大政奉還後にあったとは…




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夕焼けが綺麗な神社

2008年11月04日 07:30

夕焼けが一番綺麗な「菅原天満宮」

大阪で一番夕焼けが綺麗なお宮さんを見つけました。それは菅原天満宮。
なぜ一番なのか。私が勝手に決めた条件が3つあるんです。

(1) 境内が夕日で染まる事。
これは外からお宮さんを見た時に夕日をあびて美しく見えるから。

(2) 境内から夕日が沈むのが見える事。
これはお宮さんが高台にあって眺めがいいから。

(3) 子供達が夕方まで神社で遊んでいる事。
これは子供の遊び場になってるお宮さんが好きだからです。「夕焼小焼」の歌が似合う場所を無意識に探しているのかも…

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菅原天満宮は大きなクスノキが目印、この辺りのランドマークです。

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境内は高台になっています。昔は逆川という川が流れていてその堤防だったとか。

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天満宮がこの地に歓請(かんじょう)されたは寛永年間(1624~1643)です。この地は東淀川区菅原になりますが、菅原の地名はここからきているのでしょうか。

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この季節、午後4時頃には境内は夕日で染まります。拝殿も真西に向いているので、夕日が直接当たります。

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拝殿横の神具堂に絵馬が掛けられていました。

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ここもエエ感じでしょ。

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拝殿の前に大きなクスノキがあります。

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大阪市の保存樹に指定されています。樹齢は約400年とか。

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天満宮がこの地に勧請されたのが約400年前なので、その頃からあったのでしょうか。

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横は公園になっていて、お宮さんも子供の遊び場です。

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階段も「じゃんけん遊び」の絶好の場所。

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隣は幼稚園です。子供達は先生としゃべってました。

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「かくれんぼ」は今の時代でも定番のようですね。

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こっちのグループも「かくれんぼ」です。

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「も~い~かいっ」

「ま~だだよ~」


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お宮さんは暗くなるのも早いです。日が傾きだすと子供達も帰っていきました。
ぽつんとお宮さんにひとり取り残されるとあの歌が浮かんできました。

♪夕焼け小焼けで日が暮れて…

覚えていますか?

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『夕焼け小焼け』 作詞:中村雨紅 作曲:草川信

♪ 夕焼小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘が鳴る
   お手々つないで みな帰ろ からすと一緒に 帰りましょう

♪ 子供が帰った 後からは まあるい大きな お月様
   小鳥が夢を 見る頃は 空にはきらきら 金の星


童謡の歌詞を読んで、エエなぁと思ってしまうのは歳のせいでしょうか(笑)。
ついでにと言っては何ですが、唱歌で一番人気がある曲を。
おそらく『故郷(ふるさと)』ではないでしょうか。


『故郷(ふるさと)』 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一

♪ 兎追いしかの山 小鮒(こぶな)釣りしかの川
  夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

♪ 如何(いか)にいます父母 恙(つつが)なしや友がき
  雨に風につけても 思い出ずる故郷

♪ こころざしを はたして いつの日にか帰らん
  山はあおき故郷 水は清き故郷


たまには童謡を思い出すのもいいですよね。
…ところで童謡と唱歌って一緒のことかな?


YouTubeの『故郷(ふるさと)』


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高射砲陣地跡と天然記念物

2008年10月30日 07:39

高射砲陣地跡と天然記念物のくす

「Googleマップ」の航空写真を見ていて気付いたことがあります。新しい道路がまだまだ出来てるんですね。ただ道路を作るということは、何かをつぶすということでもあるようです。最近気になっている2ヶ所を歩いてきました。

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higashi_01.jpg
西淡路にある高射砲陣地跡です。道路の計画地の真ん中にあるのですが、現在は工事が中断しているようです。

DSC04577.jpg
北側の道路がそこまで来ています。南側の土地も買収が始まっています。

DSC04566.jpg
これが旧陸軍の高射砲台です。全部で4基が残っているそうです。この鉄筋コンクリート造りの台に88式7cm野戦高射砲が設置されていました。

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高射砲とは、地上から敵の戦闘機を攻撃するための大砲です。
「大砲と装甲の研究」
http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t88_75aag.htm


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設置されたのは戦火が激しくなってきた昭和19(1944)年だそうです。

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現在は住居として使用されていますが、道路予定地にあるとして取り壊しが決定しました。しかし、保存運動がおこり現在も最終結論がでていません。

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ここは行き止まりではなく、向こうの道へ抜ける細い道があります。

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昔の路地の雰囲気が残っている場所ですね。


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もうひとつは高射砲陣地跡の近く、須賀神社跡の須賀の森公園です。道路が出来ることによって公園が半分削られます。この公園に楠の巨樹があります。

DSC04649.jpg
昔の参道ですが、神社がなくなっても石灯篭は残っていました。

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かなり広い道路ができます。かなり多くの家がなくなりました。

DSC04664.jpg
離れた場所からでもひときわ大きな木が見えます。

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公園にやってくると枯れた木がありました。

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須賀神社があった頃の御神木でしょうか。

DSC04619.jpg
その前に須賀神社跡の碑があります。須賀神社は明治43年に中島惣社に合祀されました。

DSC04622.jpg
裏を見ると「十三 石匠 清水」の文字を見つけました。ちょっとうれしい。

DSC04611.jpg
大阪府指定天然記念物の「須賀神社跡のくす」です。

DSC04605_2.jpg
樹齢600年、樹高30m、直径1.6mといわれています。

DSC04667.jpg
この大木のすぐ横に道路ができます。公害が心配です。枯れないといいんですが。

DSC04668.jpg
東淀川区には他にも巨樹がいくつか残っています。巨樹はいいですね。


大きな地図で見る


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田川の保存樹

2007年09月17日 23:48

田川の町をずっと見守っていました。

大阪市の保存樹に登録されている木は107本。淀川区ではたったの3本。その内2本は加島の香具波志神社の境内にあります。残りの一本がこの木。平成18年に指定されました。家が密集している所にあるのですが、離れた所から見えます。昔はかなり遠くからも見えていたのでしょうね。立派なクスノキです。

保存樹

保存樹

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