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京街道を歩く・八幡市橋本の歴史

2012年01月07日 08:00

京街道を歩く(28)
八幡市橋本の歴史

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明治22・23年測量の地図です。

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現在の地図と重ねると

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このようになる。

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河内名所図会の藤阪王仁墳・洞ヶ峠の中に昔の橋本と京街道が描かれている。
とても興味深いです。

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橋本に入っていきます。

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すぐに橋本湯があります。

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雰囲気のある銭湯ですね。

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橋本の名称は、神亀2年(725)に行基が架橋した山崎橋から名付けられたといわれています。

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橋本というと元遊郭があった地域というイメージがありますが、歴史を調べてみると、幕末の激動の時代と深く関係している地域のようです。

【橋本陣屋について】
幕末期、倒幕運動が盛んになっていた安政5年(1858)、幕府は京坂間の警備を強化するため、橋本に陣屋の設置を決めます。突然の幕府の決定に、百姓、町人の地主は戸惑いながらも約5000坪の土地を幕府に召し上げることになり、2年後の万延元年(1860)にはほぼ完成していたようです。

「八幡市誌」より
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橋本陣屋復元図です。

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橋本陣屋復元図を元に西遊寺と旧道をトレースするとおぼろげに場所が想定できます。ただし、区画が当時とかなり変わっているのであくまでもイメージです。

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ちなみに常徳寺は現在存在していませんが、西遊寺の北側にある感應寺の前に常徳寺の石碑がある。

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小さいほうの石碑です。
妙見宮 常徳寺。

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橋本は幕末の鳥羽伏見の戦いによる被害が大きかった地域でもあります。

【鳥羽伏見の戦いでの橋本】
慶応4年(1868)1月3日に勃発した鳥羽伏見の戦いで、大坂城で指揮していた徳川慶喜が6日早朝に海路江戸への退去を決定、警備の会津藩を残し中心勢力は大坂へ退去しはじめました。一方、激しくなる新政府方の攻撃に橋本の前線で防戦する幕府方会津軍は苦戦。加えて、淀川対岸の山崎陣屋地にあった津藩が新政府側に寝返り高浜砲台から会津勢に向けて火砲を打ち込みます。約4時間の撃ち合いののち幕府側は総崩れとなりました。この戦いにより橋本では約80数軒が焼失、陣屋も長州勢によって焼き払われたようです。

明治維新の橋本はまさにゼロからのスタートだったのかもしれません。

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そして、遊郭について…

【地域復興のために選択した遊郭復活】
宿場町であり石清水八幡宮参拝者など旅客相手の商業で賑わっていた橋本でしたが、明治5年の芸娼妓解放令(げいしょうぎかいほうれい)と明治10年に淀川対岸に大阪京都間の鉄道が開通したことにより、旅客が激減します。遊郭復活は、住民生活に悪影響を及ぼすので地域にとってよいことではないのですが、急激な衰微に対して必要悪と考えられたようです。

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明治20年に京都府の認可を受け遊郭区域が設定されています。

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明治30年には貸座敷7軒、芸妓9名、娼妓9名であったものが、昭和12年の全盛期には貸座敷業者81名、軒数66、芸妓3名、娼妓675名となっています。

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しかし、昭和33年4月1日の売春防止法の施行により事実上廃業に追いやられました。

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現在の橋本は空き地がかなり増えました。

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中心部には大きな空間がぽっかり空いている。

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ここ数年で多くの建物が取り壊されたようです。

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昔の建物は繋がっていることが多いので

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一方を取り壊すとこんな感じになってしまう。

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こちらには売土地の看板が…

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この道は渡し場へ向かう道。

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橋の袂に道標があります。
「柳谷わたし場」

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「山ざき あたご わたし場」
「大坂下り舟の里場 津の国そうじ寺 わたし場」
明治2年建立のようです。

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淀川の堤防からの眺めです。

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空き地が目立ちます。

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さて、京阪電車の東側に行ってみましょう。

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踏切の向こうに古いアパートがある。かなり立派な建物だ。

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天寿荘。今は無人っぽい。

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庭に養神という石碑がありました。

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こちらは浄土宗 西遊寺。

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行基ゆかりの橋本寺を起源とする由緒ある寺です。

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詳しくはこちらを。

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山門横に石碑があるのですが、淀川対岸の山崎周辺の名勝地が刻まれている。

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石段を上がったところに本堂がある。

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境内からは対岸の天王山がよく見えます。

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西遊寺保育園の敷地内にある石碑。
舊(旧)橋本寺西遊寺 右 塩竈三丁 左 八幡常昌院八丁

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四区公会堂の脇にも何やら石碑がありました。

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橋本記念碑と刻まれている。
裏に文字が刻まれているのですが解読不能でした。ところが八幡市誌にこの石碑の写真が載っていたのです。

【橋本記念碑について】
橋本は江戸時代以来、200戸を数える集落でしたが、鳥羽伏見の戦いでその大半が焼失しました。そんな中、明治初年の行政区画整備に際し、京都府は橋本の集落名を脱落させ橋本町の名がなくなってしまいます。以降、たびたび地元から大字として認めてくれるよう申請が出されたが認められなかったようです。それが実現したのは昭和2年、八幡町議会で橋本を大字とすることが決議されました。昭和3年に京都知事の認可がおり、9月1日より「大字橋本」となり、地域住民の長年の念願が達成されたということです。この石碑はそれを記念して建てられたものだと思われます。

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この石碑は京阪橋本駅の駅前にある道標です。

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橋本渡舟場三丁
山崎停車所十丁
柳谷観音一里廿丁
長岡一里 粟生一里半 善峯二里

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昭和2年に建てられたもののようです。

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京大坂街道 
右 八幡御幸橋八丁 
左 樟葉八丁 
南 志水近道廿丁

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その横には火の見櫓がある。

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再び踏切を渡ります。

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駅前の八百屋さん。

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ちょっと複雑な道になっていますが、

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角をクネッとまがり、

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散髪屋さんを横に見ながら歩く。

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すると正面に

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地蔵尊が現れる。小金川地蔵尊。

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井戸の底から出てきた地蔵尊で、お祀りして以来水害がなくなり「水嫌地蔵」として信仰されています。

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中を覗くときれいにお化粧していました。

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今回はかなり文字数が多い記事になってしまった。すみません。ここから石清水八幡宮方面へ向かいます。



より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


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37.京街道を歩く・東寺


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千成湯と路地裏

2009年07月03日 07:00

千成湯と路地裏

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先日、実家でこんな本を見つけました。
大阪市が発行していた「わたしの大阪 伸びゆく大阪」です。

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これは昭和53年(1978)発行の「わたしの大阪 伸びゆく大阪 '78」。
写真中心に編集されているので、結構楽しめます。

DSC09017.jpg
その中に、とても気になった写真があったんです。

「わたしの大阪 伸びゆく大阪 '78」より
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それがこの写真。
千 成 湯 ?  どこかで見たような… 


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ここは福島区野田。今年の3月頃に撮影した写真です。
私が立ってる場所の横に路地があります。

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(路地A) その路地を入っていくと「千成湯」の文字がありました。 
そう、この文字を覚えていたんです。

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なんかええ感じの路地♪

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(路地B) おっ、銭湯らしきものが見えてきました。

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ここが千成湯。

P1110860.jpg
建て替えられていますが、こことちゃうかな?

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電柱が同じ場所にあるでしょ。

P1110858.jpg
千成湯の奥の路地をまた入っていきます。

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(路地C) こういう路地を歩いていくと、

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こんな所に…

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薄暗い細い路地を抜けると…
あれ、天井になんか貼ってる。

P1110864.jpg
「雲」?

P1110865.jpg
(路地D) で、ここに出てきます。 
路地を歩くのは面白いですね♪


ちなみに俯瞰で見るとこんな感じの場所です。

より大きな地図で 千成湯 を表示



(おまけ)
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「わたしの大阪 伸びゆく大阪 '78」より
これも野田なのかな?
懐かしい駄菓子屋の写真ですが
僕が注目したのはコカコーラののれん。

sennari_03.jpg
「…スーパーカーのイラスト入り王冠を集めよう」
コーラーのビンの蓋の裏にスーパーカーが印刷されているんです。

覚えていますか?^^


あっ、そうそう、
昔は自動販売機でなくて、ジュース類は冷蔵庫だったので、
それに栓抜きが固定してあって、下に王冠がたまる仕組みになっていました。
スーパーカーの時ではなかったですが、
王冠をもらいに駄菓子屋巡りをしたもんです。
そういえばお酒の蓋も集めていたな…


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懐かしの銭湯

2009年03月14日 08:00

懐かしの銭湯

DSC02409.jpg

この銭湯をご存知ですか?


(ヒント1)
DSC02337.jpg
ここは大阪ではありません。

(ヒント2)
DSC02353.jpg
アーケードの屋根の色でわかった方は京都通です^^



正解は、



京都・錦市場の近く、錦湯でした。

DSC02391.jpg
以前にも書いたことがありますが、私は20代の頃、転勤で京都に3年半ほどいました。京都大丸の近くのビルにいたのでこの辺りは毎日うろうろしてました。先日久しぶりに京都に用事で行った時に、錦湯が急に気になって探しに行ったのです。

大阪では銭湯が毎年のように廃業していっています。もしかしたら廃業しているかもと思って行ったのですが、まったく変わらない姿でした。さすが京都。この銭湯は個人的に思い出深い場所なので、残っていてほっとしました。ここは大丸の一筋東側、堺町通にあります。都会のど真ん中なんですよね。

DSC02371.jpg
とてもエエ感じでしょ。

DSC02363.jpg
中に一歩足を踏み込むとこれがまたエエんです。銭湯好きの方は是非どうぞ。


DSC02349.jpg
若いの頃はまったく関心がありませんでしたが、京都を歩いているとお地蔵さんがたくさんありますね。大阪も大空襲前にはたくさんあったんだろうなぁと思ってしまいます。

DSC01954.jpg
最後に京都らしい写真を一枚。先斗町です。
横のおっちゃんがちょっと邪魔ですけど…^^;

京都は神社仏閣巡りもいいですが、
町をうろうろするのも楽しいところですね。


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新木川温泉

2008年12月22日 07:30

新木川温泉の煙突

クリスマスが近づき、ブログのトップ画像のネタとして煙突を探しに木川を歩いてきました。煙突といっても、銭湯の煙突しかありませんが…。

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まず立ち寄ったのは寿湯。

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エエ感じでしょ。

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お約束のタイル文字です。でも煙突が普通だったので次の場所へ。


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寿湯から少し歩いて見えてきたのが新木川温泉の煙突。煙突はシンプルだけど知る人ぞ知る銭湯です。

『新木川温泉を下見』 まちかど逍遥

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じゃ~ん! なんか学校みたい。

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文字のまわりがタイル貼りです。

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青く塗られた正面とそのままの側面のコントラストがなんとも下町らしくていいです。

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お隣の家も昭和な感じでいいです。

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なぜかリヤカーがいつも置いてあります。


で、帰りしなに商店街でこんな張り紙を見つけました。
P1070894.jpg
酒屋さんの店じまいの張り紙です。6月末で閉めていたのですね。

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昭和6年からこの場所で営業されていたとか。寂しいな。

で、お知らせ。
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ちょっと早すぎますが、神津神社の十日戎の張り紙です。地元の笑福亭仁勇さんや林家染弥さんが来られて大道芸をされるようですね。どんなことをするんだろう?以前記事で紹介した長柄地車囃子の奉納のあるそうです。ぜひ行かねば!


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トップ画像は変更しました。ちなみにクリスマス時期はこんなんでした。↓
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三国温泉とaiko

2008年09月13日 03:00

三国温泉とaiko

能勢街道の要所、神崎川に架かる三国橋の近くにレトロな雰囲気を残す三国温泉があります。

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三国といえば、十三の渡しと同じくらい有名な三国の渡し、三国橋周辺を歩いてみました。

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ここは神崎川です。向こうに見える山は箕面かな。

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橋を渡ると旧街道の雰囲気を残す細い道が続いています。

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橋を渡った所に有名な双葉温泉がありましたが、残念ながら今はありません。その近くに懐かしい雰囲気の本屋さんがありました。

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コカコーラの看板がええ感じですね。昔は何屋さんだったのでしょう。

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この周辺は古い建物がどんどん壊され更地が広がっています。あと数年経てばがらりと変わってしまうのでしょうか。

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地図を見ると面白いのですが、橋を渡った一角までが三国です。

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なぜだろうと明治18年測量の地図を見ると、なるほど、三国橋の北詰めが三国だったんですね。文字がかすれていますが「字三国」となっています。

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三国橋に戻って、少し東の方へ歩いていくと、昭和な雰囲気が残る地域が現れます。

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空き地が花畑になっていました。オアシスのような場所ですね。

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その空き地の横に三国温泉がありました。

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どこかなつかしいお風呂屋さんです。

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このタイルがええんですよね。

P1030272.jpg
タイル文字は手作りですよね。エエ仕事してます。

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三国から少し離れた十八条にある高須温泉のタイル文字です。

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同じですね。なぜだろう?

十三にあった十三温泉も同じタイル文字でした。
『下町十三を、歩こう』の「十三温泉」を参照ください。
http://celebjuso.exblog.jp/1217374/



(おまけ)

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新三国橋の北詰めにある「新三国アルゴ」。昭和40年代のボーリングブームの頃に連れて来てもらった記憶があります。名前は当時から変わったと思いますが昔からあるボーリング場です。今はアミューズメント施設とでもいうのかな。ボーリング以外にもいろいろ遊べるものがあります。この間、子供と卓球をしに行きました。当時は神崎川の水辺まで下りれたと思います。大人がボーリングをしている時にカエルを捕まえていた記憶が残っています。

ここはaikoの「三国駅」の歌に出てくるボーリング場だと言われています。


変わらない町並み 
あそこのボーリング場
焦っていたのは自分で
煮詰まってみたり 
怖がってみたり 


aikoはデビュー当時からファンで、FM大阪で週末の夜中にDJをしていた『COUNTDOWN KANSAI TOP40』をよく聴いていました(当時釣りによく行っていたので聴く機会が多かったのです)。世間のことを何も知らないめっちゃおもろい奴やなぁと思ってたのに、あれよあれよという間にメジャーになりましたね。淀川区出身なので親近感があります。ちょっとうれしいな。

『aiko Official Home Page』
『三国駅』movie




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