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京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺

2011年09月14日 08:00

京街道を歩く(2)
幻の大阪遷都ゆかりの地
難宗寺と盛泉寺と大銀杏


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大塩平八郎ゆかりの書院跡があった場所から少し東に行くと立派な太鼓楼が見える。

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その下に道標が
御行在所
御假泊所
すぐ 守口街道
左 京 

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手前の道標
右 大阪
ですね。ちなみに右に行った大塩平八郎ゆかりの書院跡(現マクド)の向かいの駐輪場に守口宿本陣跡の案内板があったみたい。気付かなかった…

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長屋門も立派だ。

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こちら難宗寺(なんしゅうじ)は連如上人が文明9年(1477)に守口坊として建立したのが始まりだとか。※連如上人って誤字?蓮如上人ですよね。

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山門横には明治天皇守口行在所の石碑がある。

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本堂です。立派だ。

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本堂の横に石碑があった。

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明治大帝聖跡とある。

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山門の横に大きな銀杏の木がある。

突然ですが
大阪巨樹巡礼 その8
難宗寺のいちょう

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この銀杏、大阪府指定天然記念物です。

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樹齢は約400年だとか。先ほどの守口市教育委員会の案内板には樹齢約500年になっていました。とにかくデカイんです。

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境内からはカメラになかなか収まらなかった。

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外から見てもデカイ。

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紅葉の季節にまた来てみたい。
きっと綺麗だろうな。

(関連記事)
難宗寺のいちょうの紅葉2011.12.14

さて、
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京街道はこの道をまっすぐ進んでいきます。

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道路の反対側にも道標があった。
東海道 守口
守口宿は東海道五十七次なのだそうです。

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難宗寺の近くにある盛泉寺(じょうせんじ)。

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こちらの石碑には
史跡 内侍所奉安所阯 とある。

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石柱の側面には
史跡名勝天然記念物保存法二依リ
明治天皇守口行在所及内侍所奉安所阯トシテ
昭和十三年八月文部大臣指定
とある。

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この案内板は指定当時の物のようだ。かろうじて文字が読める。

説明 
明治元年大阪行幸の際三月二十二日難宗寺(守口行在所)に御駐泊あられられたる時及閏「門<壬」四月七日還幸の時の両度内侍所を安置し奉りたる處にして奉安所の阯地は当寺の本堂前にあり
注意
一、指定地域内に立入らざる事
一、其の他現状変更を爲さざる事
昭和十四年三月二十二日
文部省

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こちらには
幻の大阪遷都ゆかり寺
とある。

簡単に要約すると、
慶応3年の大政奉還の後、慶応4年3月22日(9月に明治と改元)に大久保利通が大阪遷都を目論み、明治天皇を京都から大阪のこの地に行幸いただいた。お泊りになられたのが難宗寺。盛泉寺には内侍所が置かれたのです。その後東京遷都が決まるわけですが、ほんのちょっとだけ大阪が首都?だったことがあったのです。
(なぜが江川の空白の1日を思い出してしまったのは私だけだろうか…)

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難宗寺は西御坊、盛泉寺は東御坊と呼ばれているそうです。

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本堂の正面に立派な松がある。

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本堂と松の間に石碑があった。
内侍所之跡
この場所に内侍所(ないしどころ)があったのですね。
ちなみに内侍所とは三種の神器の一つである神鏡を安置する場所です。

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幻の大阪遷都。
そんなことが大政奉還後にあったとは…




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(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
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6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
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8.京街道を歩く・来迎寺と松
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13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
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19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
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25.京街道を歩く・樟葉
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29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
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34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺


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永代濱跡・永代浜の楠

2011年09月01日 08:00

巨樹巡礼 その7
枯死から復活
靭公園・永代浜の楠


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大阪市西区の靱公園の角にある大きな楠。

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楠永大神、楠玉大神として祀られているご神木。

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樹齢は約300年。
昔は天然記念物であったようだが戦災で焼けただれたらしい。

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ほとんど枯死(こし)していた上、戦後、現在の靱公園を進駐軍が小型飛行場にする際、切り倒される運命だったという。

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しかし、硬くて切り倒せず枝のみを取り払ったため、
のちに木が蘇生し、現在の姿に復活したのだそうだ。

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白蛇(巳さん)のたたりを進駐軍が認めて伐採を中止したという話も残っている。

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楠の裏(表?)には楠永神社がある。
元々この地には住吉神社が祀られていたようで、御霊神社の旧跡ともいわれている由緒ある場所。

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御霊宮旧跡の碑。

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こちらは靭延命地蔵尊。

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永代濱(えいたいはま)跡の碑もある。

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こちらにも。
「靱公園のこの付近一帯は江戸時代以来昆布、塩干魚、鰹節などの海産物の市場として靭の中心となしていた。これらの商人が荷揚げの便をよくするために寛永元年(1624)海部堀川を開削し、阿波堀川とこの川をつなぐ永代堀の屈折点を永代浜と称し、海産物の荷揚浜として賑わった。」

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靭海産物市場跡。

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江戸時代のはじめ、北浜にあった海産物の市場が移転し、元和8年(1622)干物などを扱う市場がこちらに移ってきたとある。

で、
いったい永代浜ってどんなとこだったんだろう?
って思いますよね。
私も気になったので調べてみました。

まずは位置確認。
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明治18年測量の地図です。
永代浜の雁木(がんぎ)と上海部橋(上之橋)、永代橋も確認できる。赤い印は楠の推定位置です。

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大阪市パノラマ地図です。大正12年頃の永代浜が描かれている。
上之橋の袂に大きな木が確認できますね。

eidai_003.jpg
現在の地図と重ねてみます。
大阪の都心部は戦後の道路拡張で旧地図と重ねるのがかなり困難。ほぼこんな感じでしょうか。

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堀の位置はこんな感じ。
現場にはそれらしい遺構はまったくありません。

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航空写真です。

次に絵図で確認。
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摂津名所図会の永代濱です。
右手に鮮魚も確認できますが、荷揚げされている物はほとんど梱包されている。乾物なんでしょうね。

永代浜(浪花百景)の拡大
eitai.png
浪花百景の永代浜です。手前は上之橋、右にちらっと見えるのが永代橋、奥に描かれている大屋根は北御堂でしょうか。

(関連サイト)【 錦絵にみる大阪の風景


最後は写真で。
「わがまち今昔じまん」より
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撮影時期は不明ですが明治時代っぽい。
舟こそ写っていませんが荷揚げされた様子がよくわかる貴重な写真だ。

「ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 大阪」より
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これはさらに新しい写真かも。
手前のポールは電信柱のようです。奥にもそれが確認できる。
電気が普及していた時代のようですね。

「埋もれた西区の川と橋」より
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上之橋が架け変わっています。
それにしても、昔の楠の方が大きいように思える。
おそらく現在の楠は地盤沈下で沈んだ分を盛土しているのかもしれない。
それも2メートルくらいは。

IMG_6222_3.jpg

どうでしょう。
これだけ変化した土地も珍しいかもしれませんね。
その中で、約300年間ずっとこの地に根を下ろしている
この楠は凄いかも!と思いだしてきました。
調べる前は巨樹とは言いにくい樹だなぁと思っていたのですが
調べていくうちに愛着がわいてきてしまった。
もしかしたら大阪再生のシンボルにふさわしい樹かもしれないな。



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今里・八王子神社御旅所の楠

2011年08月19日 00:00

巨樹巡礼 その6
八王子神社御旅所の楠

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旧西今里村の氏神・旧八剣神社、
現在は八王子神社御旅所となっている場所に大きな楠がある。

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手前の店はお米屋さん。その奥の倉庫は地車庫だ。
地蔵尊も角にある。いい感じの町並み。

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かなり巨大な楠だ。

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鳥居には八王子神社御旅所とある。

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楠の根元にある社。

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玉楠木大明神。

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八剣神社としての由緒はかなり古いようです。
しかし明治42年に中本の八王子神社に合祀され、
現在はそこの御旅所になっています。

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八剣神社跡の碑。

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明治18年測量の地図です。
この楠は西今里村の赤い印の所。
本庄村の北にある赤い印が八王子神社です。

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現在の地図と重ねるとこのような位置になる。
くねくね道が残るなかなか興味深い地域だ。

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樹齢は1300年だそうです。
よく見ると幹の半分は枯れているようです。

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まるで巨大なオブジェだ。

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しかし、全体的には生き生きとした葉を繁らせている。
凄い生命力を感じる。

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この楠は平成16年にやっと大阪市の保存樹に指定されました。
もっと早くに指定されていてもおかしくないんですけどね。
立派な巨樹です。

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さて、周辺の道はくねくねした旧道が残っています。

IMG_1733_2.jpg
その名も「楠通」です。


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(関連記事)
大阪巨樹巡礼 6 八王子神社御旅所の楠2011.08.19
今里・暗越奈良街道2011.08.21
大今里・熊野大神宮と妙法寺2011.08.24
西今里・東今里2011.08.26
東成・旧本庄村・旧中道村2011.08.28


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島頭天満宮の楠

2011年08月17日 08:00

巨樹巡礼 その5
門真・島頭天満宮の楠

京阪「萱島」駅の近くにある島頭(しまがしら)天満宮。
こちらにも大きな楠がありました。

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写真では伝わりにくいですがかなりでかい楠です。
楠もいろいろな形があります。
ボテッとして枝を四方に伸ばしたずんぐりむっくり型や
シュッとまっすぐ伸びたスタイリッシュ型など。
この楠はスタイリッシュ型ですね。

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幹が太い。

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途中で枝分かれしているのですがどれもまっすぐ伸びている。

IMG_6058_2.jpg
門真市の保存樹で指定番号は6。

IMG_6085_2.jpg
横からだと全体が入らなかった…。


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蒲田神社の蒲田千年樟

2011年08月13日 08:00

巨樹巡礼 その4
東三国の蒲田千年樟

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地下鉄御堂筋線「東三国」駅徒歩1分にある蒲田(かまた)神社。

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鳥居をくぐると右手に大きな切り株がある。

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白光社が祀られているが樹齢約650年と言われるクスノキの切り株です。

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こちらが拝殿。

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そして本殿の裏に大きなクスノキがあります。

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ただ、幹が一部切られているようです。

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これが蒲田千年樟。

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横からみるとその太さがよくわかる。
1本にも見えるが3本が一体化したようにも見える。
真ん中の一番太い幹が枯れて切られている。

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少し引いてみるとこんな感じ。
葉っぱの茂り方がやや少ない。

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横から見ると一番太い幹が生きていた時の姿が想像できる。
かなり立派なクスノキだったに違いない。

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このクスノキにはたくさんのセミの抜け殻が付いていた。
若い木で育ったセミとはまた違うセミなのかもしれないと思ってしまった…

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一部は枯れてしまったがまだまだ力強く生きている蒲田千年樟。
大阪市内にこんな立派な木があることはうれしいものです。


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