京街道を歩く(2)幻の大阪遷都ゆかりの地
難宗寺と盛泉寺と大銀杏
大塩平八郎ゆかりの書院跡があった場所から少し東に行くと立派な太鼓楼が見える。

その下に道標が
御行在所
御假泊所
すぐ 守口街道
左 京

手前の道標
右 大阪
ですね。ちなみに右に行った大塩平八郎ゆかりの書院跡(現マクド)の向かいの駐輪場に守口宿本陣跡の案内板があったみたい。気付かなかった…

長屋門も立派だ。

こちら難宗寺(なんしゅうじ)は連如上人が文明9年(1477)に守口坊として建立したのが始まりだとか。※連如上人って誤字?蓮如上人ですよね。

山門横には明治天皇守口行在所の石碑がある。

本堂です。立派だ。

本堂の横に石碑があった。

明治大帝聖跡とある。

山門の横に大きな銀杏の木がある。
突然ですが
大阪巨樹巡礼 その8難宗寺のいちょう
この銀杏、大阪府指定天然記念物です。

樹齢は約400年だとか。先ほどの守口市教育委員会の案内板には樹齢約500年になっていました。とにかくデカイんです。

境内からはカメラになかなか収まらなかった。

外から見てもデカイ。

紅葉の季節にまた来てみたい。
きっと綺麗だろうな。
(関連記事)
「
難宗寺のいちょうの紅葉」
2011.12.14さて、
京街道はこの道をまっすぐ進んでいきます。

道路の反対側にも道標があった。
東海道 守口
守口宿は東海道五十七次なのだそうです。

難宗寺の近くにある盛泉寺(じょうせんじ)。

こちらの石碑には
史跡 内侍所奉安所阯 とある。

石柱の側面には
史跡名勝天然記念物保存法二依リ
明治天皇守口行在所及内侍所奉安所阯トシテ
昭和十三年八月文部大臣指定
とある。

この案内板は指定当時の物のようだ。かろうじて文字が読める。
説明
明治元年大阪行幸の際三月二十二日難宗寺(守口行在所)に御駐泊あられられたる時及閏「門<壬」四月七日還幸の時の両度内侍所を安置し奉りたる處にして奉安所の阯地は当寺の本堂前にあり
注意
一、指定地域内に立入らざる事
一、其の他現状変更を爲さざる事
昭和十四年三月二十二日
文部省

こちらには
幻の大阪遷都ゆかり寺
とある。
簡単に要約すると、
慶応3年の大政奉還の後、慶応4年3月22日(9月に明治と改元)に大久保利通が大阪遷都を目論み、明治天皇を京都から大阪のこの地に行幸いただいた。お泊りになられたのが難宗寺。盛泉寺には内侍所が置かれたのです。その後東京遷都が決まるわけですが、ほんのちょっとだけ大阪が首都?だったことがあったのです。
(なぜが江川の空白の1日を思い出してしまったのは私だけだろうか…)

難宗寺は西御坊、盛泉寺は東御坊と呼ばれているそうです。

本堂の正面に立派な松がある。

本堂と松の間に石碑があった。
内侍所之跡
この場所に内侍所(ないしどころ)があったのですね。
ちなみに内侍所とは三種の神器の一つである神鏡を安置する場所です。
幻の大阪遷都。
そんなことが大政奉還後にあったとは…より大きな地図で 新之介の京街道 を表示(守口~京橋~高麗橋)
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