2012年01月05日 08:00
京街道を歩く(27)
樟葉砲台跡・久修園院

明治22年測量の地図です。

現在の地図と重ねると

このようになる。

町楠葉と呼ばれる地域です。ここから歩いていきます。

歩き出してすぐに石柱があった。
松榮山 長福寺参道。

細い参道の先に

浄土宗 長福寺があった。

昭和な感じの町楠葉会館。

町楠葉は京街道沿いにあるので昔は旅館や飲食店が軒を連ねていたようです。

しかし、慶応4年の鳥羽伏見の戦いで、新政府側に寝返った高浜砲台側からこの北部にあった楠葉砲台が狙われ交戦、その時この町は全焼したといいます。

その後、町は昔のようには戻らなかった。京阪電車の開通により人の往来が少なくなったのも理由のひとつかもしれません。

古そうな石仏がありました。こちらは浄土宗 光明院。

ずっとこの街道を見続けている仏さんなのかもしれませんね。
余談ですが、旧地図を見るとこのお寺の裏側に渡し場があったようです。

さて、京阪の線路が見えてきました。

京街道は京阪電車に沿って西側に続くのですが、普通の府道なので東側を歩いて行くことにします。正面に大きな木が見えてきた。

そこにあるのが禅(曹洞)宗 久親恩寺(くしんおんじ)。「久しき親の恩」と書き、俗に楠葉道心の寺と呼ばれていた歴史ある寺のようです。

寺の裏に土手があるのですが、

そこに戊辰役橋本砲台場跡の碑がある。

当時は3万平方メートルの敷地内にカノン砲3門・番所・火薬庫があったといいますからかなり広いかったようです。

さらにこの辺りには奈良時代の和銅4年(711)に設けられた楠葉駅があったそうです。今はそれがどこなのかわかっていません。

さて、このあぜ道を歩いていきます。

とても気持ちがいい場所です。写真を加工したくなる ^^

こんもりした木が見えてきました。

京阪電車からもよく見える久修園院(くしゅうおんいん)。
行基49院の一つです。

昔は七堂伽藍(しちどうがらん)と多くの塔頭をもつ広大な寺院だったようですが、

大阪夏の陣に破れた豊臣方の武将が当院にかくれ火を放って自刃したため、堂塔仏閣はすべて焼失してしまったそうです。

寺所蔵の天球儀と地球儀が枚方市指定文化財と書かれていますが、

久修園院を再建した宗覚律師(そうかくりっし)という方は、医学、儒学、仏教を学び、絵画、彫刻にもすぐれ、天文、音楽にも精通していて、地球儀や琴なども作ったというスーパーマンのような方だったようですよ。

このあぜ道をぬけて踏切を渡ると橋本です。

歩いたのは11月の中頃、

たんぽぽのわたぼうしからタネが飛んでいこうとしていた。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
ポチッと、応援よろしく♪
樟葉砲台跡・久修園院

明治22年測量の地図です。

現在の地図と重ねると

このようになる。

町楠葉と呼ばれる地域です。ここから歩いていきます。

歩き出してすぐに石柱があった。
松榮山 長福寺参道。

細い参道の先に

浄土宗 長福寺があった。

昭和な感じの町楠葉会館。

町楠葉は京街道沿いにあるので昔は旅館や飲食店が軒を連ねていたようです。

しかし、慶応4年の鳥羽伏見の戦いで、新政府側に寝返った高浜砲台側からこの北部にあった楠葉砲台が狙われ交戦、その時この町は全焼したといいます。

その後、町は昔のようには戻らなかった。京阪電車の開通により人の往来が少なくなったのも理由のひとつかもしれません。

古そうな石仏がありました。こちらは浄土宗 光明院。

ずっとこの街道を見続けている仏さんなのかもしれませんね。
余談ですが、旧地図を見るとこのお寺の裏側に渡し場があったようです。

さて、京阪の線路が見えてきました。

京街道は京阪電車に沿って西側に続くのですが、普通の府道なので東側を歩いて行くことにします。正面に大きな木が見えてきた。

そこにあるのが禅(曹洞)宗 久親恩寺(くしんおんじ)。「久しき親の恩」と書き、俗に楠葉道心の寺と呼ばれていた歴史ある寺のようです。

寺の裏に土手があるのですが、

そこに戊辰役橋本砲台場跡の碑がある。

当時は3万平方メートルの敷地内にカノン砲3門・番所・火薬庫があったといいますからかなり広いかったようです。

さらにこの辺りには奈良時代の和銅4年(711)に設けられた楠葉駅があったそうです。今はそれがどこなのかわかっていません。

さて、このあぜ道を歩いていきます。

とても気持ちがいい場所です。写真を加工したくなる ^^

こんもりした木が見えてきました。

京阪電車からもよく見える久修園院(くしゅうおんいん)。
行基49院の一つです。

昔は七堂伽藍(しちどうがらん)と多くの塔頭をもつ広大な寺院だったようですが、

大阪夏の陣に破れた豊臣方の武将が当院にかくれ火を放って自刃したため、堂塔仏閣はすべて焼失してしまったそうです。

寺所蔵の天球儀と地球儀が枚方市指定文化財と書かれていますが、

久修園院を再建した宗覚律師(そうかくりっし)という方は、医学、儒学、仏教を学び、絵画、彫刻にもすぐれ、天文、音楽にも精通していて、地球儀や琴なども作ったというスーパーマンのような方だったようですよ。

このあぜ道をぬけて踏切を渡ると橋本です。

歩いたのは11月の中頃、

たんぽぽのわたぼうしからタネが飛んでいこうとしていた。
より大きな地図で 新之介の京街道 を表示
(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
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2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
7.京街道を歩く・大庭一番・佐太天神宮
8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
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25.京街道を歩く・樟葉
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33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
37.京街道を歩く・東寺
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