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京街道を歩く・高麗橋

2012年04月03日 07:30

京街道を歩く(42)
京橋口~八軒家~高麗橋

koraibashi_01.jpg
明治18年測量の地図です。

koraibashi_02.jpg
現在の地図と重ねると

koraibashi_03.jpg
このようになる。

IMG_7089.jpg
筋鉄門跡です。

IMG_7088.jpg
筋状の鉄板で補強された門扉があったのだとか。

「大阪市100年」より
sujigane.jpg
大阪砲兵工廠時代の写真です。これが筋鉄門だと思います。

IMG_7097.jpg
この建物は便所だったと資料には記されていました。
便所だけではなかったかもしれませんが。
(関連記事)「大阪砲兵工廠って? 2009.01.31

IMG_7093.jpg
旧化学分析場の建物です。

IMG_7096.jpg
前の堀の向こうに大阪城が見える。

IMG_7099.jpg
ここが京橋口。

IMG_7105.jpg
さて、京街道を歩いていきます。
ここは日本経済新聞の裏道です。

IMG_7107.jpg
何やら石垣がある。

IMG_7114.jpg
1620年の大阪城再築の頃のものらしい。

IMG_7118.jpg
少し歩くとふたたび石垣が。

IMG_7119.jpg
これは豊臣時代の石垣のようです。

IMG_7124.jpg
三の丸の石垣なのだとか。地中にあったものを移築しています。

IMG_7143.jpg
さて、

IMG_7158.jpg
OMMビルを通りすぎて

IMG_7193.jpg
天満橋交差点です。谷町筋が隆起していますね。上町台地の先端部です。

IMG_7179.jpg
八軒家浜です。

IMG_7174.jpg
昔の八軒家浜の船着場はここではなく少し南側にありました。

IMG_7205.jpg
こちらのお店の前に石碑があります。

IMG_7223_1.jpg
八軒家船着場の跡の碑。

IMG_7214.jpg
元船着場があった場所は、こちらの少し斜め前あたりだと思われます。※3枚目の地図参照

「淀川両岸一覧」より
hachiken_01.jpg
船着場の左奥に描かれている道が気になるな。

IMG_7224.jpg
ここに「八軒家の今昔」という冊子がおいてある。

IMG_7228.jpg
浪花百景などの版画も多く載っていてとても参考になりますよ。

IMG_7227.jpg
横にある駐車場。後ろの石積みが高低差を表している。

IMG_7236_20120401180722.jpg
その横にある石の階段。ここも上町大地の先端ですね。
この道が「淀川両岸一覧」に描かれていた道ではないでしょうか。

IMG_7232.jpg
角にある木造の建物。

IMG_7245.jpg
次の筋は熊野街道、この辺りが起点になります。

IMG_7243.jpg
どこまで行けるかわからないが一度歩いてみたいな。

IMG_7266.jpg
アスファルトが敷かれる前はどういう道だったのだろう。。

IMG_7290.jpg
天神橋です。

IMG_7298.jpg
地味だが天神橋橋暦碑というのがある。

IMG_7296.jpg
地味に皇紀二千六百年記念の石碑もある。

IMG_7295.jpg
どうでもいいことなのですが、石碑のてっぺんの穴から木がはえているのです。

IMG_7273.jpg
天神橋からの眺め。

IMG_7288.jpg
大林ビルと

IMG_7309.jpg
旧大林組本社ビルのルポンドシエルビル。

IMG_7305.jpg
意匠が素敵ですよね。

IMG_7316.jpg
大林ビルの隣の敷地で発掘調査が行われていました。

IMG_7313.jpg
何があった場所なんだろう。

IMG_7328.jpg
さて、高麗橋です。

IMG_7322.jpg
高麗橋 こうらいばし
東横堀川は大阪城築城のとき外堀として改修されたといわれる。高麗橋はそのころにかけられたらしく現在大阪城天守閣に保存されている慶長9年(1604)の銘のある鉄製擬宝珠(ぎぼし)はこの橋のものと伝えられている。
江戸時代の高麗橋は幕府管理の12公儀橋の中でも格式高く、西詰に幕府の御触書を掲示する制札場があったほか諸方への距離をはかる起点にもなっていた。
明治3年(1870)9月大阪最初の鉄橋にかけかえられ、さらに昭和4年(1929)6月に現在の鉄筋コンクリートアーチ橋にかわった。欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷(やぐらやしき)を模した柱は昔の面影をしのぶよすがとなっている。
昭和51年春 大阪市

IMG_7340.jpg
擬宝珠のレプリカです。

IMG_7339.jpg
慶長九年 甲辰 八月吉日 と刻まれている。

IMG_7335.jpg
現在の橋のデザインは西詰にあった櫓屋敷を模している。

「ふるさとの想い出写真集 大阪」より
koraibashi_04.jpg
写真に写っているのが櫓屋敷です。

koraibashi_05.jpg
柴島浄水場の水道記念館にあった高麗橋の模型。
当時、西詰に制札場(高札場)があったことがわかる。

IMG_7329.jpg
明治時代、東詰に里程元標(りていげんぴょう)が置かれ、西日本主要道路の距離計算はここを起点として行われていました。京街道・中国街道・紀州街道などがそれです。
ここがこのシリーズの終着点でもあります。


さて、昨年の9月の守口から歩き始めた「京街道を歩く」シリーズは一旦ここで終了いたします。最後までお付き合いありがとうございました。京街道は新しい発見があってとても面白かったです。

さて、次はどこを歩きましょうか…



より大きな地図で 新之介の京街道 を表示


(守口~京橋~高麗橋)
42.京街道を歩く・高麗橋
41.京街道を歩く・京橋
40.京街道を歩く・関目・野江
39.京街道を歩く・土居・今市・森小路
38.京街道を歩く・守口~京橋の地図
(守口~京へ)
1.京街道を歩く・守口の文禄堤
2.京街道を歩く・難宗寺・盛泉寺
3.京街道を歩く・一里塚・専教寺・正迎寺
4.京街道を歩く・八坂瓊神社・大庭七番
5.京街道を歩く・大日村
6.京街道を歩く・大庭五番・大庭二番村
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8.京街道を歩く・来迎寺と松
9.京街道を歩く・仁和寺村
10.京街道を歩く・点野・茨田樋遺跡
11.京街道を歩く・太間・茨田堤の碑
12.京街道を歩く・河内名所図絵
13.京街道を歩く・木屋・鞆呂岐神社
14.京街道を歩く・出口
15.京街道を歩く・出口・光善寺
16.京街道を歩く・枚方宿
17.京街道を歩く・枚方宿・鍵屋
18.京街道を歩く・枚方宿・万年寺跡
19.京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅
20.京街道を歩く・枚方宿・岡・岡新町
21.京街道を歩く・天ノ川・磯島
22.京街道を歩く・渚の院・御殿山神社
23.京街道を歩く・三栗・阪・片埜神社
24.京街道を歩く・下島・上島・樋之上
25.京街道を歩く・樟葉
26.京街道を歩く・樟葉宮旧跡・交野天神社
27.京街道を歩く・樟葉台場跡・久修園院
28.京街道を歩く・橋本
29.京街道を歩く・橋本~御幸橋
30.京街道を歩く・石清水八幡宮
31.京街道を歩く・美豆・淀
32.京街道を歩く・淀城跡・淀納所
33.京街道を歩く・富森・横大路
34.京街道を歩く・下鳥羽・月の桂
35.京街道を歩く・鳥羽伏見の戦いと下鳥羽
36.京街道を歩く・上鳥羽
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京街道を歩く・京橋

2012年03月18日 09:00

京街道を歩く(41)
京橋と廃線跡と京橋と

kyobashi_006.jpg
明治18年測量の地図です。

kyobashi_007.jpg
現在の地図と重ねるとこのような位置関係になる。

kyobashi_008.jpg
京橋駅は旧野田村の外れにできたことがわかる。

kyobashi_009.jpg
さらに昭和4年測量の地図です。
京阪・京橋駅はまだ存在せず、旧線路は京街道沿いの住宅を避けるように敷かれていました。西側に野田橋駅が確認できる。鯰江川に架かる野田橋を渡った場所には片町駅がある。

IMG_6328.jpg
都島中三商店会を歩いていきます。

IMG_6329.jpg
玄関の丸電球がいいですね。

IMG_6330.jpg
どこか懐かしさを感じる建物。こちらは地域のお医者さんです。

IMG_6337.jpg
街道と並行した道に長屋があった。

IMG_6338.jpg
部分的に当初の雰囲気が残っている。

IMG_6339.jpg
煙突が見えたのでさらに奥へ。

IMG_6341.jpg
野江のニュー朝日温泉。

IMG_6342.jpg
かなりええ感じのコインランドリー。

IMG_6335.jpg
再び京街道へ。

IMG_6344.jpg
マンションの横に地蔵尊があった。

IMG_6348.jpg
榎並(えなみ)地蔵。

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石に2体の仏さんと下には道標が刻まれている。
「者し向 右 可も 今ふく」
「橋向こうを 右へ 蒲生 今福」と解釈できるようです。

IMG_6357.jpg
さらに進みます。

IMG_6361_20120316010926.jpg
昔の面影を残す塀。

IMG_6364_20120316010925.jpg
タイルの外壁がいいです。

IMG_6367.jpg
黒いタイルがかっこいい。

IMG_6370.jpg
2階窓の手すりもいいなぁ。

IMG_6371.jpg
で、商店街に入っていきます。

IMG_6373.jpg
ええ感じのたばこ屋さん。

IMG_6375.jpg
道が二又に分かれる場所にあるドームのアーケード。

IMG_6385.jpg
それを過ぎると明らかに何かの跡だとわかる場所がある。(A)

kyobashi_09.jpg
(A)の場所がそこです。

IMG_6386.jpg
反対側の(B)の場所もその跡が続いています。

kyobashi_08.jpg
昭和4年測量の地図と重ね合わすと線路が現れた。線路の北側には淀川貨物駅がありました。

IMG_6389.jpg
ここは(C)の場所。

IMG_6395_20120316011210.jpg
ここには陸橋があったのでしょう。
ところで、右の木製の電柱がかなり気になるな。

IMG_6403.jpg
さて、商店街(京街道)をぬけたとこ。

IMG_6405.jpg
陸橋の下をまっすぐ進みます。

IMG_6410.jpg
京阪モールの建物沿いを進むと

IMG_6958.jpg
ここで一旦行き止まり。

IMG_6415.jpg
京阪モールの向かいに大きな道標があります。
右 大和 なら のざき
左 京みち

IMG_6955.jpg
右 大坂
文政九年丙戌年九月吉日 
この大きな道標、元は片町橋西詰めにあったものが移設されたのだそうです。(大阪の街道と道標より)

IMG_6960.jpg
ところで、この道標はタクシーの横の緑地帯にあるのですが、

kyobashi_08.jpg
この道は京阪電車が走っていた場所です。(F)

IMG_6412.jpg
京橋と言えばグランシャトー。

IMG_6932.jpg
その横の道も京阪電車の線路跡だったようです。(D)

IMG_6935.jpg
まっすぐな道が続いてる。

IMG_6941.jpg
現在の京阪・京橋駅が高架化されたのは昭和44年(1969)、

IMG_6943.jpg
この路線はその後廃止されました。(E)

IMG_6959.jpg
ここに電車が通っていたのが想像しにくいのですが、connyさんのサイトにいい写真がありますよ。4枚目の写真がかなりわかりやすい。
京阪本線・旧京橋駅おーさか、ぶらっConny!


京阪電鉄 天満橋-野江間高架複々線工事記録
「天満橋-野江間高架複々線工事記録」の映像です。約24分あります。

IMG_6973.jpg
さてさて、京阪・京橋駅の南側です。

IMG_6975.jpg
ここに地蔵尊がある。

IMG_6980.jpg
二人地蔵尊というそうだ。

IMG_6986.jpg
この京街道、まわりの土地とくらべると隆起しています。

IMG_6983.jpg
明らかに高い場所にある。

IMG_6969.jpg
下から見るとこのような感じ。昔の面影は土地の形状としてのみ残っています。

IMG_6989.jpg
反対側は階段になっている。この下には鯰江川が流れていました。

IMG_6991.jpg
ゆるやかなカーブを曲がると

IMG_6997.jpg
橋跡の碑がある。野田橋がここにありました。

IMG_6998.jpg
江戸時代初期に架けられた公儀橋です。

IMG_7003.jpg
皇紀2600年記念の碑も残っている。

IMG_7007.jpg
建物と建物の間の細い道に野田橋は架かっていました。

kyobashi05.jpg
明治18年測量の地図を見ると位置がわかりますね。

kyobashi03.jpg
現在と重ねるとこうなる。

kyobashi02.jpg
昭和4年測量の地図です。
野田橋の北側に京阪・野田橋駅がありました。

IMG_7010.jpg
私が立っている場所が昔の野田橋駅の辺りだと思われます。

IMG_7026.jpg
その近くにお堂がある。

IMG_7015.jpg
手前のお堂には石仏がたくさん祀られていました。

IMG_7018.jpg
奥のお堂は行者堂というそうです。

IMG_7019.jpg
地蔵尊の上になにやら書かれている。

のだばしの
さかのほとりの
なむぢぞう
われをたのめど
たすけたまうぞ

IMG_7031.jpg
野田橋があった場所を行くと正面に大阪城が見える。

IMG_7028.jpg
左手には鯰江川が流れていた川跡の道路。
駐車場の奥は旧片町駅があった場所です。

IMG_7035.jpg
京街道はこの道を西へ。

IMG_7051.jpg
京橋まではもうすこし。

IMG_7056.jpg
寝屋川沿いに旧大阪砲兵工廠化学分析場の建物が見えてきた。

IMG_7069.jpg
この橋が京橋です。

IMG_7078.jpg
一般的に京橋といわれている京橋駅周辺から実際の京橋まではかなりの距離がある。

IMG_7068.jpg
橋の袂に「京橋川魚市場跡」の石碑があります。

IMG_7066.jpg
海の魚ではなく川の魚を扱う市場があったようですね。

ところで、
今は地味な京橋ですが江戸時代の京橋はどのような場所だったのでしょう。淀川両岸一覧に当時の様子が描かれていました。

「淀川両岸一覧」より
ryogan_kyobashi2.jpg
京街道・川崎渡口とあります。現在の川崎橋の辺りで、手前に雁木があり、奥に備前島橋、その奥が京橋です。

「淀川両岸一覧」より
ryogan_kyobashi.jpg
こちらの絵では左側に京橋が。橋の袂には雁木があったことがわかりますね。

kyobashi05.jpg
この地図には川崎橋が出来ていますが、矢印がアングルの想定場所です。

ryogan_kyobashi.gif
これらの絵はつなげるとパノラマ絵図になっています。
京街道の起点にふさわしい賑やかな場所だったようですね。



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(守口~京橋~高麗橋)
42.高麗橋
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京街道を歩く・淀川両岸一覧・枚方駅

2011年11月24日 08:00

京街道を歩く(19)
淀川両岸一覧・枚方駅

江戸時代の京街道がどのような風景であったかを知るのに「河内名所図会(1801)」はとても貴重な資料でした。今回はそれとよく似た資料で「淀川両岸一覧」を見ながら当時の京街道に想いを馳せてみようと思います。

「淀川両岸一覧」とは、川から見た風景を描いた旅行案内記のようなものです。出版は文久年間(1861~1863)と言われているので、あと数年で明治維新という時代のものです。

yodoryo_008.jpg
江戸時代の面影が残る明治21年測量の地図です。
地図の下部に伊加賀村と伊加賀村字堤町の文字が確認できる。
湾になっている場所は明治18年淀川大洪水で堤防が決壊した場所です。
江戸時代、おそらくこの湾はなかったのでしょう。
その上の泥町村から枚方宿になります。
その川べりに浄念寺があり、丘の上に臺鏡寺がある。
泥町村と三矢村の間に山に向かって道があり、
その道沿いに願生坊、山の上には萬年寺。
三矢村から淀川沿いを北に伸びる道は渡し場へ続く道です。

yodoryo_001.jpg
「淀川両岸一覧・伊加賀」
枚方宿の西端に隣接する伊加賀村。伊加賀川と伊加賀橋が描かれている。
この川は、現在せせらぎの水路として整備されている川のことだと思う。

yodoryo_002.jpg
「淀川両岸一覧・其二 枚方駅 泥町」
泥町には淀川を上下する船を監視する船番所が置かれていました。江戸時代の淀川では通行手形を持ち独占的に運行していた過書船(かしょぶね)と、後に公許された伏見船が激しく競合していたそうで、泥町にその2つの船番所があったそうです。資料を見ると東側に過書船船番所が、西側に伏見船船番所があったようです。

yodoryo_005.jpg
「淀川両岸一覧・其三」
この絵の中には大きな屋根が3つ描かれている。浄念寺、願生坊、臺鏡寺だと思います。右の三十石船らしき船に寄り添っている小さな舟はくらわんか舟かもしれない。

yodoryo_007.jpg
「淀川両岸一覧・其四 枚方渡口」
宿場町を離れ川沿いを少し歩くと渡し場がありました。駕籠を担ぐ人や旅人、畑を耕す人が描かれている。山の上に見える屋根は萬年寺でしょうか。左の小さい舟が渡し舟でしょう。

yodoryo_000.jpg
隣接する3つの絵をつなぎ合わせてみました。
どうでしょう。江戸時代の枚方宿が見事に描かれています。

大きめの画像(3000x740)を貼っています。
下記の文章を読みながら江戸時代の枚方宿にタイムスリップしてくださいませ ^ ^


枚方駅(ひらかたのえき)
伊加賀村につづく。守口の駅より当駅まて、陸路行程二里。松が鼻より此所まで、水上凡三十町といふ。
此駅は、京師浪花(みやこなにわ)の通路のうへ、西国の諸侯方、関東参勤の官道なるがゆへに、旅舎、本陣、茶店、貨食家(にうりや)多く、将(はた)、飯盛の女などありて、昼夜とも賑わしく、駅中、泥町、三矢、岡、新町等の小名ありて、町続き頗(すこぶ)る長く、至ての繁花(はんくわ)なり。又、両六条の御坊も有て、東は願生坊といひ、西を浄念寺といふ。詣人(けいじん)常に間断なし。貨食船は当初の名物にして、夜となく、昼となく、ささやかなる船に、飯、酒、汁、餅なとを貯へ、上り下りの通船を目がけて、鎰(かぎ)やうの物を其船に打かけ、荒らかに苫引あけ、眠かちなる船客を起して、声かまびすしく酒食を商う。俗に、これを喰(くら)わんか船と号す。往来の船に、もし風波の難ある時は、此船々漕つれ出て、夫を助くる役ありと聞こゆ。「淀川両岸一覧」より


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