2012年06月18日 22:20
伊勢古市参宮街道を歩く(3)
寂照寺と麻吉旅館

古市街道を歩いていていると古い建物が少ない事に気付きます。
調べてみると、昭和14年の火事と昭和20年の空襲によってかなりの範囲が焼けたそうです。旧街道を歩くとそういうことにも気付かせてくれる。

ええ感じの防火水槽だ。

普通に赤丸ポストもあった。

コカコーラの看板に

ファンタの看板。いいですね。

さて、こちらは寂照寺(じゃくしょうじ)。
月僊(げっせん)上人遺跡と刻まれた立派な碑が街道沿いにある。

あの江姫の娘・千姫の菩提を弔うために延宝5年(1677)に知恩院第37世寂照知鑑上人によって創建された寺なのだそうです。

明るくきれいな境内。

さりげなくくぐった山門は国の登録有形文化財だそうです。

寺を再興した月僊上人の像。
画家としても有名だった方のようです。

こちらが本堂。

月僊上人像の右手にあった観音堂も国の登録有形文化財です。

中をのぞくと観音さんのお写真が。

こちらの金毘羅堂も国の登録有形文化財だそうです。

中をのぞかせていただきました。

こちらはきれいに改装されていますが、
中に回転式八角輪蔵というのがあるそうで、こちらは県指定文化財のようです。

文化財だらけですね。
ふらっと立ち寄っただけなのですが、さりげなくすごい寺でした。

さて、先に進みましょう。

電柱看板に「旅館麻吉」の文字が。

横道の一番奥に古そうな建物が現れました。

こちらが今回の街道歩きの目的のひとつ、

旅館 麻吉です。

これは2階建ての建物ですが、

土地の高低差を利用して建物が下まで続いている。

案内板がありました。

その横に気になる道標。
「左 あさま 二見 へちか道」

この案内板を読むと麻吉のことがほぼわかります。

麻吉旅館
所在 伊勢市中之町
麻吉のあらまし

麻吉の創業は明らかでありませんが、天明2年(1782)の古市町の屋並図に記されているので、それ以前であることは確かです。

もと花月楼といい、茶屋でありました。明治時代県下では珍しい三層楼として、伊勢音頭の舞台を持ち、芸妓も30人ほど常時抱えた県下第一級の大料理店でありました。

麻吉の伊勢音頭は「つづら石」といい、近傍の巨大な名石を主題としたものでありました。

現在4棟の中心建物があり、いわゆる懸崖造りで最上層まで6層級に及んでいます。

この最上層からは、はるかに朝熊山・二見なども遠望でき、聚遠楼の名で喧伝されました。多くの文人たちの会も盛んでありました。

憲政の神様尾崎咢堂(1858~1954)が来勢のとき必ず常宿としたという、閑静な離れの部屋も保存されています。

麻吉は、かつての古市街の華やかさを偲ぶことのできる、唯一の遺構となっています。(案内板より)
現在古市の町には遊郭時代を偲ぶ建物はここしか残っていません。
それは町自体が空襲で大きな被害を受けたことも影響しています。
そういう意味でもこの建物はとても貴重です。

下まで下りるとなにやら大きな岩が祀られていた。

これが案内板に書かれていた「つづら石」でしょうか。
昭和49年にこの辺りが開発された時この地に安置されたのだとか。
さて、ふたたび上へ。

絵を描いている方がいらっしゃいました。

観光客もまばらなので、ここでひとり時間を過ごしているとタイムスリップしてしまいそうです。

空襲の被害を免れよくぞ残ってくれました。

こちらの建物は登録有形文化財です。

旅館として現在も営業されていますので、
中を見学されたい方はお泊まりになるのはいかがでしょう。
私もいつか泊まってみたい…
【 Facebookのアルバム・伊勢古市の麻吉旅館 】
より大きな地図で 古市参宮街道 を表示
(関連記事)
「伊勢古市参宮街道を歩く(1)お蔭参りとおかげ横丁」 2012.06.13
「伊勢古市参宮街道を歩く(2)古市遊郭の歴史」 2012.06.16
「伊勢古市参宮街道を歩く(3)寂照寺と麻吉旅館」 2012.06.18
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寂照寺と麻吉旅館

古市街道を歩いていていると古い建物が少ない事に気付きます。
調べてみると、昭和14年の火事と昭和20年の空襲によってかなりの範囲が焼けたそうです。旧街道を歩くとそういうことにも気付かせてくれる。

ええ感じの防火水槽だ。

普通に赤丸ポストもあった。

コカコーラの看板に

ファンタの看板。いいですね。

さて、こちらは寂照寺(じゃくしょうじ)。
月僊(げっせん)上人遺跡と刻まれた立派な碑が街道沿いにある。

あの江姫の娘・千姫の菩提を弔うために延宝5年(1677)に知恩院第37世寂照知鑑上人によって創建された寺なのだそうです。

明るくきれいな境内。

さりげなくくぐった山門は国の登録有形文化財だそうです。

寺を再興した月僊上人の像。
画家としても有名だった方のようです。

こちらが本堂。

月僊上人像の右手にあった観音堂も国の登録有形文化財です。

中をのぞくと観音さんのお写真が。

こちらの金毘羅堂も国の登録有形文化財だそうです。

中をのぞかせていただきました。

こちらはきれいに改装されていますが、
中に回転式八角輪蔵というのがあるそうで、こちらは県指定文化財のようです。

文化財だらけですね。
ふらっと立ち寄っただけなのですが、さりげなくすごい寺でした。

さて、先に進みましょう。

電柱看板に「旅館麻吉」の文字が。

横道の一番奥に古そうな建物が現れました。

こちらが今回の街道歩きの目的のひとつ、

旅館 麻吉です。

これは2階建ての建物ですが、

土地の高低差を利用して建物が下まで続いている。

案内板がありました。

その横に気になる道標。
「左 あさま 二見 へちか道」

この案内板を読むと麻吉のことがほぼわかります。

麻吉旅館
所在 伊勢市中之町
麻吉のあらまし

麻吉の創業は明らかでありませんが、天明2年(1782)の古市町の屋並図に記されているので、それ以前であることは確かです。

もと花月楼といい、茶屋でありました。明治時代県下では珍しい三層楼として、伊勢音頭の舞台を持ち、芸妓も30人ほど常時抱えた県下第一級の大料理店でありました。

麻吉の伊勢音頭は「つづら石」といい、近傍の巨大な名石を主題としたものでありました。

現在4棟の中心建物があり、いわゆる懸崖造りで最上層まで6層級に及んでいます。

この最上層からは、はるかに朝熊山・二見なども遠望でき、聚遠楼の名で喧伝されました。多くの文人たちの会も盛んでありました。

憲政の神様尾崎咢堂(1858~1954)が来勢のとき必ず常宿としたという、閑静な離れの部屋も保存されています。

麻吉は、かつての古市街の華やかさを偲ぶことのできる、唯一の遺構となっています。(案内板より)
現在古市の町には遊郭時代を偲ぶ建物はここしか残っていません。
それは町自体が空襲で大きな被害を受けたことも影響しています。
そういう意味でもこの建物はとても貴重です。

下まで下りるとなにやら大きな岩が祀られていた。

これが案内板に書かれていた「つづら石」でしょうか。
昭和49年にこの辺りが開発された時この地に安置されたのだとか。
さて、ふたたび上へ。

絵を描いている方がいらっしゃいました。

観光客もまばらなので、ここでひとり時間を過ごしているとタイムスリップしてしまいそうです。

空襲の被害を免れよくぞ残ってくれました。

こちらの建物は登録有形文化財です。

旅館として現在も営業されていますので、
中を見学されたい方はお泊まりになるのはいかがでしょう。
私もいつか泊まってみたい…
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「伊勢古市参宮街道を歩く(2)古市遊郭の歴史」 2012.06.16
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