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開高健旧宅解体

2011年02月08日 08:00

さよなら開高健旧宅
はじめまして開高健展


開高健・大阪北田辺の旧宅解体へ2010.12.12
さよなら開高健が育った旧宅2011.01.26

kaiko_001.jpg
とうとう、開高健さんが育った旧宅が解体されてしまいました。
在りし日の旧宅の写真を @chuunya さんからお借りしましたので紹介します。
僕は夜しか行ってないので昼間の写真はとても新鮮。

kaiko_003_20110207214950.jpg
ここは一階の居間です。
開高健さんはこの家で7歳~21歳頃まで過ごしました。

kaiko_004.jpg
中庭には大きな一枚ガラスのガラス戸。

kaiko_011.jpg
中庭の奥には洗面所があった。
窓が大きいので明るい。

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中庭から上を見上げるとベランダがある。
ベランダ側の部屋が開高健さんの部屋です。

kaiko_010.jpg
ベランダの床はかなり傷んでいるな…

kaiko_006.jpg
改装しているけど、この部屋が
開高さんが青春時代を過ごした部屋です。

kaiko_005.jpg
向かいの部屋は叔母さんが住んでいた部屋です。

kaiko_012.jpg
玄関からこぼれる明かりがなんともええ感じ。

kaiko_002.jpg
解体はとても残念ですが、旧宅が解体された数日後に、
大阪では始めてではないかと思うくらい大きな
開高健さんの展覧会が開催されます。

「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」 大阪市立大学東京有恒会

kaikou_chirashi.jpg

大阪市立大学創立130周年記念
生誕80年 大阪が生んだ 開高健

平成23年2月11日(金・祝)~ 2月20日(日)
午前11時~午後8時(最終日は午後6時閉場)
会 場 : なんばパークス・パークスホール(7階)

入場料 : 一般・大学生300円、65歳以上・高校生以下は無料


このタイミングでこの展覧会、
きっと開高健さんが企てたに違いない。


ぜひ、お立ち寄りくださいませ。


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さよなら開高健が育った旧宅

2011年01月26日 08:00

開高健の旧宅いよいよ解体へ &
生誕80年 大阪が生んだ開高健展

開高健さんが7歳~21歳頃まで住んでいた
旧宅の解体がいよいよ始まりました。

IMG_4038_3.jpg
解体の準備に入ったのは24日です。
聞くところによると手作業で解体するらしく
一週間ほどかかる予定だそうです。
私も最後の見納めをして来ました。

IMG_4040_3.jpg

私自身、最後のお別れの会「一夜限りのトリスバー」に
ちょこっと参加しただけなので偉そうなことはいえないのですが、
人知れずひっそり解体されていくのがちょっと残念。
せめて、もう少しマスコミにも取り上げてもらいたかった。
新聞ではちょこちょこ紹介されましたが、
あまり認知されていない印象があります。

IMG_4039_3.jpg
東京には開高健記念館があります。
でも、大阪には何もないんですよね。大阪出身なのに…
大阪では評価が高くないのだろうかと思ってしまう…

IMG_7933_3.jpg
この家がなくなると大阪には北田辺の駅前にある
開高健の文学碑が唯一の住んでいた証しになります。
その程度の作家なのでしょうか?
違いますよね。

IMG_7945_3.jpg
大阪が生んだ文学界の巨人の旧宅が残せなかったのは
やはりどこかに問題が潜んでいると思う。
住まなくなった家を親族の負担で残すことは現実的ではないし、
その家を大阪市が買い取って残す余裕など全くない。
そもそもこの家の価値は普通の民家と同じあつかいです。

また、次年度から相続税が改正されますが、
それが始まる前に解体される古民家を何件か見かけました。
このままだと大阪から貴重な建物がなくなってしまいます。
そんなことを真面目に考えている今日この頃です。

で、
来月の2月11日からなんばパークスで開高健展が行われます。
タイミングがあまりにもあまり…
kaikou_chirashi.jpg
大阪市立大学創立130周年記念
生誕80年 大阪が生んだ開高健展

平成23年2月11日(金・祝)~ 2月20日(日)
午前11時~午後8時(最終日は午後6時閉場)
会 場 : なんばパークス・パークスホール

入場料 : 一般・大学生300円

ぜひ、お立ち寄りくださいませ。


(関連記事)
「大阪の町並みを考える」を考える。ホンポウMAMAJAHの絶叫的つぶやき
さよなら開高健の旧宅「一夜限りのトリスバー」2010.12.12
開高健旧宅解体2011.02.08


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開高健・大阪北田辺の旧宅解体へ

2010年12月12日 00:00

さよなら開高健の旧宅 
「一夜限りのトリスバー」

開高健の旧宅が取り壊されることが決まり、
解体前に開高健を偲ぶ会がその旧宅で行われました。

開高健さん:旧宅でトリスバー 
 大阪・東住吉で10日、一夜限りの偲ぶ会
毎日新聞 (cache)
一夜限りのトリスバー 開高健さんしのび開店毎日新聞 (cache)
一夜限りの開高トリスバー☆Connyなブログ♂♀
旧開高邸のこと日常旅行日記


IMG_7917_3.jpg
近鉄南大阪線、北田辺駅。
駅前に開高健(かいこうたけし)の文学碑があります。

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少年時代のことを書いた一節。

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7歳の時に引っ越して来たようですね。

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駅前に古そうな建物が。
レコードとか楽器を売ってたみたい。
開高さん、レコードと買ってたのかな…

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商店街を歩いて2~3分の所に、

IMG_7957_3.jpg
開高健の旧宅があります。

IMG_7933_3.jpg
表札もかかったまま。

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4軒長屋の一番端っこで、他の4軒はすでに建替えられています。

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右側には同時代に建てられたっぽい長屋が続いている。
旧宅は昭和初期の建物だそうで、戦災をまぬがれています。

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開高さんはこの家で7歳~21歳頃までを過ごしたようです。

IMG_8594_3.jpg
さて「一夜限りのトリスバー」の当日です。

IMG_8564_3.jpg
玄関のたたきがタイルになっている。かわいい。

IMG_8417_4.jpg
当日は満員でこんな状態。

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旧制中学時代の同窓生で京大名誉教授の作花済夫先生のお話。
とても面白かったです。リアリティが違う。

当日の様子を @namihayanote さんがUstreamで配信していますので、
関心のある方はどうぞ。→ http://ustre.am/rhRg


ところで、開高健さんのことを簡単におさらいしますね。
「開高健」と書いて「かいこうたけし」と読みますが
僕らは「かいこうけん」って呼ぶことが多いです…。

昭和5年、天王寺区東平野町生まれ。
昭和12年にこの北田辺町に越して来て、
昭和18年、旧制天王寺中学に入学します。しかし当時は戦時中、
八尾飛行場や龍華操車場に勤労動員でかりだされていました。
昭和23年、旧制大阪高等学校に入学し、
昭和24年、新制の大阪市立大学に入学しています。
この頃から小説を書き始めたようですね。

学生時代に詩人で7歳年上の牧羊子と出会い、
昭和27年、22歳でできちゃった婚。
住吉区の牧羊子の家で暮らし始めます。

当時、牧羊子は寿屋(現・サントリー)の研究課に勤めていて、
彼女が開高健の就職を斡旋したそうです。
昭和28年に大学を卒業し、
昭和29年、寿屋に入社、宣伝課に配属されました。


「新潮日本文学アルバム・開高健」より
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旧本社社屋です。手前の橋は渡辺橋。

「新潮日本文学アルバム・開高健」より
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「裸の王様」で芥川賞を受賞したのが昭和33年、28歳の時です。
この写真は受賞直後で、お隣は牧羊子さん。

「新潮日本文学アルバム・開高健」より
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この有名なトリスウイスキーの広告ができたのは昭和36年。

「人間」らしくやりたいナ

トリスを飲んで
「人間」らしくやりたいナ

「人間」なんだからナ


「新潮日本文学アルバム・開高健」より
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昭和39年、朝日新聞社臨時海外特派員としてベトナムの戦地に行ったのは34歳の時、彼は最前線でベトコンに包囲され、九死に一生を得て昭和40年帰国。その後反戦活動も行っています。

「新潮日本文学アルバム・開高健」より
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でも、僕の開高さんのイメージはやはりこれかな。

「オーパ!」の冒頭でこんな中国のことわざが出てきます。

一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。       
    -中国古諺-

僕が若い時、あらゆる釣りをやったのは
このコトバの影響かもしれないな…


「新潮日本文学アルバム・開高健」より
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ここは、偲ぶ会でも少し話題になった赤坂にある「木家下(こかげ)バー」。
開高さんがいつも座っていたカウンターに

Nobless Oblige
位 高ければ、努め多し
MAESTRO KAIKO'S Memorial Seat

と刻まれたプレートがある。


さて、
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一階の奥には中庭がありました。

IMG_8488_3.jpg
一枚ガラスなんですよね。これ。

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中庭の横に廊下があって、奥に便所と風呂がある。
スクリーンはガラスの写り込みです。念のため…

IMG_8433_3.jpg
これが廊下。
昭和初期の建物で最初からお風呂があったとすれば
かなり立派な部類の家屋になります。

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右の扉が便所、かなり広かった。私の後ろに風呂がある。
この洗面台も当時のままかな…

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洗面所の窓を開けて中庭をのぞいてみた。

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会が終わった後、2階に上がらせてもらった。

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2階には部屋が2つある。
こちらは玄関側でおばさんの部屋だそうです。

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天井も当時のままっぽい。

IMG_8498_3.jpg
こっちが、開高健の部屋だったそうです。

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学生時代にここで初期の小説が書かれたのでしょう。
ただ、天井は直されていて床にはカーペットが引かれてた。
当時の名残は木の柱と壁くらいかな…
ちなみにキズとか探したけど何もなかった…

IMG_8504_3.jpg
開高さんも見ていたであろう欄間。

IMG_8515_3.jpg
この欄間は保存されるそうですよ。

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窓の外はベランダです。
下には中庭がある。
当時の周辺はまだ田畑が広がっていました。
かなり遠くまで見渡せたでしょうね。


より大きな地図で 開高健・北田辺の旧宅 を表示


1981年ということは51歳か。
このCM覚えてるよな~



(おまけ)
IMG_3112_3.jpg
この日のお土産にトリスのジョッキもらった♪
ニッ♪




ト、ト、トリスのハイボール~♪
吉高由里子ちゃん、かわいいね。


(関連記事)
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開高健旧宅解体 2011.02.08



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