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八尾の心合寺山古墳(しおんじやまこふん)

2014年10月13日 15:45

生駒山地の麓にある
前方後円墳が素敵だ


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中河内(なかかわち)最大の古墳が八尾市にある心合寺山古墳(しおんじやまこふん)です。近年復元され周辺も整備されたようなので行ってきました。ただ、この日はあいにくの天気。今にも雨が降りそうな天気だったので駆け足で見てきました。

(カシミール3Dで作成した地形図に、日下雅義氏の「6~7世紀ころの摂津・河内・和泉の景観」と近江俊秀氏の「壬申の乱のころの大和・河内の道路網」の図を重ね合わせたものです。)
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この図は6~7世紀頃の地形図です。河内湖が、淀川や大和川から流れてくる土砂の堆積により陸地化が進み、沼地が広がっていた時代です。心合寺山古墳の築造は5世紀初頭といわれていますが、その時代に生駒山地の麓エリアを支配していた豪族の墓だと考えられます。

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古墳にのぼってみましょうか。

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後円部が、芝と葺石で分かれているのが特徴的ですね。ちなみに「しんごじ」とは、飛鳥時代に近くに建立された心合寺(しんごうじ)からきているそうです。

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このへんで、ポツリと雨つぶが…

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やばい、アプリで見たら10分後には大雨が来そう。

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心合寺山古墳の解説板です。

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前方部を見上げたところ。3段になっている。

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ここに解説板がありました。

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ここにひとつだけ円筒埴輪があったようです。なんでだろう?面白い。

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2段目。

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そして上にのぼってきました。

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これは何だろう?

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「方形壇(ほうけいだん)」というもので、下に埋葬施設があり、祭祀場でもあったようですね。

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後円部へつづく前方部墳頂。ゆるやかに傾斜しています。

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円筒埴輪や朝顔形埴輪、蓋形埴輪(きぬがさがたはにわ)をのせた円筒埴輪の配列は、当時を再現しているそうです。

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いいアングル。晴れた日にまた来たい。
素敵な古墳だ!

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後円部墳頂。

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埋葬施設が3基あったようですね。

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木棺からは、短甲(たんこう)、胄(かぶと)、き鳳鏡(ほうきょう)、針、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、竪櫛(たてぐし)、三葉環頭太刀(さんようかんとうたち)、刀剣類(けんとうるい)などの副葬品が出土しています。

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西側の眺め。

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向こうにあべのハルカスが見えますね。古墳時代は、西側一帯が沼地だったのでしょう。

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反対側には生駒山地。

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後円部から前方部を見たところ。

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晴れていたら古市古墳群が見えるはず。

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造り出しですね。

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この造り出しでも祭祀が行われていたのかもしれません。

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近くから鶏形埴輪や家形埴輪片が出土したそうです。

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くびれ部です。

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前方部と後円部のつなぎ目は、盛り土を行うのが難しい場所で、葺石で形を整えた痕跡のようなものがあるのだとか。

で、ここでタイムアウト。
この後、雨がザーっと降ってきました。
敷地内には八尾市立しおんじやま古墳学習館があってここで一休み。
ここには「ハニワこうてい」というキャラもいて、
情報発信には積極的でとても好感が持てます。
晴れた日にまた行ってみたい古墳です。



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古墳の作り方(ジオラマ)

2014年10月04日 18:45

藤井寺市立図書館にある
古墳のジオラマが秀逸。


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ちょっと左端の人がリアルすぎて怖かったりしますが、

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これは、藤井寺市立図書館に常時展示されている修羅(しゅら)のレプリカです。修羅とは、大きな石などを運ぶ時に使われた木ゾリです。

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ここには、藤井寺市道明寺の三ッ塚古墳の周壕跡から見つかった「小修羅」が展示されています。同時に見つかった「大修羅」は、近つ飛鳥博物館にあります。

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修羅は昭和53年に矢印の辺りで発掘されました。近くに近鉄「土師ノ里(はじのさと)」駅があるのですが、その名が示すようにこの地域一帯は豪族土師氏の本拠地。土師氏は、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族といわれています。

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5世紀頃の鳥瞰イラストです。住居群の他に、埴輪工房やそれを焼く窯のようなものも描かれています。古墳をつくるには、技術者や多くの労働者が必要で、この場所には、古墳造営プロジェクトがある毎に多くの人が集まってきたのでしょう。

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ちなみに、古市古墳郡には123基の古墳があったとされますが、現存するのは87基。その内の45基が世界遺産登録を目指しています。この画面の中にもこれだけの世界遺産登録を目指す古墳があります(盾塚古墳は除く)。

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古墳築造の流れです。地面に設計図を描き、杭を打って、地面を掘り、壕を造り、その土を盛り上げて墳丘にし、石を敷き詰めてまわりに円筒埴輪等を並べます。穴を掘り石棺に遺体を納め、穴を埋め直し、その上に形象埴輪等を並べて完成です。

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そんな古墳築造の様子を再現した巨大ジオラマがこの図書館にあるので、細部を紹介したいと思います。

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さきほどの修羅で大石を運ぶシーンがやはりメインで作られています。

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多くの人がそれを曵いている。

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丘の上から見ているのは、大王(おおきみ)や土師氏や巫女たちなのでしょうか。

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後ろにあるのは三段の方墳。石が葺かれて埴輪も並べられた完成形です。

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その側面は、あえて途中段階で作られていいます。ここでは葺石(ふきいし)を敷いたり円筒埴輪を並べたり。

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当時は航海技術も進んでいたのでしょう。舟を利用しはるばる淡路島などから石を運んでいたようです。古市には大溝(おおみぞ)という水路があったのですが、その水路を利用して舟から石を積み下ろしているところです。

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この面はまだ土を盛って成形している段階。

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ここでは舟を作っているようですよ。造船所みたいな所も古市にはあったのかもしれません。土師氏は古墳を作る技術者だけでなく様々は技術を持った人を集めていたのでしょう。

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この辺りは、当時の労働者家族の生活シーンが描かれています。大きな窯で料理を作っているのでしょうか。灰色の大壷は水瓶かもしれない。奥の四角い囲いは井戸かな。住居は竪穴式住居と高床式住居があったようですね。

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子供達が相撲っぽい遊びをしている。

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左の高床式住居の前には門番がいるので、高貴な人の住まいなのでしょう。

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最後に、土師ノ里にあった埴輪工房の想像図です。
このアングルの前方後円墳がカッコよすぎる。


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【古市古墳群】
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